あぁ麗しの昭和歌謡曲④ 園まり《逢いたくて逢いたくて》 その艶めきと哀愁の瞳が、友達のお母ちゃんの瞳と重なる時。

園まり3

その美貌と切ないほどに艶っぽい歌声で歌われる《逢いたくて逢いたくて》 昭和歌謡曲・色っぽいお姉さん部門の第一位に、燦然と輝きます。その佇まいは、当時小学生だった僕に、艶めきと哀愁の意味を教えてくれました。

あぁ麗しの昭和歌謡曲・第四弾は、園まり《逢いたくて逢いたくて》

1966年リリースの、園まり最大のヒット曲。手がけたのは、作詞・岩谷時子、作曲・宮川泰の黄金コンビ。ザ・ピ−ナッツの一連のヒット曲等を手がけたコンビで、当時の歌謡界のヒットメーカーでした。 ポップスでもなく演歌でもなく、ムード歌謡のジャンルに入れるのもピンと来ないので、ジャンルとしては、園まり節《艶めき歌謡曲》と言う事で。

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もともとクラシック歌手志願の人で、どんな歌でも歌いこなす歌唱力の持ち主なのですが、この歌は、ささやくように女心を切々と歌います。とてつもなく美しい瞳で、♪すきなのよ すきなのよ♪ なんて甘え声で歌われた日には、当時小学5年生の僕でも、意味もわからずにジュンときたものです。

子供の僕は、「大人になったら好きな人に逢えないだけで、淋しくて死にたくなるのか…」と不思議に思うのですが、すぐさま、「こんなに美しいのに死んだらもったいない!なにも死ぬ事はない!」と、思い直すのでした。

その後、友達の美しいお母ちゃんに出逢った時、僕の頭の中でいきなり《逢いたくて逢いたくて》が流れ出し、そのお母ちゃんの美しい面影は、今でも園まりと重なるのです。

小学生の頃、裕福な子供達の間で流行っていた《お誕生日会》。僕と仲良しのカドチョー(門長君のあだ名)の貧困組には縁遠いイベントで、羨ましいくせに、「あんなん、行ったってつまらんけのう。ケッ!」と、二人で毒づいていたのでした。 実のところ、たとえ誘われたとしても、二人とも誕生日プレゼントなる物を買えるお金もなく、行きたくても行けなかったのです。

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仲良しのカドチョーは、意気地なしの僕と違ってわんぱくで度胸があり、頭のキレる子でした。家は山の上の県民住宅に住んでおり、お母ちゃんと二人暮らし。

時々家に遊びに行くと、何時も知らないおじさんがステテコ姿で寝っ転がっており、カドチョーに「あの人だれね?」と聞くと、「知らん、 いっつも家におるおっちゃんやけ。気にせんでええけ。」と返答。しかしカドチョーはこのおっちゃんにとても可愛がってもらっており、色々な事を 教えてもらっていたようです。

時々、小学5年生のくせに政治的な思想論をぶったり、現体制に対しての批判的な意見を話すのですが、僕にはサッパリチンプンカンプンで、ただニヤニヤして聞いているばかりでした。今考えれば、あのおっちゃんは何処かの党の活動家だったと思うのですが…。

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僕の家は隣町の山の上の市営住宅。いつもお互いの家を行き来して遊んでいたのですが、その間に大きな墓地があります。最短距離は墓地の中を横切るコースなのですが、薄暮の頃になるとさすがに恐ろしく、迂回路の大通りを通って帰っていました。

ある日の事、カドチョーの家の狭い庭で二人、相撲が強くなる技の研究に没頭しすぎて、気がつけばあたりは真っ暗。急いで家に帰らなければならず、仕方なしに墓地の中を通り抜けて帰える事に。

カドチョーが二人の家のちょうど中間地点まで送ってくれ、そこでお互い背を向けて一目散に走って帰る作戦を僕のために立ててくれます。中間地点に至るまでもすでに二人は怖くてたまらず、大声を出しながら歩きます。「自民党撲滅!」「安保反対!」「社会主義万歳!」等と、何時もの様にあのおっちゃんに洗脳された難しい言葉を羅列して、カドチョーは叫びます。

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何とか中間地点まで到着し、背を向け、ヨーイドン!で走り出した刹那、大きな墓石の影から不気味な声が響きます。

「お前達をどうにかするぞーーーーーーーっ!!」

いきなりの大声に、二人はウサイン・ボルトよりも速い、凄まじいスピードで「うわぁーーーーっ!」と叫びながら我が家へ。翌朝学校で顔を合わせた二人は、

カドチョー   かっちゃん! 昨日のあの声なんやったんかのう!

