くるり 《 Remember me》 なにひとつわからないまま、聴き終わった瞬間すべてがわかったと思わせてくれる、平成の名曲。

いまさらかい! と、ツッコまれるのを百も承知で、どうしても取り上げたい衝動に駆られて、《くるり》の名曲《Remember me》のご紹介。


時間、空間、物語、想念、情念。それらすべてが始まりもなく終わりもなく、今この瞬間なんだと感じて《Remember me》


皆様。あけましておめでとうございます。


はい、わたくし旧暦で生活をしておりまして、節分がお正月なのでございます(どんな言い訳や!)。
どうもサボり癖がついてしまい、年末年始のブログも上げれないまま2月に突入してしまった次第。 二度目の緊急事態宣言の発令で、またしても重苦しい年明けとなってしまいましたが、皆さん、いかがお過ごしでしょうか?

わたくしの今年の正月は、子どもも孫も誰一人集まらず、老夫婦と96歳になるスーパージジィの三人だけの静かな正月を過ごしたわけなのであります。
で、何もする事、考えることがないわたくしの頭の中を駆け巡っていたテーマは《時間》

からす



年末、《時間は存在しない》 カルロ・ロヴェッリ というとんでもない本を読んでしまったが最後、ずっと関心事であった《時間》に想いを巡らすという、果てしなく無駄で、果てしなく無意味な《時間》を費やしたわけなのであります。

そして、先日久々に観たNHKの番組「ファミリーヒストリー」のエンディングで流れた《くるり》Remember me を久々に耳にした瞬間、 カルロ・ロヴェッリのオッサンの言う《時間は存在しない》という意味が突然わかったような気がしたのです(本当なんだって!)。 

この目からうろこの強烈な衝動を 誰かに伝えたいとあたりを見渡したところ、こたつで丸まっている飼い猫二匹と同じく、こたつでうたた寝しているかみさん一人。そして隣の部屋で独り言をつぶやく96歳のスーパージジィしかいません。

仕方なく、唯一日本語が通じるかみさんを叩き起こし、《くるり》Remember me を無理やり聞かせ、

「この歌は、時間、空間、物語、想念、情念、それらすべてを歌っているのだよぉーーーっ!」

と、寝ぼけ眼のかみさんに力説するスーパージジィ予備軍一人。 
そして認知症の老人を見るかのような、哀れみの目で私を見つめるかみさん一人。


そうなのです! どんなに言葉で説明してもわかってもらえないのは当たり前。僕自身、言葉や思考で理解したわけではなく、ただ感じただけなので、言葉では置き換えられるはずは無いのです。 

したがって、こんな拙い文章で書いても表現しきれないのは百も承知な訳なのですが、そこは音楽の素晴らしいところ、聴いた瞬間に時空を超越して、一瞬で感じ、一瞬で理解してしまう力が音楽にはあるのです。

「良い曲だなぁ」と前々から思ってはいたのですが、今回、改めて詞の内容をかみしめながら聴き直すと、永遠の謎《それ》を歌い上げていることがわかったのです。 

もう、10年程前の曲なので、いまさら感はぬぐえないのですが、この衝動は抑え切れません!(誰に言っとるっ!)

からす


遠く離れた場所であっても
ほら 近くにいるような景色
どうか元気でいてくれよ

ほら 朝が来るよ
新聞は毎日パパの顔曇らせたまま
子供だって おとなになるよ

ママになってみたいな
何処か遠くへと 行くのかい

Do you remember me
いつか教えてよ
あの時の涙のわけを
笑顔の思い出を


さらば夕暮れ時の駅前の
豆腐屋のおじさん 待ってよ
今日は特別な味噌汁だよ


大きくなったな 夢はなんだろうな
覚えていたんだね 時は流れても
変わらないや 変わらないや


すべては始まり 終わる頃には
気付いてよ 気付いたら
産まれた場所から 歩き出せ
歩き出せ


遠く離れた場所であっても
ほら 近くにいるような景色
どうか元気でいてくれよ

からす


どうですか皆さん! 

