ウィリアム・ワーズワース《草原の輝き》 幼少の頃に見た、光輝く草原。草花、木立、小川、小鳥、蝶々、虹、そよ風の煌めきを もう僕達は二度と見ることが出来ないのか?

草原の輝き

ウィリアム・ワーズワースの美しい詩をベースに作られた、ピンクマルティーニの楽曲に《Splendor In The Grass》というのがあります。中でもストーム・ラージをボーカルに迎えたライブバージョンは涙が出るほどに素晴らしく、この曲をご紹介すると共に、聴きながら思いついた、くだらないショートショート物語も無理やりにお届けいたします。


ここ福岡もようやく、二月いっぱいで緊急事態宣言が解除されました。それでも僕達は引き続き、それなりの自粛生活を余儀なくされ、相変わらず閉塞感に包まれたままの生活が続きそう。 

出来ることは本を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたり、空を仰いだり、月を見て裸で踊ったり…。

と、ここで思い出すのは幼いころに見た風景の美しさ、みずみずしさ。今年も桜の季節が近づき、美しい薄桃色の桜の花が咲き誇るのでしょうが、60年以上生きているジジィが見る桜は、年々色褪せて見え、満開時の躍動感や高揚感も薄くなっているように感じるのは気のせいなのでしょうか? 

目も衰え耳も聴きとりにくくなっている、肉体的な衰えは自覚するところなのですが、経験や記憶したイメージの蓄積による感受性の衰えも大きく影響しているように思えるのです。年老いても尚、様々なことに興味を失わず、これから先の激動の時代をしっかり見届けてやろうと思い、元気で長生きをモットーに生きているわたくしは、大きな危機感を抱いてしまったのです。


そこで、ウィリアム・ワーズワース《草原の輝き》

その一節は、上記の事を適切に表しており、改めて読み直してみると、


What though the radiance which was once so bright

Be now for ever taken from my sight,


Though nothing can bring back the hour


Of splendour in the grass, of glory in the flower;


We will grieve not, rather find


Strength in what remains behind…


勝手な意訳なのですが…、


かつてあれほどに光輝いていた景色。 彩、形、匂い、音、太陽、月、星、風

その輝きは今、私の眼前から永遠に消え去ってしまった…


草原が青く広く光輝き、野花が煌びやかに咲き誇っていた


あの時代は再び戻ってくることはないけれど


もう嘆き悲しむのはやめよう


私の奥底に寝むる命の源の力を信じて


今こそ、新たなる輝きを見出そう


作者のウィリアム・ワーズワースの意図とは違うのかもしれませんが、僕の願望を込めての意訳です。 特に最後のフレーズの意味は、

「幼少期に輝いていた溢れんばかりの感受性は、歳を重ねるにつれ我欲から発する様々な苦悩や恐怖、それらからの自己防衛のために削られ続けてしまった。しかしそれでも、僅かでも残されたものの中に力を見出そう」

 と書かれているようです。


しかし、僕は幼き頃の感受性はけっして無くなっている訳ではなく、生き抜く為の苦悩や恐怖のレイヤーに覆い尽くされ、見えなくなっているのだと信じたいのです。 歳を重ね、もし苦悩や恐怖のレイヤーを削除することの可能性を信じるなら、幼少期にみた世界の輝きとはまた違った次元の光輝く世界を ジジィになった今だからこそ見ることが出来るのではないか? その願望が、

「私の奥底に寝むる命の源の力を信じて 今こそ新たなる輝きを見出そう」

となったのです。

からす



ピンクマルティーニが奏でる《Splendor In The Grass》。その間奏で、チャイコフスキー「ピアノ協奏曲第一番」をフィーチャーした箇所があり、そのバックにボーカルのストーム・ラージのコーラスが入ります。
それは人間賛歌のような壮大な響きで、どんな人生も生き抜いただけで全肯定だと歌っているように聴こえたのです。


楽曲を聴きながら、この高尚な詩とはかけ離れた、くだらない物語を思いついてしまったので、お時間が許すのであれば、お付き合い願えれば幸いです。


《令和踊念仏》

幼少期大好きだった歌に、ハナ肇とクレージーキャッツ《ホンダラ行進曲》というのがありました。


一つ山越しゃ ホンダラダホイホイ

もう一つ越しても ホンダラダホイホイ


越しても越しても ホンダラダホイホイ


どうせこの世は ホンダラダホイホイ


だからみんなで ホンダラダホイホイ


ホンダラダ ホンダラ
ホンダラダ ホイホイ


ホンダラホダラダ ホンダラホダラダ 
ホンダラホダラダ ホイホイ


ホンダララッタ ホンダララッタ
ホンダラホダラダ ホイホイ



作詞家・青島幸男の最高傑作! こんなに素晴らしい歌詞をわたくし、後にも先にも見たことがないのです!