僕       わからん! けど無茶苦茶こわかったやろ! 俺、シッコちびるかとおもったっちゃ。

カドチョー   俺はあんなんでビックリはせんけ! 情けないのう、かっちゃんは。

僕は逃げる瞬間、カドチョーの恐怖の表情と叫び声等、慌てふためくリアクションをしっかり見ていたのですが、それ以上つっこむと面倒くさいのでそのままに。

今にして思えば、高校生の不良みたいなのがたまたま遊んでいて、いたずらで僕らを脅したのでしょうが、その時は死ぬかと思うほどの恐怖体験でした。

そんな二人に始めて、《お誕生日会》の招待状が届きます。

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身体が小さく、勉強も運動も不得意な同級生で、ウッチン(内野君のあだ名)という子がいました。何をするにも足手まといになるウッチンは、皆からのけ者にされ、バカにされていたのですが、ある日の朝学校へ行くと、クラスの全員に《お誕生日会》の手書きの招待状を配っているのです。

その流れで僕ら二人にも渡された招待状。

それは、色鉛筆で奇麗に着色された素晴らしいものだったのですが、クラスの皆は「ウッチンの誕生日会なんか行かんやんのう」と話しており、誰一人行く気配がありません。

そこでカドチョーが僕に囁きかけます。

カドチョー   かっちゃん、行ってみんか?

       え?

カドチョー   ウッチンの誕生日会、行ってみようや。いっぱいご馳走があって、ジュース飲めるし、ケーキとかも食べれるんやろ?

       そうやのう…。けどカドチョー、プレゼント持っていかないけんのぞ、どうするんか?

カドチョー   俺、おっちゃんから買ってもらったばっかりのノートが一冊ある。1ページ目、もう書いとるけど、そこだけ破ってプレゼントにする 。かっちゃんは何かないんか?

       俺、何も持ってないし……、あ、姉ちゃんのまだ使ってない紙石けんが家にある!

カドチョー   おう!そしたらそれ持っていけ!

そう言う訳で、ご馳走目当てで、ちっとも仲の良くないウッチン《お誕生日会》に、姉ちゃんから盗んだ紙石けんをプレゼントに持って、カドチョー と二人出かけます。

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ウッチンの家は、一階に店舗、二階が住居の古い五軒長屋。まだ開いていない一階の店舗の看板には、《スナックよしこ》とあります。その脇の狭い階段を上ると、安物の化粧合板でできた玄関の扉。カドチョーがノックすると中から美しい女の人がいい匂いを伴って現れます。

クラスの友達の母ちゃん達とは異次元の美しさに、僕とカドチョーは、ズズッと二三歩後ずさり。

園まりに良く似たウッチンのお母ちゃんを見た瞬間、僕の脳内では、《逢いたくて逢いたくて》が鳴リ始め、その後ずっとBGMとして、鳴り続けるのです。

園まりのお母ちゃんは、「ようこそ、いらっしゃい! 良く来てくれたねぇ。はよ、入り、入り。」と、優しく僕らを招き入れてくれます。

部屋に上がると小さな台所に6畳ほどの和室、その奥にもう一部屋の和室。僕とカドチョーの住む市営住宅や県営住宅と同じ様な狭さ。でも、6畳の和室には、折り紙で作った輪飾りや、ちり紙で作った薔薇の花が飾り付けられ、招待状と同じく、色彩センスが素晴らしかったことを記憶しています。

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僕らの姿を見ても喜ぶでもなく、表情一つ変えずに中央の卓袱台の後に一人ちょこんと鎮座するウッチン。僕とカドチョーは、多少の後ろめたさを感じながらもその隣に座ります。

既に開始時間を過ぎているにもかかわらず、案の定、他に誰もいません。 園まりのお母ちゃんは、誕生日ケーキを卓袱台の真ん中に置き、ラッシー(当時流行った炭酸ジュース)を僕らに注いでくれます。

「お友達、二人も来てくれたねぇ、よっちゃん(ウッチンの名前)。私いれて四人もおるけ、お誕生会始めよか?」ウッチンが小さくうなずくと、園まりのお母ちゃんは、ケーキにローソクを並べ、火を付けます。

始めての誕生日会に勝手が分からずに固まっている僕とカドチョーに、園まりのお母ちゃんは、《ハッピーバースデー・トゥユー》の歌を一緒に歌うよう、僕らに促します。歌終りに何のタイミングも計らず、いきなりむきだしのノートを卓袱台に置くカドチョー

呆気にとられていた園まりのお母ちゃん は、すぐに察して、「お誕生日プレゼント?」と問うと、緊張しすぎて怒った様な顔になってるカドチョー「うん。」と頷きます。すかさず僕もむきだしの紙石けんを卓袱台に置き、「これ、プレゼントやけ。」と一言。

戸惑いながらも、園まりのお母ちゃんは、「ありがとう、よっちゃん、お礼言わんと?」と、ウッチンに。相変わらず無表情のウッチンは蚊の鳴くような声で「ありがとう」と答えます。

