晩秋の夜長、今一度《荒木一郎》の脱力の歌声に耳を傾けてみる。

荒木一郎の名曲9選

魅惑のシンガーソングライター《荒木一郎》の楽曲は、遥か彼方の時代に置き忘れてきた甘酸っぱくもやりきれない名付けることの出来ないあの感情を思い起こさせる。 その残り香は、二度と取り戻すことの出来ない物語たちの残像。

暇で何もない日は、夜9時頃には床に入り読書を始めます。最近は遠い昔に読んで感動した《弓と禅》を読み返しているのですが、これが異常に面白く、ワクワクしながら読み始めるも、ものの10分も経たないうちに速攻で寝落ち。 心躍り楽しいのに、ものの10分も経たないうちに速攻で寝落ち。若いころは、面白い本に出くわすと夜通し読みふけっていたものですが、還暦すぎのクソジジィはものの10分も経たないうちに速攻で寝落ち。 

この集中力のなさに愕然とするのですが、更に始末に悪いのは、速攻で寝落ちしたものの2時間おきに目が覚めてしまうことなのです。最近は朝までしっかり寝る体力さえも低下しておるのですが、夢うつつの時間帯に見る夢は、何故か古い感情を揺さぶるものが多く、目が覚めた時のどうしようもないやりきれなさを癒すのに最適なのは《荒木一郎》の鼻歌のような歌声。(何故だ?)

からす


人は誰も、時代の一瞬一瞬を生きています。 あの頃心を通わせた、あの人、あの娘との心の響きあいは、瞬時瞬時にその空間に霧散し、二度と同じ体験をすることは出来ませんが、その時感じた喜びや切なさ心の痛みやもどかしさ、それらすべてを含んだ名付けることの出来ないあのジュンとした感情のかけらは、日常のふとした瞬間に何の前触れもなしに襲ってきます。 

僕は《荒木一郎》の歌声を聴く度に、あのジュンとした感情のかけらを思い出し、胸が締め付けられるのです。

このブログを始めて間もないころに一度、 《荒木一郎》 を記事にしているのですが、今回はその懐かしくも麗しい、遠い日のあの数々の感情を思い起こさせる《荒木一郎の名曲9選》をご紹介。
 
尚、人生で置き忘れてきた涙が出るほどに懐かしくも麗しいあのジュンとした感情の残り香に悶え苦しんでも、当方一切責任は負いかねます。

からす


①いとしのマックス


荒木一郎、1967年のヒット曲。 当時大流行のエレキギターの特徴的なイントロから始まるロックテイストの楽曲。 しかしながら改めて歌詞を読み込んでみると、荒木一郎の持つストーカー感満載で、大好きな君に僕の好みの真っ赤なドレスを着せて、今宵踊ってほしいと懇願しとるのです。更には僕から君(マックス)に、

「淋しいんだよーーっ!」
「抱いてほしいのさぁーーっ!」


と最高にめめしい事をほざいておるのです! そしてしまいに襲ってくる不思議なスキャット、

ドウドウドウドウドウ
ドウドウドウドウドウ
ドウドウドウドウドウ ドウ


ゴー!



何じゃそれーーーっ!! 

《ゴー!》の意味がわからん!《ゴー!》のっ!
そしてもっと声を張らんか――――いッ!!

だけど、当時小学生だった僕は最高にいかしたこの曲が大好きで、当時は珍しかった曲中に入る ♪Hey, Hey, Macks won’t you be my love♪ の英語のフレーズを必死に覚え自慢気に歌っていたのを思い出すのです。

アホ丸出しの小学生の心にさえ響いた、涙が出るほどに懐かしくも麗しいあの時のジュンとした感情は今はもう…。

からす


妖精の詩


荒木一郎は、その時心を動かされた対象(恋人、友人など)に向けて歌ってあげたいという衝動だけで歌が出来上がると言っています。 麗しの人に一点集中の想いをもって紡がれた詩と曲が、万人の共感を得た時、ある種の普遍性がうまれ、世に広がって行ったのでしょう。 