もう、だれが、いつ、どこで、だれに、なにを語っているのかサッパリわからないでしょう? 主語と時間が入れ替わり入り乱れ、思考を構築する隙間を与えてくれず、ただただ人生のディティールをあらゆる感情と様々な時間から語っております。

しかしながら、そのすべてがメロディーとともに同時に僕の耳に押し寄せてきた時、

「あぁ、なにひとつわからないこの世界は、立脚点を定めずわからないままに感じた瞬間、すべてを理解できるのだなぁ…」

と思ってしまったのだからしょうがない。 誰が何と言おうと、誰がどんな意味をこの詞に添付しようとも、そんなものは何の意味もないのです。
 
フレーズの一つひとつの意味を理解しようとすればするほど、この歌の世界観から離れていくように僕には思えるのです。

からす


生きることの意味を探しながら誰もが必死に生きている中で、《私》という主語と《時間》という不可逆と思われる縛りが消滅したとき、この世界のリアリティーが一気に押し寄せ、物語、歴史、蓄積された想念(喜怒哀楽)、欲望、祝福、挫折等が一塊となって脳内の魂のありか《松果体》にシンクロし、理屈を超えた理解が生まれるのでしょう。

日常の楽しかったこと、辛かったこと、
満足したこと、悔しかったこと、
傷つけたこと、傷つけられたこと、
愛したこと、愛されたこと
憎んだこと、憎まれたこと、


これらすべての出来事から、誰が誰に向けてというベクトルが外され、宇宙の壮大な景色と歴史に包まれたとき、《全肯定》という響きだけが残ります。

からす

何でもない日常の風景や小さなディティールの中にこそ宇宙のすべてが内包されています。

人生において生まれる様々な出来事、私、あなた、知ってる人、知らない人、過去の人、未来の人たちすべての出来事の総体が、今まさにこの世界を現しているはず。

《くるり》Remember me を何度も聴きながら、今というこの瞬間を感じることで《私》という主語が消滅し、そして《時間》も必然的に存在しなくなる事がわかった気がしたのです。

からす


《時間は存在しない》の筆者で、 《ループ量子重力理論》の権威、カルロ・ロヴェッリは、世界は《物質》ではなく《出来事》で出来ていると言います。僕たちが取捨選択してしまう《出来事》だけではなく、愛も憎しみも、天使も悪魔も、天国も地獄もすべてを含んだ《出来事》から。

私たちひとり一人も全宇宙の《出来事》から成り立っており、《くるり》Remember me の波動は、その《出来事》にシンクロするがゆえに自然と僕たちは涙するのでしょう。

《くるり》Remember me を久々に聴けたおかげで、理解に苦しんでいた《時間は存在しない》 カルロ・ロヴェッリ を少しわかった気になった、
認知症まっしぐらの、60ジジィの戯言でした。

おしまい

『くるり 《 Remember me》 なにひとつわからないまま、聴き終わった瞬間すべてがわかったと思わせてくれる、平成の名曲。』へのコメント

  1. 名前:ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな 投稿日:2023/06/04(日) 15:50:04 ID:9a70cf555 返信

     「時間は存在しない」カルロ・ロヴェッリ著 富永星訳に、
    【 …時間は、本質的に記憶と予測でできた脳の持ち主であるわたしたちヒトの、この世界との相互作用の形であり、わたしたちのアイデンティティーの源なのだ。
     そして、苦しみの源でもある。
     仏陀は・・・生まれること 老い 病 死 ・・・ 苦である。
     時間の経過に耐える。・・・
     わたしたちは時でできている。 …】  のように数の言葉の世界に[時]をしのび込ませたいを≪…くるり…≫の「言葉は三角、こころは四角だな」の本歌取りで、

     『言葉は直線、こころはヒフミヨだな』

    言葉は三角で 心は四角だな
    まあるい円をそっとなぞてくれ 

    知らないヒフミヨの  
    知らないヒフミヨで 
    知らない三角四角と恋に落ちるだろう 
    いつかきっと円も恋に落ちるだろう

    繋ぐ円で点を見つけ追いかけ出会えず 

    言葉は直線 心はヒフミヨだ 
    まあるい円をそっとなぞてくれ 

    ヒフミヨは数えてく円は点を創り続けて 
    円の匂いはヒフミヨの匂い 

    いつかきっと円も恋に落ちるだろう 

    繋げる点を追いかけ出会えず 

    点の話をしよう 
    曲がらないうちに 
    この恋(点)が冷めてしまわないうちに

    直線はさんかくでこころはヒフミヨだ
    曲がる点よ飛んでゆけ 

    曲がる点よ飛んでゆけ 
     
    「ヒフミヨイの歌」の精神で、カタチ(平面・2次元)で≪…«出来事»にシンクロ…≫を、円環での△◇の椅子取り(点決め)ゲームに≪…«時間は存在しない»…≫を、数の言葉ヒフミヨ(1234)に≪…«出来事»…≫を、時間を時間とはさせない(時間は存在しない)となる≪…脳内の魂のありか«松果体»…≫を、「すうがくでせかいをみるの」の「極座標」と「直交座標」に想う・・・