《深夜の街の大通りを狂ったように大声で叫びながら全力で走り抜けたくなるほどの衝動を起こさせる日本のパンクな名曲10選》

ギター男


意味や理屈なんかはクソくらえ! 真理はヴァイヴレーションだぁーーーーーっ!!と、意味もなく天に向かって叫びたくなるような時って、三年に一度程はありますよね?(ないわっ!) 今ここに、確実に生きていることを確認したくて、やみくもに走り出したくなる時って、五年に一度程はありますよね?(だからないって!) そんな衝動を起こさせてくれる、パンクな楽曲10選をお届け。

「長いっ! 題名が長すぎるちゅーとんねん!」という声が、僕の特殊能力(ただの妄想)を通して聴こえてくるのですが、今回は、思春期の青臭い衝動を生涯感じていたいと願っている還暦過ぎたジジィに、いまだに《今を生きることの大切さ》を感じさせてくれる楽曲をセレクトしてお届けします。

幼い時分から、言い訳を言わせたら天下一品! あー言えばこー言う、とにかく

「僕は悪くないのです、すべて僕のせいではないのです。」

の理論武装を重ねてきた筋金入りの屁理屈人間の僕なのですが、思春期を越えて30代半ば辺りから、

「何かが違う、何が違う?……  あっ、俺が違うんだ!」

と気付きます。
もう、気付くのが絶対的に遅すぎたのですが、《人間、何時だって上書き可能》という都合の良いフレーズが頭をよぎり、徹底的に自分自身の思考回路をぶっ壊したくなったのです。

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そのキッカケとなったのが、町田町蔵のパンクロック。

わたくし、40歳前後でのパンクデビュー。これまた遅すぎる目覚めなのですが、とにかく気持ちが良すぎた! 単純な音楽なのだけれど、僕の思考の三半規管を徹底的にぐらつかせてくれ、その時だけは、くだらない常識や分別を破壊してくれるパンクロックのパワーは、僕にとって本物だったのです。

今回はパンクロックに限らず、ジャンルを越えて僕がパンクの風を感じた音楽をセレクト。 

間違っても、何かをやりながらポヤポヤ聴く音楽ではありません。 

身も心もスッポンポンになって全身全霊で受け止めないと火傷しそうな曲ばかり。 日本語の響きも感じ取って頂きたいので、今回の選曲は日本のミュージシャンに絞ってお届けいたします。

《昭和》《平成》の時代にとどめを刺し、新時代《令和》を生き抜く覚悟を持って、

心して聴きやがれ!!


尚、全曲聴いて脳味噌パーーーーーーンになっても、当方、一切責任は負いかねます。

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①《気い狂て》  INU(町田町蔵)

初っ端からバリバリイケイケの関西パンク。 今や伝説のパンクロッカー、町田町蔵。 この曲はデビュー曲なのですが、今現在に至るまでの町田町蔵の音楽スピリットをほぼすべて表わしていると言っても過言ではないでしょう。

この人の記事は過去一度あげておりますので、興味のある方はこちらまで。

関西パンクミュージックの風雲児《町田町蔵》。日本文壇の異端児《町田康》。なにをやっても、そのジャンルを根底から 引っ掻き回し、異様な色気や狂気を放ちまくる!https://blog.akiyoshi-zoukei.com/katsu/archives/562

僕は作家・町田康(町田町蔵のペンネーム)の、《くっすん大黒》という小説でこの人を知り、その文体に衝撃を受け興味が湧いて調べたところ、その世界では知らない者がいないほどのパンクロッカーだということを知ります。 そこから、デビュー曲から今までの楽曲を聴きあさり、ドはまりしたわけなのです。 

丁度そのころ、イギリス映画の傑作《トレインスポッティング》を観てしまい、ジャンキーの悲惨さとは裏腹なパンク的な痛快さに胸躍り、《イギー・ポップ》などのパンクな挿入歌に痺れまくることとなるのです。