この《妖精の詩》は、その《一点集中の想い》で響きあった時代を 時を経た同じ二人が想い慈しむ歌。

《何もかも忘れ風の中を駆けた恋のあの日》その瞬間に放った熱い感情の響きは瞬時に消えてなくなります。涙が出るほどに懐かしくも麗しいあのジュンとした感情の残り香を慈しみながら、今現在の静かな幸せに時をゆだねる関係性は、比較的うまくいっている熟年夫婦の物語なのでしょう。
 
今も同じ二人なのでけれど、あの時の二人が奏でた熱い感情の響きはもう二度と戻ることはないのです。

からす


③あなたといるだけで


あなたといるだけで 幸福がある
あなたのほほえみが わたしをつつむ
あなたにそっと 口づけがしたい
あなたの知らぬ間に 青空の下で
ふくらんだ太陽が 明日に消えても
わたしは悲しくない 明日があるのなら
あなたといるだけで 幸福がある
あなたの言葉に 夢をみるでしょう

あなたといるだけで 幸福がある
あなたのまなざしが わたしのそばに
あなたにそっと 見つめている時
わたしの心に 虹が輝く
ふくらんだ太陽が 明日に消えても
わたしは悲しくない 明日があるのなら
あなたといるだけで 幸福がある
あなたの言葉に 夢をみるでしょう


もうド直球で、何のひねりもない恋愛ファンタジー!

すべての恋はファンタジーで、その瞬間は二人だけのために世界は止まっているのかもしれません。しかしながらその恋が互いを束縛し依存し期待しだしたその時から、互いの自我の衝突が始まり、世界は再び動き出してしまうのです。
 
だけど恋の始まりは 何時だって 《あなたといるだけで》完全無欠のファンタジーがうまれ、わたしの心に虹が輝くのです。

からす


④今夜は踊ろう


荒木一郎2枚目のシングル。 ミリオンセラーを達成した大ヒット曲でした。デビュー曲空に星があるようにの2ヶ月後のリリースで、当時小学生だった僕はこの曲にも夢中になり、♪Yes I’m dancin’ baby Yes I do and I’ll be dancin’ all night long long long long♪ のフレーズも意味も解らないまま丸暗記、ホウキのエレキギターを抱えながら歌っておりました。 スイマセン。

ご機嫌で明るく、ノリノリなロックンロールなのだけれど、荒木一郎はこの歌も鼻歌を歌うように淡々と歌いきるのです。 聴いている僕たちは消化不良をおこしてしまうのですが、そのうちに聴き慣れてきて、突き放すようなこの歌唱法が癖になり、虜となってしまうのです。

同時代を生きた大スター、若大将《加山雄三》は、どの曲を歌っても太陽のような輝きを放つのですが、 モラトリアム人間 《荒木一郎》は当時から青い月、青い星々の、どこか淫靡な煌めきを放っていたのです。 僕は加山雄三も大好きでしたが、少年の心にジュンと来るものは、圧倒的に荒木一郎の楽曲が多かったのです。

後年、有線放送で流れていた、舘ひろし《朝まで踊ろう》を聴いたとき、《今夜は踊ろう》を思い出し大好きになったのですが、やはり モラトリアム人間 《荒木一郎》 の醸し出す淫靡で妖しい煌めきまでは、暴走族のヤンキーには放てなかったのです。

からす


北風よ


この曲は岸本加世子に書き下ろした、ドラマ《ムー》の劇中歌でした。当時アイドル路線だった岸本加世子の可愛らしくもへったくそな歌声もそれはそれで良いのでしょうが、やはりセルフカバーされた荒木一郎バージョンは素晴らしい! 究極のロマンチスト、荒木一郎ならではの瑞々しい世界観。

荒木一郎の歌唱はいい感じで力が抜けていて何処か恥じらいを感じるのですが、歌い終わりの微妙な余韻を残すビブラートが不思議な空気感を醸します。特にこのような十代の娘心を歌ったナイーヴなバラードにはピッタリとハマってしまうのです。

