透明感のある美しすぎる歌声。辛島美登里の《サイレント・イヴ》は、毎年クリスマスの季節になると僕の心の中で鳴り続けます。この歌は失恋の歌なのだけれど《願い》を突き抜けて、「魂の限り真剣に《祈る》ことが出来れば、その人の心の中に天使(エンジェル)が舞い降りて、《許し(愛)》という名の煌めく星々の入った心の宝箱のカギを開けてくれる歌」なのです。 信じるか信じないかは、あなた次第……
子供の頃は大好きだったクリスマス。成長するにしたがって心が異様にねじ曲がり、世の中と素直に向き合うことが出来なくなって、クリスマスのバカ騒ぎが大っ嫌いになっていった僕なのですが、クリスマスソングだけは幼いころのまま大好きで毎年腐るほど聴いているのです。
あがた森魚のアルバムに《イミテーション・ゴールド》という、昭和歌謡曲を集めたカヴァーアルバムがあります。 癖の強い独特のあがた節で歌われるこれら昭和歌謡の名曲は、新たな命が吹き込まれ、原曲とはまったく異なった魅力が放たれています。その中でも辛島美登里の《サイレント・イヴ》のカヴァーは秀逸で、何度聞いたかわかりません。
この曲は当時ドラマの主題歌としてリリースされ、辛島美登里最大のヒット曲となります。 曲そのものは知ってはいたのですが、それほど印象に残っておらず、あがた森魚経由でオリジナルを聞き直してみると、キュンと心が締め付けられ、いい曲だなぁと改めて好きになったのです。
歌詞の内容は痛いほどの失恋の歌で、複雑な《憂い》《願い》の歌なのですが、
♪本当は誰れもがやさしくなりたい、それでも天使に人はなれないから♪
あたりから心の変化がおこり、《嫉妬》➡《絶望》➡《孤独》➡《許し》(自身に対しての)➡《祈り》(キリスト意識・愛)に繋がっていくように僕には聴こえて(そう聴きたい)きます。
辛島美登里の美しい歌声の波動から《イエスの祈り》が聴こえてきたとき、僕の中の遠い昔の記憶が蘇り、クリスマスにまつわる一つの物語が思い出されるのです。
それはまだ、日本のクリスマス(すくなくとも僕の育った町)がコマーシャリズムに踊らされる以前、クリスマスイヴが静かな祈りの夜だった頃のお話
……。

僕の住む町が、一年の内で暗闇に包まれる時間が一番長い日。
僕たち小学生は学校が終わると一目散に街の大きな公園に出かけ、寒風吹きすさぶ中、友達と走り回って遊びます。街にはまだ子供達がうじゃうじゃ湧いており、今よりも遥かに活気があふれ明日に向かっていくエネルギーが街にも人々にもみなぎっていた時代でした。
遊ぶこと、食べること、そして歌謡曲を聴くことの三つのことだけが脳みその大半を占めていた僕の小学生時代は、悩みごとなど殆どなく、人生を一番謳歌していた時代だったのかもしれません。
暮れも押し迫った12月中旬、僕の住む町でも、今ほど華やかではないにしろ商店街にクリスマスの飾り付けが施され、貧乏な僕の家でも一年で唯一、ケーキなるものを食べることのできるクリスマスを僕は毎年ワクワクしながら楽しみにしていたものです。

日も暮れ街がブルーに染まるころ、公園で遊び疲れた僕たちは、三々五々家路に着きます。 その帰路の途中、龍神池のほとりに小さな教会がありました。教会と言っても屋根のとっぺんに十字架がなければ普通の民家と見紛うほどの木造の小さな建物だったのですが、その季節になるときまって、足ふみオルガンを伴奏に子供たちの美しい歌声が聴こえてきます。
当時は、讃美歌もキリスト教の何たるかもまったく知らない小学生だったのですが、教会の中で何が行われているのかと興味を持った僕は、その美しい讃美歌の調べに誘われるようにふらふらと教会の窓際へ。
正面入り口の扉のガラス窓から中を覗いてみると、正面奥に少し床が高くなったステージがあり壁の中央に十字架、その両脇に小さなステンドグラスの窓が施され、薄暗闇の中、柔らかな色が浮かび上がっています。ステージの中央に古びた教壇があり、その左下で足ふみオルガンを弾く少女。その横で指揮を執る牧師さんのタクトに合わせ、5.6人の子供たちが ♪シュワキマセリ~シュワキマセリ~ と意味不明の呪文のような歌を歌っているのです。
その美しいメロディーは既に聴きなじんでおり、足ふみオルガンのノスタルジックな音色と重なってしばしの間、目を瞑って聞き惚れている僕。と、いきなり背の高い外国人の牧師さんがを扉を開け、目の前に現れます。
牧師 アナタ讃美歌、スキデスカ?
僕 サ、サンビカ?
牧師 ソウ、讃美歌。 アナタ、ウタイマスカ?
僕 ア、アナタ、ウ、ウタイマ……セン。
牧師 ソウ、ウタイマスカ、ウタイマスネ、サア、ウタイマショウ!
意思の疎通がまったく出来ないまま、生まれて初めて見る外国人牧師さんの力強い腕に引っ張られ、足ふみオルガンの前まで連れて行かれます。 オルガンを弾く女の子の顔を改めて見ると、話したことはなかったのだけれど同じ学校の同級生でした。