からす


この歌をこよなく愛した男がもう一人。

この物語の主人公、蒼葱物産・経理課課長 草柳惣一朗59歳定年間近 
県立商業高校卒業後、蒼葱物産入社。 以後40年余りの人生の全てを蒼葱物産
に捧げた、寡黙で実直な仕事人間。

今年は草柳惣一朗にとって最後の《蒼葱物産御花見大会》

毎年のように、前日より泊まり込みで、大きな桜の下の絶好の場所にブルーシートを敷きスタンバイ。 そんな役回りは部下にやらせれば良いものを、自分で出来ることはすべて自分でやってしまう性格の草柳惣一朗。こういったところが生涯課長止まりの理由だと未だにわかっていない草柳惣一朗59歳定年間近。

毎年恒例の長くて何の抑揚もない社長挨拶から始まった今年の《蒼葱物産御花見大会》は、同じようにつまらない社員の余興が続く間、草柳惣一朗は米つきバッタのようにペコペコ頭を下げながら、上司や部下たちに長年の感謝御礼を込め、お酌をしながら回っております。
しかし自身は根っからの下戸。酒を一滴も呑まずに飲んだくれ達の相手をする草柳惣一朗は、面白くもくそもない真面目人間と皆から揶揄されており、お世辞の一つも言えない無骨な性格も手伝って、引き立ててくれる上司もいないまま定年間近。


宴もたけなわ、いよいよ今年の花見大会も終わりに近づく頃、締めの余興を今年で最後の草柳惣一朗にやらせるべく、部下の皆が面白半分に囃し立てます。 生まれてこのかた、人前で余興など一度もしたことがない草柳惣一朗は断わり続けるのですが、社長の一言、

「草柳君、最後なんだからひとつ歌でも歌って大いに盛り上げてくれないか?」

困り果てている草柳惣一朗も社長の一言で腹を決め、歌うことを決意。 それでも歌詞カードもなくフルで歌える歌はと思いを巡らしていると、たった一つ思い浮かんだのが幼少期大好きだった ハナ肇とクレージーキャッツ《ホンダラ行進曲》。後にも先にも歌謡曲を好きになったのはこの曲だけ。テレビの中で歌い踊るクレージーキャッツの舞台は、眩いばかりに光り輝いており、その強烈な体験を草柳惣一朗は40年振りに思い出してしまったのです。

「それでは不肖草柳惣一朗、蒼葱物産に対し長年の感謝の意を込めまして、歌わせて頂きます。ハナ肇とクレージーキャッツ《ホンダラ行進曲》。」

カチコチになって直立不動で歌い始める草柳惣一朗。 《ホンダラ行進曲》なんて古い曲、誰も聞いたことはなかったのですが、その緊張した顔と佇まいが妙に可笑しく、手拍子を打ってヤンヤヤンヤと囃し立てる部下一同。

初めて演者として歌い始め、手拍子と声援を受けた草柳惣一朗。エンタメにおいての《ウケる》という麻薬は、素人の人間をも狂わせるもの。一度も歌い踊った事のない草柳惣一朗だったのですが、歌っているうちに徐々に緊張も羞恥心も薄れてゆき、昔テレビで見た植木等谷啓の踊りを思いだしながら、両手を上げその場でくるくる廻りながら ホンダラホダラダホイホイ と舞い踊り、無我の境地となって全身全霊をかけた、魂のパフォーマンスを魅せはじめたのです。

最初は茶化し気味に煽っていた社員たちは一同唖然!

上手く見せる、美しく魅せる、面白く見せるなどの一切のたくらみのない草柳惣一朗、渾身のパフォーマンスは、見る者の心のド真ん中にド直球で突き刺さります。
 
草柳惣一朗自身は全くもって無自覚で、どこにそのベクトルをむけているのかサッパリわからない超芸術的自己表現! 
理性というタガが外れた草柳惣一朗の潜在意識の大海から巻き起こる、人生60年の喜怒哀楽、努力、辛抱、笑い、涙、人生の不条理の、金波銀波の大波小波!

その圧倒的な魂の咆哮は、あっけにとられていた観客をも巻き込み、社員たちは草柳惣一朗の歌い踊る ホンダラホダラダホイホイ の輪の中に次々と吸い込まれてゆきます。 

増々ハイになって歌い踊る草柳惣一朗の眼前に広がる桜並木の風景は、子どもの頃に見て感動した彩鮮やかな桜とはまた違う、光輝き舞い上がる桜吹雪。
光、彩、空、風、鳥、そして人々。それらが混然一体となって美しいハーモニーを奏で、

歌舞いて歌舞いて歌舞いて、桜吹雪。


その光景は、草柳惣一朗の脳内に大量のエンドルフィンを分泌させ、その多幸感は花吹雪の中に、クレージーキャッツの面々が満面の笑顔で歌い踊っている幻覚さえ見せ始めます。そのクレージーキャッツの面々を追うように、桜並木を歌い踊りながら練り歩く草柳惣一朗。そして後に続く社員一同。

そのホンダラダホイホイの行列は、他の花見客をも次々と吸い込み、大集団となって日本全国津々浦々を大行脚。

ついには天上界で眠っていた空也上人一編上人をも揺り起こし、

ここに《令和踊念仏》として蘇ったのでした!


一つ山越しゃ ホンダラダホイホイ

もう一つ越しても ホンダラダホイホイ


越しても越しても ホンダラダホイホイ


どうせこの世は ホンダラダホイホイ


だからみんなで ホンダラダホイホイ


ホンダラダ ホンダラ
ホンダラダ ホイホイ


ホンダラホダラダ ホンダラホダラダ 
ホンダラホダラダ ホイホイ


ホンダララッタ ホンダララッタ
ホンダラホダラダ ホイホイ