この曲の主人公は、始めて感じた《恋》という感情をもてあます十代半ばの女の子。 少し時がたち《恋》という感情をなんとなく理解し始めた時、空を駆けめぐる北風に、その想いを伝えてほしいと願う、心美しき娘心を歌っております。しかし、世に溢れる十代の娘心を歌ったアイドルソングのほとんどが男性目線で書かれており、その娘心の描写は、こうあってほしいと願うオッサンたちのロマンチックなファンタジーであることがほとんどのように思うのです。 しかしながらこの妄想の数々が多くの芸術作品を生み出しているのですから、《オッサたちンのロマンチックファンタジー》も捨てたもんではありません。

からす


⑥ジャニスを聴きながら


♪街はー     (追っかけコーラス)マッチワルワー

コカ・コーラ  (追っかけコーラス)コッコカルワー

ふるさとはー   (追っかけコーラス)フッフルシュワー

♪売られていたー


何じゃっ、この追っかけコーラスはっ!


始めてこの曲を聴いたとき、飲みかけのコーラを噴出してしまった(嘘です)僕なのですが、コメディーソングっぽく歌っているこの歌詞をちゃんと聴きこんだ時、当時のニッポンの風潮をオシャレに皮肉っており、そのワードセンスに脱帽したものです。戦後日本の価値観は大きく変わり、日本国土や国民のほとんどがアメリカナイズされた状況のなか、《さみしさにジャニスを聴きながらひと寝入り》する僕。

で、このジャニスとは誰なのか? 時代的に正解なのはジャニス・ジョプリンなのでしょうが、僕の頭に最初に浮かんだのがジャニス・イアン
当時、高校生だった僕の友達がジャニス・イアンの大ファンで、遊びに行くたびに無理やり聴かされ続けていたのでそう思ったのでした。無理やりに聴かされたジャニス・イアンだったのですが、そのうちに僕も大好きになりジャズを好きになる入口の一つとなったのです。 

でもやっぱりジャニス・ジョプリンなんだろうなぁ。

からす


⑦夜明けのマイウェイ


今までの人生を振り返り、また新たな気持ちで人生を歩んでいこう、という歌なのですが、荒木一郎の哀愁や悲哀は明るい決意の裏にべったりと張り付いています。
ここが加山雄三との大きな違い。 スポーツ青年はどもまでも明るく前向きで、文学青年の苦悩は一切持ち合わせてはいないのです。


♪悲しみをいくつか乗り越えてみました
振り返る私の背中に まだ雨が光っています


♪悲しみをいくつか乗り越えてきました
振り返る私の後ろに ほら虹が揺れてるでしょう


♪悲しみをいくつか乗り越えてきました
振り返る私の向うに 青空が見えてるでしょう


このサイクルを何度も繰り返しながら人生は回ってゆきます。


♪もう昨日は昨日 明日は明日
今迄のことは忘れ 花びら色のさわやかな日を
迎え始めています



と歌いながらも、再び私の背中に土砂降りの雨が叩きつけられることを予感せずにはいられない、超マイナー思考の僕なのです。しかし、雨上がりの大空に信じられないほどに大きく美しい虹がかかるのを見つけた時、人生捨てたもんじゃないと思わせてくれる《夜明けのマイウェイ》

からす


⑧君に捧げるほろ苦いブルース


僕が高校生になったころに、ラジオの深夜放送から流れてきた久々に聴く荒木一郎の歌声。 その瞬間、まだ十数年しか生きていない鼻たれ小僧の僕の胸の奥底に眠った、涙が出るほどに懐かしくも麗しいあのジュンとした感情のかけらを思い出し、胸が締め付けられたのです。
これはデジャヴュで、小学生時にも体験していたのです。 そう、《空に星があるように》を初めて聞いた時。

このブログ記事のテーマである
《遥か彼方の時代に置き忘れてきた甘酸っぱくもやりきれない名付けることの出来ないあの感情》
を思い起こさせる荒木一郎の楽曲の特徴がダダ洩れの名曲! 当初は恋人の歌だと思い込みその物語の映像をシミュレーションしながら聴いていたのですが、後に、飼い猫が亡くなった時のお話だと知って

「うっそぉ――――――――――ッ!!」

と叫んだ、六月の空を見ればまぶしすぎる僕。


いやいや、

♪ゆきずりの夜に買う綿あめは 君と愛した味がする♪  
は猫との出来事?

