僕達を救ってくれた珠玉のフォークソング② 中島みゆき《時代》は、時代を越えて歌い継がれる永遠のスタンダードナンバー。

中島みゆき・時代

どれだけ売れようとも、どれほど有名になろうとも、デビュー当時からまったく変わらないその立ち位置。脆く儚い《感受性》を保ちながら世間と対峙し、刀折れ矢尽きても尚、その《感受性》を曇らせずに生き抜いている、名もなき多くの社会的弱者のために歌い続ける生粋のフォークシンガー。

デビュー当時の長渕剛は素晴らしかったんですよぉーーっ! 

フォークソングが大好きで、たくさんのフォークシンガーをリスペクトし、ギターテクニックも素晴らしく、歌声ものびやかで繊細で美しかった! な、なのにどうして……。 あの瑞々しい感受性をどこに捨ててきてしまったのか長渕剛!

あれ? おかしいなぁ…、  まったく関係ない話なのに、常日頃思っている心の声がつい……。

からす

中島みゆきは変わりません! 

デビュー曲《アザミ嬢のララバイ》から今に至るまで、その視座は常に社会的弱者からのもの。 富と名声を得てもなおそのスタンスは1ミリも変わらず、世界や人間を見つめるその眼差しは、菩薩的な母性の優しさが滲みます。

からす

大学に進学、家賃1万5千円の風呂なしアパートで独り暮らしを始めたころ、一人ぼっちで淋しい夜長、よく聴いていたアルバムが《私の声が聞こえますか》という中島みゆきのファーストアルバムでした。 

まだ僕が二十歳になる前、二十歳そこそこの中島みゆきが作ったアルバムのラストの曲《時代》の最初のフレーズが僕の脳裏に深く刻まれ、その後、悲しみや逆境に押しつぶされそうになる度に、繰り返し思い出されるのです。

♪今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて

もう二度と笑顔には なれそうもないけど

最初に聴いたときは、「いきなりどん底かい!」と、心の中で突っ込みを入れたのですが、その後、どうしてこのフレーズを初っ端に持ってきたのだろうかと、二十歳前のはなたれ小僧は、長い間考えてたのです。

人がどうしようもなく落ち込んで、悲しみに覆いつくされているときは、どんな高尚な理屈で励まし元気づけても、まったく聞く耳を持てません。
出来ることは、私はどんな時もあなたのそばにいるからと、黙って寄り添うことぐらいなのでしょう。 この最初のフレーズがまさにそれで、誰に対しても共感を呼びおこす、悲しみを共有する慈愛の心を歌っています。

決して上からではなく、運命に打ちひしがれ、悲しみの底に沈む人たちの心のステージにしっかり寄り添い、そこから見える景色を互いに共有しながら放つ言葉は、その言葉の意味を遥かに超えた別次元のメッセージが伝わるものなのでしょう。

まずその立ち位置からこの歌は始まるのです。♪もう二度と笑顔には なれそうもない と、あなたも私もそうだよねと全肯定し、どん底の暗闇を共有します。

からす

♪そんな時代もあったねと

いつか話せる日がくるわ

あんな時代もあったねと

きっと笑って話せるわ

だから 今日はくよくよしないで

今日の風に吹かれましょう

人が、耐えられないほどの苦しみや痛みを経験したとき、脳はその記憶を無かったものとして記憶の底に消し去るか、自身に都合のいいものに脚色して記憶に残すもの。 そして時間の経過とともに心がその体験に耐えうるようになった時、「そんなこともあったなぁ」とある程度客観して思い出すことが出来るのでしょう(生涯思い出せないときもある)。 

心の痛みは、他者と共感してもらえるだけでずいぶんと和らぐもの。 さらにもっと客観視できるようになれば、笑い話として人に話せるようになることも。

過去は変えられる。

そう、笑い話で語れるようになった時、過去の耐えられなかった心の痛みや悲しみに花が手向けられ、その出来事は天に昇華されるのです。 客観的に笑って話せるようになった瞬間に過去は大きく変容し、その時の苦しみや痛みは自身にとってプラスに変換され、今現在を生きていくための血となり肉となるのでしょう。

中島みゆきは、上っ面の慰めや優しいだけの言葉がけなどたいした役には立たず、時間の経過だけが解決の唯一の手段だと知っているのです。 だからくよくよしないで(嘆かないで) ただひたすら今日の風(痛みや悲しみ)に抵抗せず、その風に素直に吹かれながら時が過ぎるのを待とうと囁くのです。

この世のすべては、一瞬たりとも止まっていません。人の心も身体もすべて移りゆくもの。時の流れは川の流れと同じようなもの。いつも同じ流れに見えても常に新たな水が流れています。人生において、苦しみや悲しみは避けられないものですが、それは永遠と続くものではなく常に流れゆくもので、一瞬一瞬変化してゆきます。 

苦しみを回避するマニュアルなどありません。人は、その苦しみをしっかり受けとめたり、そこから逃避したりしながらやり過ごすしかないのでしょう。
そんな時、時代の流れに逆らわずに、素直に今日の風に吹かれることが出来た時、もしかしたら少し楽になるのかもしれません。

