僕達を救ってくれた珠玉のフォークソング③ 中島みゆき《ホームにて》 ふるさとへ向かう最終列車を何度も何度も乗り遅れた果てに手のひらに残ったのは、白い煙と乗車券。

中島みゆき・ホームにて

中島みゆきはズルいのです。 故郷を後にして、都会の冷たさや不条理に翻弄されながら必死に生きている僕たちの心の隙間にスッと忍び込み、「大丈夫、それが人生だから。」と耳元で囁くのです。そんなこと言われたら心のタガが一気に外れて、大号泣するに決まっとるやろーーーーーーーーっ!! さらに、惚れてまうやろーーーーーーーっ!(古っ!)

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「せっかくわたしがサラッサラに乾かした洗濯物を またじとーーっと湿らせてしまう、こぬか雨のよう。」

ユーミン中島みゆきの音楽を評したお言葉。 素晴らしい!! さすが稀代のヒットメーカー、これほどまでに的確に、ズバッとお二人の音楽性を表せる才能は、そこいらのコピーライターなんぞ足元にも及びません! しかし、人生にはじとーっとしたこぬか雨が、時には必要なのです。

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三連荘で《中島みゆき嬢》の記事となってしまったのでありますが、最初に名曲《誕生》を書いたのがきっかけとなり、久しぶりに中島みゆきの音楽を聴き直してみると、内容の濃い名曲のオンパレード! この枯渇しない才能は、桑田佳祐と双璧をなす存在! 大げさではなくお二人とも日本の宝なのですね。

前回の記事《時代》を書いているときに聴きたくなった《ホームにて》を改めて聴いているとき、偶然か必然か、ツイッターでこの曲の記事のリクエストを頂いたのです。 それをきっかけに、ここで歌われている歌詞の解釈の妄想が、ドドドーーーっと僕の脳内になだれ込み、今書いておかないと三歩ほど歩くと忘れてしまいそうなので(元来の記憶力のなさに健忘症が重なってしもうて…泣)、仕事をサボって、早速《ホームにて》をやってみようと思うのです。

物語や詩や、歌詞の解釈なんてものは百人百様で、その解釈のすべては正しいのです。 作品は、発表してしまえばその時点で作者の手から離れ、100パーセント聴き手のもの。間違っていようが見当違いであろうが「僕にはそう聴こえたんだからしょうがない!」と、開き直ってしまえばこっちのもの。 と、勝手な保険をかけて気が大きくなったところで、凄まじいばかりの勘違いが乱れ飛ぶ、無駄話の始まり始まりなのであります。

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まず最初に、何の根拠もなしで断言します。 

中島みゆきは霊能者!

ラジオのDJをやっている中島みゆきをお聴きになった方はおわかりでしょうが、確実に躁鬱気質。 さらに憑依体質を兼ね備えており、自分自身や他人の心に寄り添うことで、その奥深くの潜在意識にまで入り込み、心の奥のほうで見聞きする光や彩や音や匂いまでもを共有することが出来るのでしょう。

そう、音楽や作詞を創作している中島みゆきは、誰も入れない部屋に籠って、鶴の恩返しの鶴、つうの如く、夜な夜な身を削りながら作品を生み出しているのです。(わたくし今、見てきたような嘘を言っております)

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この曲《ホームにて》は、1977年リリースの、中島みゆきサードアルバム《あ・り・が・と・う》に収録されていた、随分と昔の曲なのです。 当時、ふるさとを後にして、夢にまで見た大都会に出てきたのは良いものの、厳しい現実に打ちのめされながらも必死に頑張っていた学生さんや社会人の方たちの心情にジャストミート! この歌を聴きながら、ネオンライトの光の下でお酒を飲みつつ、期限切の《空色のキップ》を眺めながら泣きぬれていたお姉さま、お兄さまは数知れなかったことでしょう。

が、しかーーーーし、

ここで歌われている《ふるさと》とは、それぞれが生まれ育ったふるさとのもっともっと先の先、魂の帰る場所、魂が溶け込む元始の故郷にたどり着くための旅路を歌っているようにわたくしは妄想するのです。

そう、この歌は、中島みゆきの描く壮大なファンタジーなのであります!!