♪ゆきずりの街に聞く汽車の音は 君と愛した音がする♪ 
も猫とのもの?(高校生時のわたくし、エロいことしか想像できませんでした)

更には 

♪横書きの白い地の便箋は 愛を記した時もある♪ 
って、絶対やなぁ! 絶対猫に白い便箋で愛を記したんやなぁーーーーっ!


と、大きく取り乱した記憶があるのですが、わかりやすくエンターテーメントにするためにこのようなフレーズになったんだろうなぁと想像するわけなのですが、モラトリアム人間の荒木一郎、飼い猫を本当に擬人化しながら生活していた事も十分考えられるのです。この人の天才的な才能は、凡庸な僕らでは計り知れないものがあるわけで、それ以上詮索するのはやめにして、思い出の紫蘭の花を庭の隅に埋めようと思います。


飼い猫を擬人化しながら生活していた(あくまでもわたくしの想像)荒木一郎なのですが、この楽曲は《名付けることの出来ないあの感情》が詩やメロディーから滲み出ており、いま聴いても悶え苦しむのは僕だけでしょうか?

からす


⑨空に星があるように


言わずと知れた、荒木一郎のデビュー曲。

僕は良い曲や歌を聴くと自然と涙が滲むのですが、この曲はその最たるもので、何度聴いても胸が締め付けられ涙が溢れてくるのは僕だけではないはず。上記でお話した《君に捧げるほろ苦いブルース》とはまた違った所の心の奥底にうごめいている、人が根源的に持っている《名付けることの出来ないあの感情》が揺さぶられてしまうのです。

今までご紹介したすべての歌に共通する、この荒木一郎の楽曲最大の特徴が、今の時代になっても歌い継がれる理由なのではないでしょうか。



空に星が あるように
浜辺に砂が あるように
ボクの心に たった一つの
小さな夢が ありました

風が東に 吹くよう
川が流れて 行くように
時の流れに たった一つの
小さな夢は 消えました

淋しく 淋しく 星を見つめ
ひとりで ひとりで 涙にぬれる
何もかも すべては
終ってしまったけれど
何もかも まわりは
消えてしまったけれど
春に小雨が 降るように

秋に枯葉が 散るように
それは誰にも あるような
ただの季節の かわりめの頃


一切難しい言葉は使わずに、万人が持っている《名付けることの出来ないあの感情》にダイレクトに響き渡らせる歌詞、そしてメロディー。特にサビに入ってからの歌詞とメロディーは涙流さずにはおれません。更には極力感情を抑えてさらりと軽く囁くような歌唱法は、個人的な物語なのだけれど、誰もが共感する物語に変換させる力を感じるのです。 以上、《荒木一郎の名曲9選》のご紹介でした。

からす



え? なんで9選? 中途半端で気持ちわるい? 

はい、10曲選んだつもりだったのですが1曲抜け落ちていて9曲になっていることを今気が付いて、もうめんどくさいので9曲といたしました。
で、抜け落ちていた曲なのですが、これが《6月》という下島君(だれッ!)が登場する不思議な曲だったのですが、機会があればいつか語ります。

からす



《遥か彼方の時代に置き忘れてきた甘酸っぱくもやりきれない名付けることの出来ないあの感情》をテーマに荒木一郎を語ったつもりだったのですが、いつものように支離滅裂。とりあえずこんな駄文は無視していただいて、皆様には晩秋の夜長、荒木一郎の歌の世界に浸っていただいて、もう二度と蘇ることのないあの時代、あの人、あの娘との物語に悶え苦しみつつ、今この瞬間にしか紡ぎえない、現在進行形の新たな物語に心ときめきながら生きていける様、心より祈って…。

おしまい