
詩人・田村隆一《帰途》 沈黙に内包されていたすべての言葉たちが解き放たれた時、思考(時間)が動き出し世界が曇り始める。
言葉、思考、時間の範疇で捉えきれないもの(ありのままの世界)をあえて言葉で表現しようとする詩人の詩は、確実に矛盾を孕みます。それは時間の範疇にない《永遠》を時間で測るようなもの。
言葉、思考、時間の範疇で捉えきれないもの(ありのままの世界)をあえて言葉で表現しようとする詩人の詩は、確実に矛盾を孕みます。それは時間の範疇にない《永遠》を時間で測るようなもの。
すきすきすきすきすきっすき、一休さん。 アニメのイメージの一休さんは、ほぼ作り話。パンクロッカー《一休宗純》は、女色、男色なんでもござれ。寒さを凌ぐために、なんと仏像さえも燃やしてのけるアナーキーぶり。その手ごわさは誰も太刀打ちできません。
あまりにもせつなく、あまりにも美しい、成就されずに黄昏れて行く純愛。アンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソンの名演は、小説とはまた違った慕情を醸し出します。それは胸が張り裂ける様な、上質なプラトニック・ラヴストーリー。(ネタバレありです)
記号として変換されデジタル化された様々な言葉を、豊かな感受性で解凍し、言葉になる以前の《沈黙》を 詩情豊かな《ことば》として再現させる、詩人・長田弘。
民俗学者・柳田国男をして、日本人の可能性の極限と言わしめた南方熊楠。信じがたき知識量と記憶力、傍若無人な振舞いにも関わらず、純粋無垢な人懐っこさ。その計り知れない人間力は、説明不可能の明治の巨人?変人?奇人?怪人?
夭逝の童謡詩人、金子みすゞ。その短い生涯の間に500余編もの詩を綴ります。子供のままの感受性で世界を感じ、純粋無垢な視座から、広く俯瞰した神の視座へダイナミックに移行するその詩編の振り幅は、自身の祈りと絶望の人生に、転写されてしまうのです。
自らの毒で自らを蝕み、むきだしの感受性は己が命をも削る。虚構を葬った孤独の内宇宙で言葉を編み詩を歌う。 詩人の宇宙はあまりにも美しくあまりにも儚い。
四コマ漫画《ネ暗トピア》の衝撃デビューから、自ら考える事を放棄し、《大衆の常識》《様々な権威》に無自覚に迎合してしまった僕たちに対して、その常識や権威を徹底的に破壊し続け、その後に残された不条理の荒野で「君は何を感じ、何を思うのか?」を常に問い続ける、宮城のバケモノ漫画 家です。
様々なジレンマを抱えながら、《人間とは?真実とは?芸術とは?》を我が命を削りながら生涯探求し続けた不世出の天才、 宮澤賢治の本質を垣間見せる詩《告別》。
この世に生まれた意味、そして生きる意味。それは言葉で簡単に語れるほど単純なものではないでしょう。 しかし尾崎放哉は、言葉で語れないそれらのものを たった一行の自由律俳句にのせて、いとも簡単に語ってしまいます。