その後に、タイミングを完全に外されたウッチンが、首を傾げながらもローソクの火を消します。

パチパチパチ………。と、乾いた拍手。

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あまりにも重たい空気に耐えきれず、僕は、園まりのお母ちゃんに、「これ、まだ使ってないけ、新しい紙石けんやけ。」と言い訳がましいことを言い、「あっ、」と気がつき横を向くと、使いかけのノートをプレゼントにしたカドチョーが、鬼の様な形相で僕を睨みつけています。

その後、園まりのお母ちゃんは、沢山のご馳走とケーキを食べさせてくれ、僕らに渡すお土産の用意に台所へ。 この部屋に入ったときから、気になって仕方がなかった、奥の部屋に見える和室には場違いの大きな(キングサイズほどの)フランスベット

ウッチンの耳元で、「あのベッドで、お母ちゃんと二人で寝よると?」と僕が訊ねた所、ウッチン「いや、あれはお母ちゃんの、僕はこの部屋で寝よる。」と返答。「一人であんな大きいベッドに寝て、何でウッチンはこの部屋で寝るんやろ?」と、その時は不思議に思っていました。

大人になってやっと理解するのですが、一階のスナックのママとして仕事をしている園まりのお母ちゃんは、シングルマザーとして金銭的にも苦労しており、そういう客が現れた時には、お店終わりに二階に誘って…。 その為の大きなベッドだったのでしょう。

当時よくあったシステムだったそう。

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お土産のケーキを渡された帰り際、カドチョーが意を決した様に、園まりのお母ちゃんに打ち明けます。「おばちゃん、ゴメンナサイ。俺らウッチンとはそんなに仲良しやないと。ケーキやご馳走が食べたかったけ来たと。プレゼントもあんなんしかあげられんで、本当にゴメンナサイ。」

「えーーーーっ、本当の事言わんでも良いやん!」と心で叫ぶ僕。しかし変な所で生真面目で、正義感の強いカドチョーは、自分が許せなかったのでしょう。 つられて僕も一緒に謝ります「ゴメンナサイ。」

その時、園まりのお母ちゃんは、少し潤んだ目で「良いとよ、良いと、わかっとるから。あんた達は良い子やねぇ、来てくれただけでおばちゃん嬉しかった、本当に嬉しかった。これからは学校でも、よっちゃんと仲良くしてやりいね。」と、僕らの手を握って真剣に言ってくれるのです。その時の潤んだ瞳の、なんと美しかったことか!

その間、 僕の脳内では、《逢いたくて逢いたくて》のサビが大音量で鳴り響きます。

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複雑な気分のまま、僕とカドチョー《スナックよしこ》の看板のネオンが光る、ウッチンの家を後にします。

僕       カドチョー、ウッチンのお母ちゃん、メチャクチャ奇麗やったし、いい人やったのう。

カドチョー   あのおばちゃん、幸せなんやろか?

       えっ?

カドチョー   俺の母ちゃんは不細工やし柄悪いけど、おっちゃんと仲良くしとるし、何か楽しそうなんよ。 けどあのおばちゃん、あんなん奇麗やのに、哀しそうな目をしとった。なんか幸せやなさそうやったんよ。

小学5年生にしてこの洞察力。さすが複雑な家庭環境でもまれて逞しく生きているカドチョー。奇麗で色っぽいおばちゃんとしか感じなかった僕の能天気さとは大違い。

カドチョー  やけど、かっちゃん、幸せっち何やろか? おっちゃんが言いよったけど、皆が幸せになるんは、世の中が変わらんといけんち。今のままじゃいけんち言うんよ。俺、みんな幸せにならんといけんち思っとる! そやけいっぱい頑張らんといけん!

当時の僕の感受性では、園まりの《逢いたくて逢いたくて》のBGMが精一杯。「やっぱりカドチョーは凄いなぁ。」と頷くだけの僕でした。

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その後、ウッチンとはさして仲良くなる事もなく、僕とカドチョーは小学校を卒業。その後中学卒業を経て、僕は高校へ進学し、カドチョーは県外の高専へ入学したため、疎遠となります。

久しぶりにその名前を耳にしたのは、20年ほど後のテレビのニュース番組。暴力団の構成員として指名手配されているカドチョーの大人になった厳つい顔写真が映し出されるのです。 人づてに聞いた話では、入学した高専を中退した後、右翼系の政治結社の活動員となり、その後暴力団に流れてしまったそう。

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今でも、園まりの《逢いたくて逢いたくて》を聴くとウッチンのお母ちゃんの潤んだ哀しげな瞳と共に、カドチョー「みんな幸せにならんといけんち思っとる!」の言葉を思い出すのです。  

おしまい