僕をパンクに目覚めさせてくれた町田町蔵の楽曲は、なんの根拠もなく教え込まれてきた常識や社会のルール。それを絶対正義だと信じ(宗教を信じる事と同じ)、思考停止状態で生きてきた僕たちの三半規管を狂わせ、元のアナーキーな状態に立ち戻らせてくれるのです。そしてそのカオスな状態が本当にカオスなのか、それとも何らかの宇宙的秩序を感じることができるのかを真剣に感じたり考えたりする機会を与えてくれます。

同じように作家・町田康の小説も独特の言い回しで独特のリズムを奏で、僕たちはどこからきて、どこに向かって、何に対して咆哮しているのか(生きることって何?)を突きつけられます。 そう、パンクロックとは、与えられたスケールで無自覚に生きるのではなく、自分自身のスケールで世界と対峙することだと
町田町蔵は叫びます(嘘です、こんな野暮なことは言っておりません)

単調なベースラインにノイズギターで始まるイントロはなぜか心地よく、サビの 

♪ええ加減にせんと、きいくるてしぬ

のマントラ的なリフレインで、気が狂っているのは自分なのか世界なのか分からなくなってくるような、別役実の不条理劇を観た後のような感覚をおぼえるのです。 意味なんか探らずに、このリズムと町田町蔵の狂ったような歌声に身をゆだねてみてください。

その結果、脳味噌パーーーーーンになっても、当方、一切責任は負いかねます。

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②《夜汽車のブルース》  遠藤賢司

一昨年、70歳の若さで亡くなってしまったエンケン。日本フォーク界の黎明期、名曲《カレーライス》で一躍脚光を浴びたのですが、それ以後表舞台には立てず、途中、ロックやパンクなどフォークに限らず、様々なジャンルに挑戦。僕の大好きな日本のミュージシャンの一人でした。

夢よ叫べ! 不滅の男《遠藤賢司》夜汽車のブルースをギターで狂った様にかき鳴らしブルースハープで吠えながら、銀河の宇宙へ旅立つ!https://blog.akiyoshi-zoukei.com/katsu/archives/1421


全仕事を改めて俯瞰してみると、その本質はフォーク出身の忌野清志郎と同じく、やはりパンクロッカーということがわかります。ジャンルに括られることを嫌い、生涯《純音楽家》と名乗り続け、真面目にちゃんと音楽をやり続けます。 

この《夜汽車のブルース》の演奏も、フォークソングの枠なんか遥かに超えています。 
この映像は、それまで歌っていたフォーク歌手の穏やかな歌をポヤ―っと気持ちよく聞いていた観客が、突然エンケンに首根っこをつかまれ、有無を言わさず力づくでパンクな音楽を聴かされるもの。かわいそうに…。

生涯コマーシャリズムに毒された音楽業界に馴染めず、真摯に、自身の求める音楽を追求していった遠藤賢司。その姿勢はパンク以外表現のしようがありません。 

それでは狂ったようにかき鳴らすギターとブルースハープ、そしてエンケンの魂の叫びをお聴きください。

その結果、脳味噌パーーーーーンになっても、当方、一切責任は負いかねます。

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③《終わらない歌》  THE BLUE HEARTS

福岡で一番有名な公園《大濠公園》の敷地内の片隅に小さな宅地がありました。戦後、満州から引き揚げた人たちの仮の住まいとして行政がしかたなく居住を許可したらしく、それぞれが小さなあばら家を立てて暮らしていたのです。そのうち高度成長期が訪れ、皆が立派な住宅に建て替えたものだから、市は強制的に立退かせることもできずに、その区画だけ公園内にもかかわらず住宅地のまま残ってしまったのです。

今から30年ほど前、僕はその環境が気に入り(徒歩3分ほどに福岡市美術館もあったのです)、大家さんが二階に住む一軒家の一階に仕事場を借りていました。 静かで景色もよく、とても気に入っていたのですが、すぐ隣に酒井法子の母校で(その当時、のりピーが在学中だったかどうかは微妙なところ、どうでもいいけど)有名な舞鶴中学校があったのです。

