心地よいイントロ、心地よいバックコーラス、そして、アイドルであろうともしっかり鍛えられた歌唱力。 これらが完璧に融合して奏でられる、昭和のオッサン達の描く理想少女像のファンタジー。 これぞ昭和歌謡曲の傑作アイドルソング!
石立鉄男が、「おい!チー坊!チー坊!」と叫ぶ少し前、高校教師でありながら女子高生の飛鳥(岡崎友紀)18歳と結婚生活を送っていた頃の大ヒット曲。 漫画のようなラブコメディドラマ(原作は本当に漫画)《おくさまは18歳》で一躍有名人となった岡崎友紀と石立鉄男。 その後岡崎友紀は女優として引っ張りだことなり、歌手としてもその瑞々しい歌声と抜群のビジュアルで大成功。たくさんのヒット曲を生み出します。その中で最大のヒット曲が《私は忘れない》。
中学校に入学したばかりのころ、火曜夜7時は家族みんなで食卓を囲んで、ドラマ《おくさまは18歳》をゲラゲラと笑いながら観ていた記憶がある僕なのですが、石立鉄男のとんでもないオーバーリアクションと顔芸の演技ばかりが印象に残っており、岡崎友紀という女優さんは好きでも嫌いでもありませんでした。
しかし、その後大ヒットした《私は忘れない》を聴いた瞬間、中学生の鼻たれ小僧は何とも言えない慕情と郷愁を感じ、悶え苦しむこととなるのです。
50余年の時を越え久しぶりに聴き直した所、ジジィになった今、鼻たれ小僧当時の何倍もの慕情と郷愁を感じてしまい、狂おしいほどに再び悶え苦しむ、8月猛暑の眠れぬ夜。
昭和のオッサンたちが描く理想の少女像の昭和歌謡曲なので、歌詞の内容はよくわからないのですが、イントロから始まる麗しい女性コーラス(シンガーズ・スリー)の心地よさに慕情を 12弦ギターの音色に郷愁を そして岡崎友紀の透明感のある真っすぐな歌声とせつないビブラートで奏でられる筒美京平のメロディーに誘発され、人生のあらゆる局面で放ってきた様々な《慕情》たちが雪崩のように僕の胸の中で暴れだします。
【人生のあらゆる局面で放ってきた様々な《慕情》たち】
人は誰でもたくさんの恋の物語を紡ぎながら人生を歩んでいきます。 その物語の記憶は自身のフィルターを通して編集した上、ある程度正しい時系列で脳内に記憶されますが、その時々に放たれた様々な《慕情》は何処に記録されているのでしょうか?
こんなどうでもいいくだらない事ばかりグダグダ考えてしまうめんどくさい僕なのですが、《私は忘れない》等の素晴らしい音楽を聴くたびに、物語よりもそこから誘発され放たれた《慕情》たちが再び蘇り、胸の内で暴れだし、今までの人生で放たれてきた涙が出るほどに懐かしくも麗しいあのジュンとした残り香に悶え苦しむ、8月猛暑の眠れぬ夜。
物語の詳細は脳の海馬や大脳皮質に記憶され必要に応じて想起されるのでしょうが、その時々に発した《慕情》たちは、いったいどこに漂っているのでしょうか?
【慕情とは何か?】
それを発した本人でさえも捉えきれず、理性や理屈では抑えきれない湧きあがる衝動。 《喜怒哀楽》のカテゴリーだけでは収まらない複雑な感情。
愛しているのに何故か憎しみが浮き上がり
大好きなのに嫌いになりたい
心地よいがために苦痛を求め
苦痛の中に喜びを感じ
喜びの中に切なさが潜み
幸せの真っただ中に不安が湧きあがり
求めているのに拒絶する
相反するものばかりではなく、そのグラデーションの中で様々なものが入り乱れた、言葉では到底表現できない、数えきれないほどの《想いの塊》は、人類誕生以来、約20万年の長きにわたって、波動というエネルギーとして地球の大気圏内に漂っているように思えるのです。 個人が《慕情》を発した刹那、大気圏内に漂っているそれと同じような波動を持つ《慕情》たちが響きあい何倍にも膨れ上がり、幻想や妄想を呼び起こします。
《永遠の慕情》
私は白石君が好き。大好き。本当に好き。
理由はない。
それほどイケメンでもなく、スポーツが秀でている訳でもなく、勉強だって出来ないほう。クラスの中でもそれほど目立つわけでもないし、たまにギャグを言うのだけれど何時だって滑りまくっている。
だけど私は白石君が好き。大好き。本当に大好き。
勉強しているときも、ご飯を食べているときも、お風呂に入っているときも、トイレにいるときも、歩いているときも、走っているときも、寝ているときでさえ、私の心に白石君がいる。
だけど白石君とは一度だって話したことがない。同じクラスになってもう半年、毎日顔を合わせているのだけれど白石君は私の事など興味がないらしく、目も合わせてくれない。
だから私は白石君の事は何も知らない。
だけど私は白石君が好き。大好き。死ぬほど大好き。
私の心の中の白石君は、日を追うごとに大きくなってゆく。
私に出来ることと言えば、白石君が学校をサボった日(白石君はズル休みが多い)、その日の授業のノートを放課後机の中にそっと忍ばせることぐらい。もちろん私の名前は書かない。 それだけが唯一のコミニュケーション。(一方的だけど)
だって私には告白する勇気も自信も無い。 たとえ勇気を絞って告白して、断わられても、万が一受け入れられたとしても、私の心の中の白石君はその瞬間に消えてしまいそうで怖いもの。
今のままでいれば、私の心の中の白石君は私だけのもの。私の大好きな白石君は、私の大好きな白石君のままずっと心の中でいつづけてくれる……。
あれから50年。
当時の私は、白石君に何のアプローチも出来ないまま高校を卒業。その後白石君とは一度も会っていない。
白石君とは違う大学に入り卒業して地元の中小企業に事務員として就職。その職場で知り合った営業社員の男性と小さな恋愛の末結婚。子ども二人を育て上げ、今では定年退職した夫とふたり暮らし。夫とはそれなりの情で結ばれてはいるものの、夫が定年退職するまでの長い年月の間に、共有する趣味や価値観が大きく変化してしまい、深い会話はもうできない。
それでも、そんなに裕福ではないにしろ、平々凡々な暮らしの中で夫にも周りの人々にも十分感謝している私。だけれど、今になって高校時代に放ってきた《慕情》が再び私の心の中に蘇る。
あの時代の白石君も、あの時代の私も、今となっては幻想であり妄想でしかないのだけれど、あの《慕情》だけは今でも超リアルで、私の胸の中を駆けめぐる。
時を重ねた夫との時間と愛情は、時と共に変化し続けるものだけど、私の心の中の白石君は、あの時のまま変化することもなければ消えることもない。
忘れたくても忘れられない、懐かしくも麗しいあのジュンとした残り香。それは《永遠の慕情》