からす

♪まわるまわるよ時代はまわる

喜び悲しみ繰り返し

今日は別れた恋人たちも

生まれ変わってめぐりあうよ

輪廻転生

皆さまご存知のように、仏教やヒンドゥー教で信じられている概念で、人の魂は、因果の道理(カルマ)を経て何度も転生を繰り返し、そのサイクルの輪から解放されることを
《解脱》と言い、この世は自身の(カルマ)を解消させることのできる唯一の次元で、生あるうちに《解脱》を目指すこと(即身成仏)を最終目的とするのです。

喜び悲しみを幾度となく繰り返し、沢山の人と縁を結んだり切ったりしながら、恨み憎しみなどのマイナスの念を残さず、素直に時代の流れに乗り、今日の風に吹かれることで、自身の持つ(カルマ)は解消されてゆくのでしょう。 

そういう意味で人生においての四苦八苦は、大きな意味があり、その四苦八苦をどのような態度で生き抜いてゆくのかで、その人の運命も大きく変わってゆくのではないでしょうか?

僕なんかも確実にそうなのですが、人間理屈で分かっていても、いざ自分に不幸や災難が降りかかったときには、時の流れに乗るだの、今日の風に吹かれろだのの絵空事は遥か彼方に吹っ飛び、「寝言は寝て言え!」と逆切れし、慌てふためき泣きぬれて、真っ正面から災難を受け止めるなんてことは出来ないのです。 ここで、最初のフレーズが大きく生きてきます。

♪今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて

もう二度と笑顔には なれそうもないけど

中島みゆきはもうすでに分かっていたのでしょう。人生、理屈ではどうにもならないことを。寄り添うこと、その存在を全肯定すること、悲しみを共有できる人が一人でも傍にいることで、人は時の流れに乗れることを。 この歌はその傍にいる一人として語りかけているように聞こえます。

からす

旅を続ける人々は

いつか故郷に出会う日を

たとえ今夜は倒れても

きっと信じてドアを出る

たとえ今日は果てしもなく

冷たい雨が降っていても

どんなに過酷な人生でも、人はたった一人で旅を続けなければなりません。 今生は倒れても来世には、すべてを信じて再びドアを出て、旅を続けなくてはならないのです。 時には道を照らす光を見失っても、どんなに冷たい雨や強い風が吹いていようとも、自分が生まれ出た《故郷》に帰る日を夢見て。

自分が生まれ出た《故郷》に導くことこそが宗教の役割なのでしょうが、その道のりは人それぞれで、用意された道なんてあるはずがないのです。道なき道を自身で切り開きながら、魂は《故郷》を目指します。

では、その《故郷》とは何か?

天国、極楽浄土、バラモン等々、様々な宗教が帰るべき故郷を掲げているのですが、闇雲に信じることは出来るはずもなく、その《故郷》さえもたった一人で見つけ出さなくてはならないのでしょう。 見たことも体験したこともないものを、経典に書いてあるからと鵜呑みにすることは宗教からは大きくかけ離れた態度で、わからないものはわからないと正直に認め、わからないものを探求するその一瞬一瞬が宗教そのものだと思うのですが…。

もしかしたらその一瞬一瞬のはざまに、禅宗の言う《本来の面目》が見え隠れするのかも…。

からす

めぐる めぐるよ 時代はめぐる

別れと出会いを くり返し

今日は倒れた旅人たちも

生まれ変わって 歩き出すよ

まわるまわるよ時代はまわる

別れと出逢いをくり返し

今日は倒れた旅人たちも

生まれ変って歩き出すよ

今日は倒れた旅人たちも

生まれかわって歩き出すよ

中島みゆきは、この歌の最後で、人は何度でもやり直せるし、何度でも生まれ変わることが出来るんだと、控えめな人間賛歌を歌い上げます。


輪廻転生の生まれ変わりに限らず、今生においても死の間際まで、人は生まれ変わることが出来るんだと、決してあきらめてはいけないし、魂のレベルにおいては、あきらめることさえ出来ないんだと歌っているように、僕には聴こえてきます。

今はこんなに悲しくて 涙もかれ果てて もう二度と笑顔には なれそうもないけど……。

それでも、別れと出会いを繰り返しながら、何度も何度もめぐりめぐって、何度も何度もまわりまわって、魂は《故郷》に帰る旅を続けます。

運命に何度押しつぶされようとも、悲しみに何度泣きぬれようとも、人は生きてさえいれば、生ききることさえできれば大丈夫と、中島みゆきは皆に寄り添うのです。

からす

この《時代》という曲は、当時、実の父親が病床に倒れ、昏睡状態の最中に作られたそう。そのさなか開催されたヤマハのポプコンで当初予定されていた曲を急遽変更して、この歌は初披露されたそう。
その後まもなくしてお父様は亡くなられたそうですが、父親の死が、終わりだけではなく始まりでもあると思いたい中島みゆきの強烈な衝動がこの歌詞に込められているのでしょう。

からす

《時代》という歌は、魂の《故郷》へ旅を続けるすべての人たちへの応援歌であり人間賛歌。 今までに沢山のアーティストたちがそれぞれの世界観でカヴァーしています。 

帰り着く《故郷》は皆同じでも、その道のりは百人百様。その、いばらの道を 今日も僕たちはこの《時代》という歌に内包された、中島みゆき菩薩の母性に救われながら、歩き続けている最中なのです。

おしまい