放課後になると、吹奏楽部の管楽器のスケール練習や太鼓の音がバンバン聞こえ、「ちょっとうるさいなぁー、こんなはずやなかった。」と思いながら仕事をしていました。 

そしてその当時、ラジオからよく流れていたのが、デビューしたてのブルーハーツ《リンダリンダ》。なんとなく気に入ってファーストアルバムを買い求め、仕事をしながらよく聴いていたものです。 すでに30過ぎたオッサンだった僕が、どうしてブルーハーツに引っかかったのか考えた時、その舞鶴中学校に通う何百人かの生徒たちの想念に、知らず知らずに影響され、ハマってしまったのかと思う今日この頃…。

とにかく、甲本ヒロトの歌声はとても魅力的で、なおかつパンクなのだけどメロディーラインがシンプルで美しく、さらに「ドキッ!」と突き刺さるフレーズが散りばめられており、

「そりゃ、中学生、高校生にはささるわなぁ。」

と、しっかり突き刺さった30過ぎのオッサンの僕は他人事のように思っていたのです。 中でも《終わらない歌》 のなかのフレーズで一番びっくりしたフレーズがこれ。

真実(ホント)の瞬間はいつも 死ぬ程こわいものだから

逃げだしたくなったことは 今まで何度でもあった

なれあいは好きじゃないから 誤解されてもしょうがない

それでも僕は君のことを いつだって思い出すだろう

僕自身も今だによくわからないのですが、グサリと刺さってしまったのです。 真実(ホント)の瞬間を体験した者しか語れない恐怖。 真実(ホント)の瞬間とは、死の瞬間に似たもの。自己を守る鎧(自我)をすべて脱ぎ去り、真っ正面から素っ裸で世界と対峙する瞬間こそが《真実の瞬間》。 

過去の知識や体験、イメージのすべてが消え、生身の感受性で感じることは、一瞬一瞬、過去の自分を殺しながら生きていくこと。  人は皆、その恐怖から真っ正面で無防備なまま世界と対峙しようとしませんし、できません。それは限りなく不可能に近いことなのでしょう。 

しかしながら、だれしも何度かはその入り口の景色を垣間見たことはあるず。 ハプニングで事故にあったり事件に遭遇した瞬間、人はそれまでの経験則からではなく全神経と五感のすべてを総動員して対処します。 その時の人間の情報収集のシステムは、思考(時間)の範疇になく、一瞬にして全体を掴む能力を発揮するのでしょう。 

これを自分の意志の下で体験することが《真実の瞬間》だとするなら、その体験の前に《自我の消滅》の恐怖を潜り抜けなければなりません。

言葉に置き換えると、こんなまどろっこしい表現になってしまうのですが、そこはパンク、感覚で感じるもの。

パンクロッカー・甲本ヒロトのように、自身のスケールで世界と対峙していくことは途方もないエネルギーを必要とします。それでも馴れ合いを嫌い、かすかに垣間見えた君《真実の瞬間》を思い出しながら、もう一度君に出逢うために《終わらない歌》 を生涯、歌い続けるのでしょう。

それでは《真実の瞬間》を感じながらお聴きください。

その結果、脳味噌パーーーーーンになっても、当方、一切責任は負いかねます。

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④《上を向いて歩こう 》《REMEMBER YOU》 忌野清志郎&甲本ヒロト

どこか共通点のある忌野清志郎甲本ヒロト。きっと純粋な感受性が似ているのでしょう。何度か共演を果たしています。
RCサクセションの音の厚みは、ギターの仲井戸麗市を中心としたロックサウンドと本物のジャズプレーヤーを揃えたブラスセクションの素晴らしさにあります。中でも僕の大好きなアルトサックスプレーヤー・梅津和時の音は、すさまじいパンクの息吹を放ちます。

