日本R&Bの姉御。大西ユカリの歌声は、今日も大阪新世界に響き渡ります。

大西ユカリ

ソウルミュージックと昭和歌謡を衣に包んでサット揚げ、コッテコテのゴスペルソースにたっぷり浸せば、串カツブルースの出来上がり。大西ユカリの『ド演歌ブルース』は、いまだ健在です。

『 大西ユカリと新世界』のおよそ10年に渡るライブ活動を経て、いまだに勢力的にソロで活躍している、日本が誇る『ド演歌ソウルシンガー』は、生粋のエンターテナーで、そのエネルギッシュなライブパフォーマンスは、観客の悩みや悲しみ、 そして苦しみさえも歌と笑いに変換し、これほど楽しませてくれるミュージシャンは、日本では類を見ません。

からす

残念なことに、僕はいまだに映像でしか見た事がないのですが、そのライブは昭和歌謡とソウルミュージックのテイスト満載で、大阪人特有のサービス精神の塊のステージなのです。

とにかく楽しい! 軽快なブラスセッションをバックに歌と踊りと、芸人顔負けのしゃべくりで、終始飽きさせる事のない構成で、一度体験したら誰もがリピーターとなるそうです。

からす

デビューから一貫して、地位や財産はないけれど、日々を必死で生き抜いている社会的弱者の人達を元気づけてくれる歌を歌い続けています。

間違っても上品とは言えないその佇まいは、どこか哀愁に満ちており、全身からブルースの匂いが漂います。日本のソウルシンガーでは、間違いなくトップクラスの歌唱力でしょう。

からす

CDでは絶対に味わえない臨場感、グルーブ感のないライブなら観に行く意味はありません。 昨今のメジャーなミュージシャンのライヴは、アンコール、ダブルアンコールまでしっかりパッケージ化されていて、予定調和のつまらないものが多いのですが、アドリブ感満載の大西ユカリのライブは絶対損はさせません(観に行った事のない 僕が言うのだから間違いありません)。

からす

人間生きている限り、どんな人でも何らかの創造をし続けているそうです。創造のモチベーション(意欲)が無くなると、脳は死んでいるのと同じだと、脳科学のえらい学者さんが言っておりました。  そう、予定されたマニュアルではなく、瞬時瞬時の出来事に何の用意もなく対峙した時、人はその全能力を駆使して対応し、精神は過去の経験則のすべてを忘れ去り、何の先入観もなくその出来事を五感と第六感で受け取ります。

からす

その時脳は感動と同時に 何らかの創造を始めるのでしょう。 僕らみたいに長年生きていると、様々な先入観に縛られ、物事を真っ白な状態でそのような体験が出来なくなっています。

そんな時、大西ユカリの様なミュージシャンのパフォーマンスを体験すると、めんどくさい理屈など一瞬にして消え去り、 元のアホに戻してくれます。

からす

大げさですが、これこそが『芸術』の本当の存在意義なのではないでしょうか?

心のゴミは放っておくと外の光が見えなくなる程、溜まっていきます。これを掃除するマニュアルなど一切存在しません。

そんなときこそアホになって『大西ユカリ歌謡ショー』にどっぷり浸かってみては如何でしょうか?問題の解決事などないでしょうが、そんな事さえ奇麗サッパリ忘れてしまうかも…。

からす

人生何時だって上書き可能!  大西ユカリバンザイ!

聴いた事のない人、是非一度聴いてみて下さい。

おしまい