その子は、教会から龍神池を挟んだ向かい側に建つ小さなあばら家で、お母さんと二人で暮らしている子で、名前を風間薫と言いました。 もともと地元の人ではなく、何処からか流れ着き、龍神池のほとりに勝手にあばら家を建て住みついていたのです。 当時はこのような人が結構いたのです。
風間さんは小さな頃から静かな子だったのですが、たまに口を開くと「あのおばちゃん、もうすぐ死ぬよ」とか「このおうち火事で燃えてなくなる」などと縁起でもないことを呟くのです。 誰も信用しないのですが三か月以内にそのつぶやきが何時も現実のものとなり、周りの人達は気味悪がって誰も近づこうとしなくなります。 今では学校にも来なくなっていた風間さん。
風間さんの足ふみオルガンの伴奏で、♪シュワキマセリ~と♪キィ~ヨシコノヨルを何度か歌ったのですが、大好きな歌謡曲を歌った時とは違う、なんとも言えない身体が軽くなる様な感じの気持ちよさにボーッとしているところ、牧師さんに「明日モカナラズ、ウタイニキナサイ」と凄まじい圧力で誘われ、ボーッとしたまま思わず「ハイ」と答えてしまう僕。 その帰り道、一緒になった風間さんが小さな声で話しかけてきます。
風間 ……か、かちゃんち言うんやろ。
僕 え、何で知っとると?
風間 ……わたし風間薫。 龍神池の向こうの家に住んどる。
僕 うん知っとる、風間……、有名やけ。
風間 ……気味悪いけ?
僕 いいや…。 わからんけど…。
風間 かっちゃんは歌がすきなん?
僕 うん。歌謡曲とか好きやけど…。 風間は歌もオルガンも無茶苦茶上手いんやねぇ。
風間 だいぶ前、龍神池のほとりで一人でおったら、牧師さんが教会に誘ってくれて、歌とオルガン教えてくれたと。
僕 ♪シュワキマセリ~ち、何の歌なん?
風間 讃美歌ちいうんよ。
僕 サンビカ?
風間 うん、神様にお祈りする歌。
僕 ようわからんけど綺麗な歌やねぇ。
風間 ……かっちゃん、…明日も一緒に歌おうね。
そう言い残して、風間さんは龍神池のほとりの家へ消えていきます。すっかり日も暮れて暗くなった坂道を《龍神池のほとりで一人佇む風間さんの姿》を思い浮かべながら上りつつ、丘の上の市営住宅の我が家へ。