世界で一番知られたj-pop、《上を向いて歩こう 》と最高のラヴソング《REMEMBER YOU》RCサクセションは、甲本ヒロトをフューチャーしながら最高のロックサウンドで聴かせます。やはり忌野清志郎甲本ヒロトが同じステージに立つと、意味もなくワクワクしてしまいますね。

僕が最初にRCサクセション・忌野清志郎を知ったのは中学生の時分。当時はフォークソングの全盛期で、僕も3か月でギター教室をやめた姉のガットギターの弦をスチール弦に張り変えて、フォークソングの教則本を見ながら練習。姉と同じく3か月で挫折した口なのですが、ギターコードの付いたフォーク全集に必ず載っていたのが、RCサクセション《僕の好きな先生》でした。

ほかのフォークの曲とは違い、どこかブルージーな感じが心地よく、大好きな曲で、忌野清志郎=フォークの認識が強かったのです。同じくギターの仲井戸麗市も、《さなえちゃん》という曲で知っていたので、後年RCサクセションがロックグループとして、《スローバラード》《雨あがりの夜空に》《トランジスタ・ラジオ》などでお二人がメジャーに躍り出てきた時にはびっくりした記憶があります。

このときのRCサクセションは、僕の中ではパンクロックの認識だったので、甲本ヒロトとの共演は何の違和感もなく、当たり前のように聴けるのです。

パンクロックバージョン《上を向いて歩こう 》は、ミュージシャンの見せ場、それぞれのソロパートがあり、ライヴバージョンならではの楽しさを味わえます。中でも甲本ヒロトブルースハープは必見! 本物のジャズプレーヤーを向こうに回し、一歩も引かないすさまじいソロを聴かせます。 清志郎の法螺貝の演奏もご愛敬(一時期サックスもやっていた記憶があるのですが、何で法螺貝になったん?)。

そしてRCサクセション《REMEMBER YOU》。いいですねぇ、なぜか泣けてきます。やはりパンクロックはライヴが一番!ライヴ会場の隅々まで二人の優しさや思いやりが満たされているのが、映像からも伝わってきます。ここでも甲本ヒロトブルースハープが心のひだに響きわたります。

それでは、涙がこぼれないように上を向いてお聴きください。

その結果、脳味噌パーーーーーンになっても、当方、一切責任は負いかねます。

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⑤《生きてるって言ってみろ》 友川カズキ

はい、知る人ぞ知る、絶叫の哲学者・友川カズキの登場です。

1974年3月、宇崎竜童に見いだされてデビュー。《生きてるって言ってみろ》は二枚目のシングルカット曲。それ以後、目立ったヒット曲もなく現在に至ります。 

その間、唯一メジャーな活動は、ちあきなおみ《夜へ急ぐ人》という楽曲の提供。この曲は紅白歌合戦でも歌われ、異様な妖気を放ちながら歌うちあきなおみは、今見ても怖すぎるのです。

東北人独特の深い闇を宿した眼をしており、寺山修司の佇まいに同じ匂いを感じます。この人も多彩な才能の持ち主で、中原中也に影響されて始めた詩集も何冊か出しており、絵の才能にも優れており、その画風はアンリ・マティスに通じたウォ―イズムを彷彿させるもの。

聴いていただければ分かるのですが、昭和の時代のどアングラ! 寺山修司唐十郎か? と、時代錯誤甚だしい魂の叫びなのですが、ブルーハーツの歌う《真実(ホント)の瞬間》を常に追い求めながら、生きる意味を探り続けます。 

おそらく、このカオスを通過した先に《令和》の時代にシンクロするであろう、《意味のない世界》バイブレーションのみで事足りる世界を垣間見ることができるのでしょう。

そしてなんと、中村中泉谷しげるがカバーしたバージョンもあるのです!

