《命名考》4『幸せ』は「なれる」ものではなく「感じる」もの?

命の煌き

幸せ》は夢を追いかけて、努力の末「なれる」ものではなく、そのすべての欲望が薄くなった時に、理由もなく「感じる」事が 出来るものでは…。 それは時間(思考)の範疇ではなく、永遠性の中でしか感じ得ないもの。

いつもの戯言です。

命名書画のご依頼をお受けする時に痛い程感じる事が、どの親御さんも生まれたばかりのお子様の生涯に渡っての《幸せ》 を強く願われている事です。(あたりまえの話ですよね)

誰でも生まれでた瞬間は、すべての偶然(必然?)が重なって100%の祝福を受けているはず。 生まれたときの境遇は様々ですが、その始まりは十全に《幸せ》の状態であるはずです。

からす

その後成長と共に、外的・内的な願望 (自我)が精神に入り込み、《幸せ》の感じ方に変化が生まれます。 その結果、まったく同じ境遇にあっても人によって幸、不幸の感じ方は大きく異なります。 ほとんどの人は(僕もそうですが)欲望(貴賤を問わず)が満たされているか否かで《幸せ》を計ってしまうため、凄く不安定なものになってしまい、ずっと《幸せ》で居続ける事は、不可能に近いでしょう。

からす

人生の荒波は否応無しに繰り返し押し寄せて来ます。その荒波の中でも、生まれた瞬間の《幸せ》を少しでも感じる事が 出来たなら…。

何でもない日常を生きる喜びと感じる感性の豊かさが、《幸せ》そのものかもしれません。 …っと言ってる僕が、日常の荒波に流され続けて幾年月(泣)。

という事で、家業の宣伝です。 命名書画の《DEMO動画》《イメージソングMV》を作ってみました。 よかったら覗いて下さい。

おしまい