その後もなんとなく教会に通って讃美歌を歌っていた僕は、外国人の牧師さんに、クリスマスイヴの教会のミサに誘われます。本物のクリスマスを知りたくて、信者でも何でもないくせに参加した僕。小さな町で信者も少ない教会のミサはこじんまりと質素な感じで、夕方5時頃から始まります。
牧師さんの語る聖書の言葉は、アホな小学生の僕にはまったくもってチンプンカンプンだったのですが、とても印象深く、今でも記憶しているフレーズが
「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
というもの。 アホな僕の頭の中で、針の穴を通ろうともがくらくだの映像が鮮明に表れたのですが、即座にこちらに顔を向け、「通れるかぁーーーーっ!」と、僕にツッコむらくだ。 深い意味は分からないのだけれど、とりあえず貧乏人の僕たちに救いを与えてくれるイエス様の言葉であることだと単純に理解します。それともう一つ、
「クリスマスはキリストのミサ(Christ+Mass)が語源」ということ。
僕の頭の中で、キリスト・ミサからクリスマスには、どう考えても繋がらなかったことから記憶に強く残ったのでしょう。
その後、これまで歌ってきた讃美歌を、風間さんの足ふみオルガンの伴奏で皆で気持ちよく歌ってミサは終わります。 牧師さんの説教の中の、聖書の言葉の意味を何一つ理解しなかった僕は、その帰り道、風間さんに尋ねます。
僕 牧師さんの話、風間はわかると? イエス・キリストっち何ね?
風間 わたしもよくわからんのやけど…。イエス様は神様の使いの人で、そのイエス様のお誕生日がクリスマスなんよ。
僕 もう死んでおらん人の誕生日をなんでみんなで祝うと?
風間 牧師さんは、クリスマスは一年でいちばん天使たちのおる日やけ、みんなで祈るっち言いよった。
僕 テンシ?
風間 そう、本当はその天使たちがプレゼントを持ってきてくれるんよ。
僕 え? うちはプレゼント、母ちゃんが買ってきてくれるよ?
風間 ハハハハッ、何でサンタさんやないと?
僕 ……。
そんな話をしているうちに、風間さんの家に着きます。 風間さんのクリスマスの話を全く理解しないまま、ポヤーとしている僕に、
風間 ……かっちゃん。ち、ちょっとだけ、う、うちに寄らん? あ、うちのお母ちゃんがケーキとかジュースとか用意してくれとるけ。
皆に敬遠さている風間さんは、控えめに僕を誘った後、僕の目を見ながら少し笑った顔を見せつつケーキとジュースで再び僕を誘います。 食欲で脳みその大半を支配されていた小学生時の僕は、断る理由など全くなく、ヒョコヒョコと風間さんの後をついていきます。
入口の板張りの扉を開くと、板の間の台所と6畳ほどの和室だけのこじんまりとした室内。しかし外見からは想像つかないほどに綺麗にかたずけられ、卓袱台の上には美味しそうなクリスマスケーキと唐揚げが並んでいます。
風間 ただいま。 お母ちゃん、この子がかっちゃん。
風間の母 あぁ、かっちゃんね。いつも薫と仲良くしてくれてありがとう。
僕 いいや、そんなこと…。
風間の母 ようきてくれたねぇ。さぁ、あがりあがり。寒かったやろ外は?
風間さんのお母さんは、優しく僕を迎え入れてくれます。
風間の母 今日はクリスマスやけ、かっちゃんのおうちでも御馳走やろうけど、ちょっとだけでも薫と一緒にケーキ食べていってくれる?
僕 あ、ありがとうおばちゃん。
風間さんのお母ちゃんは、三つのコップにオレンジジュースを注いでくれ、皆で乾杯します。
メリークリスマス!!
風間 …このケーキ、お母ちゃんの手作りなんよ!
当時のクリスマスケーキのほとんどはバタークリームのケーキで、独特のバタークリームの匂いを放っていたものです。それでも僕からすれば十分に美味しかったクリスマスケーキだったのですが、風間さんのお母さん手作りのケーキは、いままで見たこともない生クリームが乗ったクリスマスケーキ! こんな美味しいもの初めて食べた僕はおもわず、
僕 お、おいしいっ!! めちゃくちゃ美味しいやん! なんでこんなん美味しいと?このケーキ! なんで?なんでなん、おばちゃん?
僕の、芸人を遥かにしのぐ魂のリアクションに、二人とも大笑い、その時、僕の胸を見ながら風間さんは呟きます。
風間 あ! 光った。
僕 え?
風間の母 何でもない何でもない、かっちゃん、まだまだいっぱいあるけ、沢山たべてね。
そうこうするうちに風間さんのお母ちゃんは仕事の時間となり、僕たち二人を残して仕事に出かけます。 噂では、風間さんのお母ちゃんは占い師で、毎晩街の辻に椅子テーブルを広げ西洋占いをしており、よく当たると有名だそう。
僕 風間のお母ちゃん、占い師なん?
風間 うん、みんな気味悪いっち言う…。
僕 風間も色々なこと、わかると?
風間 う、うん……。
ためらいながら答える風間さんにちょっと後悔しながら、
僕 あ、ごめん、いらんこと聞いて。
風間 私、学校みたいにいっぱい人がおるところに行ったら、いろいろな人の心の声が聞こえてきて、頭が痛くなって怖くなると…。
僕 心の声?
風間 うん。口から出てくる声じゃない、心の声が三つも四つも聞こえてくる。
僕 なんで?
風間 わからん、最初からやけ…。だけ、いろんなことがわかってしまうけ学校に行けん…。
大人になって、筒井康隆の《七瀬シリーズ》で、他人の心の声が否応なしに聞こえてしまうエスパーの苦悩を読んだ時初めて、その耐えれない境遇を理解するのですが、ノーテンキに生きていた小学生時の僕にはさっぱり理解できず、ポカンとしていると、
風間 口からの声と、心の声は全然違う。大人の人はもっと違うんよ。
僕 みんな嘘言いよるちゅうこと?
風間 嘘かどうかわからんけど、本当に思っとることは口からの声と違う。でも、牧師さんだけは同じやった。
僕 外国の人やけ?
風間 ハハハハハッ! かっちゃんは面白いねぇ。
僕 なんも面白いこと言いよらん!
風間 ゴメン、ゴメン、怒らんでもいいやん。
僕 牧師さんは嘘をつかんち言うこと?
風間 そう、それまでは、人の心の中は真っ暗で、怖くてちゃんと見ようちせんやったけど、今日、牧師さんが讃美歌を歌っとる時、牧師さんの胸が、ピカッ!っち光ったんよ。
僕 ……。
風間 皆の心の声が何も聞こえんで、讃美歌だけが聴こえてきたとき、光ったと。その時天使が飛んできて私の胸の中に入ってきた。
僕 胸の中にはいった?
風間 うん。真っ暗で、いつも一人ぼっちやった私の胸の中から、いっぱいの星が溢れ出してきて、目も開けられんぐらい、光でいっぱいになった。
僕 星ち、夜の空に光っとるあれ?
風間 そう、天使が言いよった、私の胸の中から出てきた星と、お空の星は一緒っち。
僕 僕の胸にもその星はあるんやろうか?
風間 あるある! さっきお母ちゃんのケーキを食べよったとき、かっちゃんの心の声全部消えて、胸の星が光りよった。
僕 うそぉ…。
風間 私わかったと。人は心の声がやんだ時だけ、胸が光るっち。
僕 ……。
風間 クリスマスはお祈りの日。自分のお願いやないで、ただ一生懸命にお祈りしたら、もみの木に、心を開けるカギを持った天使が降りてきて、私達に心の星を見せてくれる。 それが本当のクリスマスプレゼントっち天使たちが言いよった。そう!クリスマスツリーは天使たちが舞い降りるための目印なんよ。