こちらは打って変わってスローバラードで美しくハモって歌っているのです。珍しく泉谷しげるがちゃんと歌っているのですが、世を儚んでいる感じが物悲しく、この歌の隠れたもう一つのメッセージが聴こえてくるのです。

どちらも真剣に向き合って聴いていただければ、もしかしたら僕たちが何に対して渇望しているのかが、心の奥底からあぶり出て来るかもしれません。
しかしながら、それは時に苦痛や嫌悪を感じるもので、生涯見ないでおきたいものなのかも知れないのです。 

その結果、脳味噌パーーーーーンになっても、当方、一切責任は負いかねます。

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⑥《いいんだぜ》 奇妙礼太郎

未だにブレイクしない奇妙礼太郎。もっとドーーーーーンと行ってもいいと思うのですが…。

以前一度、奇妙礼太郎の記事をあげており、その時もこの曲《いいんだぜ》をご紹介してはいるのですが、これぞジャパニーズパンク、究極のラヴソングだと思いますので、改めましてのご紹介。 

《奇妙礼太郎》心の隙間にスッと入り込んで、知らないうちにその隙間を埋めてくれるような歌声。https://blog.akiyoshi-zoukei.com/katsu/archives/1011

オリジナルは関西の怪人・中島らもの作品で、放送コード引っかかりまくりのとんでもない作品。当たり前のように放送禁止の曲になっており、まともなところでは、とてもじゃないが歌えない歌です。

生きることというのは常に自問自答。絶対正義、絶対正解なんてものは絶対存在しないのであって、人の心は常にブレブレ。その危ういブレブレの心を否定も肯定もせずに、ありのままをありのままにさらして生き抜くことがパンクロック。そのような人生を生き抜いた人こそが中島らも


徹底的に権威を嫌い、主従関係や上下関係をことごとく無視し、常に心のギアーをニュートラルに入れて物事をとらえる視座は、その著書を読んでも分かるのです。

若いころ、《僕に踏まれた町と僕が踏まれた町》という自伝的エッセイを読んで、その魅力にはまり、それ以後僕は、小説、音楽、主宰する劇団《リリパットアーミー》などのすべての活動に刺激を受け続けてきたのです。 この劇団《リリパットアーミー》も長く続けたため、自然発生的にヒエラルキーが生まれ、それがアホらしくなり主宰者自ら脱退しているのです。

《いいんだぜ》という曲は、中島らもの本質を明確に表現した代表的な歌で、奇妙礼太郎がカバーすることによってより多くの人たちに届いていることは素晴らしいこと。 

曲の詞の内容を真に受けて、そう歌っているのだから、そのように生きているのだろうなと批判するのはお門違いで、そう生きたいし、そうありたいと歌っているのです。

人間は誰しもいびつな生き物で、まともな人間なんて一人もいません。自分よりも力のあるものに媚びへつらい、弱い者には冷たく接するのは人間のどうしようもない性なのです。しかし、そのような性が、自身の奥底に確実に存在することを認め、その立脚点からそうではない自分、そうではない社会を目指そうと、まずは自身の精神から叩き壊し、改めて問い直してみようとする宣言の歌が《いいんだぜ》というラヴソングなのです。 

奇妙礼太郎の歌声でこの歌を聴かされると、そうはいってもそう生きられない人間の愚かさがにじみ出てきて、凡庸な生き方しかできない僕の心の奥底に鋭く突き刺さります。

心を正直に開き、受け止めるように聴いてみてください。 

その結果、脳味噌パーーーーーンになっても、当方、一切責任は負いかねます。

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⑦《クレオパトラの夢》 山下洋輔・渡辺香津美デュオ

この曲は、ビバップのジャズピアニスト、バド・パウエルの代表曲。 

なんと素敵な題名なのでしょう!軽快で特徴的なテーマで始まるこの曲は、多くのジャズメンが演奏を行っているのですが、テレビで観たお二人の演奏があまりにも凄まじかったので、強烈に記憶しているのです。

日本フリージャズの雄、山下洋輔は、自身のトリオを組んで何度もヨーロッパツアーを敢行。日本よりもヨーロッパでの評価が高く、その演奏は、乗ってくると肘打ちの連打などの凄まじく激しいもの。やはりフリージャズはパンクに通ずるものがあります。