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ふるさとへ向かう最終に

乗れる人は急ぎなさいと 

やさしいやさしい声の駅長が

街なかに叫ぶ

優しい声の駅長の声が、駅のプラットホームではなく街なかで叫びます。 都会の厳しい現実を生きている者たちは、常に「どこか遠くへ」の逃避願望を抱いています。そこは、故郷の優しさと安堵感が満ち溢れ、その場所へ戻ろうとする望郷の念が、駅長の優しい声の幻聴を作り出し、街を彷徨う者たちの耳に聞こえてくるのです。

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振り向けば空色の汽車は

いまドアが閉まりかけて

灯りともる窓の中では 帰り人が笑う

人の作る幻聴は過去からのもの。後ろからその声は聞こえてきます。で、当然後ろをふりむくのですが、そこには《空色の汽車》が停車しています。 当時はもうすでに汽車は走っておらず、電車か列車と表現するはずのところ、あえて《汽車》と表現しているのは、それが幻の《空色の汽車》だったから。 灯りともる窓の中には、《帰りびと》たちが優しく微笑みます。 はい、これもすべて幻覚ですね。

僕たちのイマジネーションの能力はすさまじく、あらゆる想念を現象化します。  《空色の汽車》 とは振り向いた景色の上に広がる大空に浮かぶ幻の汽車。 窓の灯りがともる時間帯の空色は、夕暮れのブルーモーメントか茜色に染まる夕焼け空か? それとも満天の星空か?

その景色は望郷の念と重なって、震えるほどに美しい景色なのでしょう。 そして《帰りひと》とは、夢半ばに倒れた人達か? はたまた僕たちを迎えに来た天上の住人か?

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走り出せば間に合うだろう

かざり荷物をふり捨てて

街に街に挨拶を

振り向けば ドアは閉まる

ここで歌われる《かざり荷物》とは、プライド、見得、夢、願望、欲望等々に添付する、執着心。それは、知らず知らずのうちに身に着けてしまった重い重い《かざり荷物》。人はこの執着心をエネルギーに変えて努力するのだけれど、これらのものは生きていく上で本当に必要なものなのでしょうか?

昨今は、《断捨離》で不必要な物(時には必要なものまでも)を捨てることが《意識高い系》の人たちの間で大流行りだそうですが、そんなものよりもっと大きくて重たい心の《かざり荷物》 は捨てなくて良いのでしょうか?

そうはいっても僕たちは 《かざり荷物》 を簡単に捨てることは出来ないのです。執着心は自分でも気づかない心の奥底にびっしりと貼りついているもの。街や関わった人たちに別れを惜しんでいるうちに、振り向けば汽車のドアは閉まってしまうのです。

郷愁に誘われ、辛い現実を逃避したい気持ちとは裏腹に、今現在の自分を取り巻く現状に何らかの情と未練が入りまじり、現状を捨てきれない自分もいたりするものです。 そう、僕たちはまだ《空色の汽車》に乗り込む時期ではなかったのです。 まだまだ、この混沌とした大都会で泣きながら転げながら生き続けなければならない執着心を抱えているのだから…。

それにしても ♪ 街に街に挨拶を のメロディーは、涙なくしては聴けないのですぅーーっ! さらにいくばくかの間があって、 振り向けばドアは閉まると続きます。この微妙な間が追い打ちをかけるのですよぉーーーーっ!! 素早く乗り込めない、あがなえない何かに、聴き手は共感してしまうのですよぉーーーーっ!! (うるさいわっ!)

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振り向けば空色の汽車は

いまドアが閉まりかけて

灯りともる窓の中では

帰り人が笑う

僕たちは人生を生き抜く過程で、何度も 《空色の汽車》に巡り合います。 その度に、乗り込むか乗り込まないかの思案を重ねるうちにドアは閉まってしまい、いつも乗り過ごしてしまいます。

生まれながらにして僕たちが根源的に持つ、郷愁と旅愁。

生きることに疲れ果て、もう駄目だと諦めかける度に、振り返り見上げた夕空や星空にはいつも最終列車の 《空色の汽車》 は停車しており、 窓の中の楽し気な《帰りびと》 達は、笑いながら見守ってくれています。

しかしながら僕たちは、年を重ねるごとに感受性を置き去りにして根源的に持つ郷愁と旅愁を忘れてしまい、次第に 《空色の汽車》 に出会うこともなくなってしまうのです。

あなたにはまだ、震えるほどに美しい夕空や、満天に輝く星空に浮かぶ 《空色の汽車》 は見えますか?