風間さんの言葉
「自分のお願いやないで、ただ一生懸命に祈ったら」
「それが本当のクリスマスプレゼント」
の意味がよくわからないまま、夕餉の時間を随分過ぎてしまった僕は、お御馳走のお礼もそこそこに風間さんのおうちを後にします。 すっかり日も沈み満天の星々を水面に映す龍神池は、ことのほか美しく、池沿いの道をボヤ―ッと歩きながら、風間さんの言った「お祈りとは何なのか?」を考えている刹那、
バシャ!
池のヌシの様な大きな鯉が高く跳ね上がります。

そのクリスマスの夜、僕は不思議な夢を見ます。
龍神池で高く跳ね上がった大きな鯉が青の龍に姿を変え、漆黒の夜空を舞い上がります。僕はなぜがその青の龍の背に乗っており、漆黒の夜空をどこまでもどこまでも昇ってゆきます。強く冷たい風を受け、振り落とされないように必死にしがみつきながら後ろを振り返ると、美しく青く輝く地球が小さく見えます。
次第に身体全体が四方から強く圧迫され、息もできなくなり、もう死んでしまうと思った瞬間、突然身体を失ったかのように軽くなり、目の前の漆黒の暗闇が、一瞬にして輝く銀河の宇宙となって僕を包みます。と同時に天使たちの
♪主は来ませり 、主は来ませり♪
の大合唱が鳴り響き、沢山のらくだの群れが、なぜか一列に並んで、躍りながら笑いながら、次々と針の穴を通ってゆくのです。
「クリスマスツリーのイミテーションの光は、銀河の宇宙の星々の光、そしてそれはあなたの胸に輝く星々の光。」天使たちは僕にそう呟きながら人々の胸の内に眠る、星々の入った宝箱の鍵を手にもって、遥か彼方に青く光る地球に向かって消えてゆきます。
翌朝、風間親子は龍神池のあばら家から忽然と姿を消します。
「クリスマスは、生きとし生けるもの全てにお祈り(愛)を捧げる日。」
というメッセージを僕に残して…。

辛島美登里の
♪本当は誰れもがやさしくなりたい、それでも天使に人はなれないから
の歌声をクリスマスに聴くたびに、優しさから遠く離れてしまったこんな僕でさえ、風間薫の言う通り、魂の限り生きとし生けるものに祈り続ければ、もしかしたら天使にもなれるのでは……、との幻想をいだかせてくれるのです。
風間薫が成長し、占い師となったイメージで作った歌です。よかったら聞いてみてください。《旅のオルガン弾き》
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こんばんは。
又々、しっとりしたお話に思わず遠い記憶に想いを馳せてしまいました…
実話+創作との事ですが、その時代にタイムスリップして一緒に体感してる気分にして貰えるのは、私だけでは無いと思います。
風間薫さんにその後、何があったのかは謎ですが…
想像するに魅惑のジプシーに変身してる感アリですっ!
それも、刹那で凄くロマンチック。
昔観た映画の「ショコラ」でジョニー・デップがセクシーだったのを思い出しました。
ロック馬鹿の私は、イマイチ邦楽に疎くて「聞いたことあるぞ〜」位の知識でした。
次回も楽しみに、待ってます。