一方、渡辺香津美は、おそらく日本ジャズギタリストでは一番のテクニックを誇るツワモノ。この色合いの異なるジャズメン二人の火花散るセッションは、ジャズファンでなくとも圧倒されるはず。 

曲の後半に展開される四小節交換のアドリヴバトルはピアノとギターの異種格闘技戦。凄まじいスキルを持った者同士しかできない超高度なコールアンドレスポンス! 超絶テクニックを展開しつつパンクをやっているように聴こえてくるのは、僕だけでしょうか?

《クレオパトラの夢》のテーマのメロディーを頭に残しながら、それぞれのアドリヴプレイを聴いてみてください。そのアイディアの素晴らしさと、即興で奏でているにもかかわらず、あふれ出る美しいフレーズの数々に酔いしれるはず!

その結果、脳味噌パーーーーーンになっても、当方、一切責任は負いかねます。

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⑧《陽はまた昇る》 高橋優

今から7年ほど前に上映された日本映画《桐島、部活やめるってよ》の主題歌が、この《陽はまた昇る》

僕はDVDで観たのだけれど、その原作の素晴らしさと脚本の構成力。そしてドンピシャのキャスティングをした監督の才能にびっくり! 僕の邦画ランキングの中では確実にベストスリーに入ってくるであろう、最高に素晴らしい映画なのです。 

当時は口コミで大評判となり、ご覧になられた方も沢山おられることと思います。 一番不安定な高校時代、自然発生的に形成されるスクールカースト。それぞれの立ち位置で、それぞれが自身の意志とはかけ離れた言動を繰り返しながら、なんとかやり過ごす高校生活。 生まれつき天才肌でイケメンな、学校のヒーロー(ヒエラルキーのトップ)だったバレー部の《桐島》が部活をやめるという噂が学校中に広まるところから始まる、それぞれの生徒の視点と動揺を描いた5日間の物語。

そのうち、改めてしっかりこの映画の記事をあげてみたいので、内容はこの辺にしておきますが、下に貼っているMVは、自然発生的に形成されるスクールカーストにも外れた、オタクたちが集まる《映画部》前田君( 神木隆之介)が高校卒業後、どこかの大学に入学しピザの宅配のアルバイトとなって登場します。

《桐島、部活やめるってよ》その後的な構成になっており、高橋優の歌う《陽はまた昇る》の歌詞は、恥ずかしいほどにド直球なのだけれど、価値観をどこに定めて良いのかを今ほど迷う時代はないわけで、その迷える若者たちに

「どんなにあがいてみても なんも変えられやしないなら
最初から諦めた方が賢明」
口々に嘆きながらも僕ら歩いてる
あの丘の向こう側にその胸躍らせながら

選ばれし才能も お金も地位も名誉も
持っていたっていなくたって 同じ空の下
愛しき人よ ほら見渡してみて
尊い今というときを 陽はまた昇るさ

と、高橋優は歌います。

目的をもって、段階を踏んで、夢に向かって努力することは素晴らしいことなのでしょうが、その行為に意味や結果だけを乗せてしまうと、最終的には挫折しか残らないのではないでしょうか。 

そもそも夢なんてものは一部の人しか叶わないのであり、たとえ叶ったとしてもその後も人生は続くわけで、人生、連戦連勝なんてことは不可能なのです。

物事は、夢に向かって努力することから始まるのでしょうが、そこから、今やっている努力(行為)そのものに集中できるようになったとき、夢(結果)ではなく、努力(行為)そのものが即目的になるのではないでしょうか? 

もっと言えば、行為即目的となれば、もはやその行為は努力ではなく、生きることの喜びとなるはず。 そう、結果がどうであれ《 尊い今というとき 》を全身で生きていれば《陽はまた昇る》のです。

パンクロックとは《 尊い今というとき 》 を生き抜くこと。 それは行為即目的の、瞬時瞬時の爆発にあるのではないでしょうか? 

