見えなかった物が見えてくる。見えてた物が見えなくなる。 中山うり・光と影が溶け合うノスタルジー・イリュージョン。

中山うり

《中山うりの原風景》何の情報もイメージも持たない幼児が、はじめてチンドン屋に遭遇したときの風景。それをそのままピンホールカメラで映し撮った世界観。ミクロの世界から、いつの間にかマクロの世界に飛躍する普遍性。

僕は、もともとアコーディオンやバンドネオンの音が大好きで、フランスのバル・ミュゼットや、アルゼンチンタンゴなどもよく聴いていたものですから、中山うりのノスタルジックなアコーディオンの調べを初めて聴いた時には、涙が出る程嬉しかった記憶があります。

からす

ジャズジプシー音楽の影響も大きいのですが、なんと言っても『昭和歌謡曲』のエッセンスがどの歌にも溶け込んでいて 、それが大きな魅力となっています(実際「夜霧よ今夜も有難う」やフォークの「生活の柄」のカバー曲もある)。

アコーディオンのほかにトランペットやギターなども演奏し、特にトランペットは力の抜けた大変味のある演奏で、アドリブプレイも素晴らしく(ルイ・アームストロングの影響もあるらしい)、とても気持ちの良いものです。

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女性のシンガーソングライターにはめずらしく、いわゆる『ラブソング』がほとんどなく、日常の風景を心象風景に置き換えて、リアリズムを根底としたファンタジーの世界を胸の中のピンホールカメラで映し出したような、不思議な映像を僕たちに見せてくれます。

今、大ヒット中のアニメ映画『君の名は。』の中で「たそがれ」の語源を「誰そ彼(誰ですかあなたは)」と説明するシー ンがありました。『黄昏』とは光と闇、生と死、美と醜、善と悪、此岸と彼岸など、相反する二つの物が溶け合う特異点。 太陽の下で見えていた物が見えなくなり、逆に見えなかった物が見えてくる、物の本質(真理)が五感で理解(体感)出来る、 唯一の時間帯(マジックアワー)として存在します。

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中山うりのメロディーや詩の世界は、心象風景の黄昏時に見え隠れする、色や形(言葉)では表現しきれないディティールに焦点を当て、『その感じ』を饒舌に伝えてくれます。

二元論ではけっしてたどり着く事の出来ない、僕たちが今、この世界に存在する理由をその歌で感じさせてくれます。

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2007年にメジャーデビューし、メディアではNHKみんなのうたや、映画音楽などの仕事の傍ら、今でも全国の小さなライブハウスでの演奏活動も、精力的にこなしているようです。

去年、福岡の小さな民家のカレー屋さんでのライブ(客数30〜40人)に行ったのですが、美しくも物悲しい、しっぽりとしたパフォーマンスで、とても気持ちの良いライブでした(カレーも美味しかった)。

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それほどメジャーではなくとも、このような質の良い音楽を奏で、地道にライブ活動を続けているミュージシャンは沢山います。その人達が、いつまでも活動出来る音楽業界であってほしいものです。

とにかく一度、中山うり『ノスタルジー・イリュージョン』を感じてみて下さい。 きっと、生産性や合理性の枠を外れた、生きていく意味を体感出来るはず。

おしまい