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ふるさとは走り続けた ホームの果て

叩き続けた 窓ガラスの果て

そして手のひらに残るのは 白い煙と乗車券

この歌の歌詞で、僕の一番好きなフレーズがこれ。 ここがこの歌の核心なのではないでしょうか? はたして《ふるさと》とは何を指しているのか?

走り続けたホームの果て、叩き続けた窓ガラスの果て。

歩み続けている人生の比喩としては、あまりにも悲しくあまりにもせつなすぎるのではないのーーーっ みゆき姐さん!! 

走しって走って走り続けてもなお、見果てぬ先の 《ふるさと》《帰りびと》 たちが笑顔で集う客席を外から眺め、その窓ガラスを叩いて叩いて叩き続けてもなお見果てぬ先の 《ふるさと》 とは、一番最初に妄想した、 それぞれが生まれ育ったふるさとのもっともっと先の先、魂の帰る場所、魂が溶け込む元始の故郷だったのです。

人生に挫折し、夢破れる度に乗り遅れる 《空色の汽車》 。 その都度手のひらに残るのは、白い煙と乗車券。白い煙とは、汽車の吐き出す白煙で、それは破れた夢の跡形。僕たちはその度に業(カルマ)を増やすのか、それとも消し去る事が出来るのか?

中島みゆき《ホームにて》

涙の数ため息の数

溜まってゆく空色のキップ

ネオンライトでは燃やせない

ふるさと行きの乗車券

悲しい別れや破れた夢と同じ数だけ溜まってゆく、《空色のキップ》

このキップは決して《ネオンライト》(現実逃避)だけでは燃え尽きてくれません。そんなものではとてもとても昇華出来ないのです。自身が吐き出した、ため息や涙によって溜まってしまった期限切れの乗車券。 その期限切れの乗車券をしっかり受け止め、その時々の自分を許し、愛する事が出来た時、もしかしたら《空色のキップ》は、美しい夕空に溶け込むのかもしれません。

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たそがれには彷徨う街に

心は今夜もホームにたたずんでいる

ネオンライトでは燃やせない

ふるさと行きの乗車券

ネオンライトでは燃やせない

ふるさと行きの乗車券

《ふるさと》 は、生きている僕たちの誰もが見たことがない場所。しかし誰もが心の奥底で記憶している場所 なのです。

黄昏時は、この世とあの世の交差するトワイライトゾーン。僕たちはこの時間帯に強く郷愁と旅愁を感じるもの。 その心は今夜もホームに佇みます。 《ネオンライト》(現実逃避) では燃やせるはずのない、溜まってしまった期限切れの乗車券を見つめながら…。

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中島みゆきは知っています。 

どんな人もあがなえない宿命を背負って、逆らえない運命に翻弄されながら懸命に生きていることを。 

中島みゆきは知っています。

その過程で、様々な過ちを犯してしまう心の脆い生き物が人間だということを。

中島みゆきは知っています。

その業(カルマ)を肯定し、好きになれない自分を許し愛することで、世界や周りの人たちを許し愛することが出来るようになることを。

中島みゆきは知っています。

そして、その許しや愛が自身に満ち満ちたその時、 溜まってしまった期限切れの乗車券は、知らないうちに燃えつくされてしまうことを。

中島みゆきは知っています。

そして、その時まで僕たちは 《空色の汽車》 には乗り込むことは出来ないことを。

からす

だからこそ、この命が燃え尽きる瞬間まで、 《空色の汽車》 を見ることのできるまっさらな感受性を保ちたいのです。  《空色の汽車》 を見ることのできる限りは、僕たちは生きながらにしてその列車に乗り込むことができる可能性を秘めているのだから……。

からす

それでは最後に。

この楽曲も沢山のミュージシャンにカヴァーされているのですが、今回の僕の妄想にぴったりの解釈で歌われている、手嶌葵の歌声をお聴きください。

おしまい