奇跡的な名演。しかし、この演奏がジャズなのか否か?大きく議論の分かれる所でありますが、音楽的に素晴らしく感動的であれば、そんな事はどうでもよいのです。間違いなくキース・ジャレットの代表的名盤です!
大学時代、入り浸っていた友達の家の素晴らしいオーディオセットで聴かせてもらったアルバム《ケルンコンサート》が、最初のキース・ジャレット体験でした。
まず、最初のピアノの一音でびっくり!それまで耳にしたことのなかったピアノの音だったのです。これはドイツのレーベル、ECMレコ ードの独特の「クリスタル・サウンド」という録音技術での音で、一音一音が硬く立っており、透明感の富んだ音質。
そして、それ以上にキースの即興で奏でられるピアノソロのなんとも美しいこと! 当時はコテコテの黒人ジャズばかり聴いていたので、その清涼感の破壊力たるや凄まじく、音楽の好き嫌いの枠を飛び越えて感動したのを覚えていま す。
やはり音楽は凄い!
このコンサートの演奏環境は、レコード録音の実施が決っていたにもかかわらず、ホールのピアノのコンディションが最悪で、調律もままならず、替えのピアノも間に合わない。さらに、キースの体調も最悪で、睡眠不足の上、発熱もあったらしいのです。
まあ、この手の話は後で尾ひれはひれが付くのは、よくあることなのですが、すべてにおいてコンディションが良くなかったことは事実のようです。
時に人は、逆境のなかの方が、とんでもない能力を発揮することはよくあるようで、余計な力がぬけ、色々な企みや魂胆が薄くなった状況で、なすがままに演奏した結果、キースの場合思いがけぬインスピレーションが次々と降りて来たのでしょう。
《ケルンコンサート》を聴く度に、何処の宗教書に書いてあった「すべてを明け渡して、中空の竹となりなさい」というフレーズを思い出します。
つまり、できる準備は万全に整え、その上で、出来る限り自身を空っぽにし、楽器そのもの(単なる媒体)となって天に身を任せると、自分という小さな枠から開放され、もっと言えば地球の引力からさえも自由になり、モナドの領域(宇宙的無意識の大海)で自由に泳ぐことが可能になる。そんな感じの意味だと思うのですが…(書いている自分もよくわからん)。
通常、ジャズは即興音楽と言いますが、すべてが即興なのではなく(一部フリージャズ等はノープランの場合もある)、曲のテーマとコード進行は決っています。しかし、当時のキースのソロコンサートは、ほぼノープランでオール即興演奏でした。おそらく、バッハの時代のクラシックの即興演奏に、近いものがあったのではないでしょうか?
基本となるフレーズやおおまかな組み立て位は、事前に用意されているのかは定かではありませんが、そういうすべてのことを加味しても、このアルバム《ケルンコンサート》は、本当に素晴らしい珠玉の名演奏です。
当時、このアルバムは爆発的にヒットしたため、多くのジャズ喫茶で《ケルンコンサート》のリクエストが殺到し、一部のお店は《ケルンコンサート お断り》の札が貼られたほど。
ジャズ通の間では、これはジャズではないと否定的な人が多かったようです。 そもそも、「ジャズとは何か?」と問われたとき、そんなものに明確な答えがあるはずもなく、ジャンルなんて物はたいした問題ではないのでしょう。 思うのですが、ジャンルの仲間内感や連帯感は、ジャンル外の目線で観ると、とても気持ち悪いものがあり、敵は身内にアリなんてことはよくある話で、風通しを良くしておかないとジャンルそのものの裾野を狭めてしまいます。
喜劇王チャップリン先生も言っております、「どんなに経験を重ねようと、永遠の素人であれ」と。
そんな事言っている僕自身も、若い頃は「ジャズ以外音楽ではない!」などと、とんでもないことを思っていた訳で、人間、過剰に何かにかぶれると、 目も見えなくなり、耳までも聴こえなくなってしまうものなのですね(僕だけか?)。
話がズレましたが、結論は、《ケルンコンサート》は、ジャズであろうとなかろうと、素晴らしい音楽であることに間違いないという事です。
ジャンルに捕われずに、頭を空っぽにして、とにかくこのアルバムを一度聴いてみて下さい。もしかしたら、人生そのものもマニュアルに頼らず、即興的に生きて行くヒントをインスパイアーされるかも…。
何時の日か、中空の竹となってモナドの領域(宇宙的無意識の大海)で、漂えたなら…。