その結果、脳味噌パーーーーーンになっても、当方、一切責任は負いかねます。

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⑨《オリオン座》 大森靖子

ずいぶん前に一度、《オリオン座》大森靖子の記事をあげておりますので、興味のある方はこちらを。

大森靖子《オリオン座》今を生きる者の絶望と希望。それはあまりにも切なく美しすぎる孤独感。https://blog.akiyoshi-zoukei.com/katsu/archives/1388

3年ほど前の楽曲なのですが、いまだに頻繁に聴いてしまうほどに大好きな曲なのです。 大森靖子の歌は、ほかにも沢山良い曲があるのですが、いつも最後はこの曲に。 詩の内容とメロディーラインがはまり過ぎて、涙なくしては聴けないのです。 

物心がついた頃、僕と世界が分離し、主体と客体の認識が生まれた原初の不安と葛藤、そして恍惚。 60のジジィになってもなお持て余している、この不安と葛藤と恍惚。

おそらく生きている限り解消されないであろう世間と自分との軋轢を本能で感じる思春期。その解決策は、自身を消滅させることくらいしか思いつかない、痛々しいほどの幼さ、純粋さ。

身を重ねて生きた世界を確かめる
時を重ねて追いかけっこで成長しようね
血を流すこと 平気になるなと 抗った
手癖で君を幸せにはしないさ
この部屋をぶち抜いてくれたら 待ち合わせはもうしない

色を重ねて 滲む世界を 抱きしめた
手を叩いて見るものすべてを喜んだ
死を重ねて生きる世界を壊したい
最高は今
最悪でも幸せでいようね
オリオン座

このオリオン座の煌めきに救いはあるのか?
この腐れ切った世界(自分自身も含む)で生き抜くこと、そのものが目的だと信じて…。 

その結果、脳味噌パーーーーーンになっても、当方、一切責任は負いかねます。

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⑩《VOLT-AGE》 サチモス

最後は、新時代《令和》のバイブレーションを奏でるであろうバンド、サチモス。

去年の紅白歌合戦で最も痺れたのは、米須玄師の生歌とサチモス。 

《VOLT-AGE》は、2018FIFAサッカーワールドカップNHKのテーマソングとして書き下ろされたもの。 詞の意味はサッカーの試合会場で起こる様々な事象に則したものなのですが、 世界が平和を実現するには、お互いのハートビート(心臓の鼓動)を響き合わせる(シンクロナイズ)こと。理屈ではなく、今、同時代を生きていることの共感とリスペクトなんだと、僕には聴きとれたのです。

心つなぐのは そのHeartbeat Heartbeat
The heartbeat by your side
置き去りにする そのHeartbeat Heartbeat
The heartbeat by your side
答えを出すのは そのHeartbeat Heartbeat
The heartbeat by your side
弾む星の音 その Heartbeat Heartbeat
The heartbeat by your side 

人種、宗教、そしてイデオロギ―の相違などで争った今までの時代は終わりを告げ、新時代の幕開けは、お互いが響きあうこと、 Heartbeat Heartbeat!
 
 
今までの既成概念(理屈・理念)のすべてをぶち壊わす役割を担ってきたパンクロック。 すべてを破壊した荒れ野原で、新たに再構築していくその材料は、彩や形を伴ったレンガやコンクリートではなく、時間とともにシンクロナイズされてゆく響き(Heartbeat )そのものなのでしょう。

目に見える材料は当然必要なのだけれど、それを積み上げる際の僕たちの心臓の鼓動(Heartbeat )がシンクロナイズされた時こそ、世界が平和を実現する始まり。

それを実現するネオパンクロックの響きを 令和時代、世界中で聴くことが出来ることを願って。

皆さん、恐れずに今こそ、脳味噌パーーーーーーーーンとなって、新たな響きに共鳴できる Heartbeatを奏でましょう!

おしまい