《命名考》1 人の名前は依り代になる。そのイメージ(想念)は人生を変えるはず

命名書

最近、命名書画の仕事が増え始め、沢山の赤ちゃんや一周廻った還暦の方の御名前を書にします。 今流行のキラキラネームは、よく考えられ字面も良く書としてまとめ易いのですが、還暦の方の御名前は、シンプルなものが多くまとめ辛いですね。
それはさておき、書に置き換える過程でどうしても考えてしまうのは、そもそも名前って何だろう?という事です。

ちょっと自分なりの考えを。
この世に生まれて来た赤ちゃんは、何らかの必然性と大きな意味を持って存在します。
その存在は、今から命名されるであろう名前とは全く別物です。(たとえばリンゴは
そこに存在する果実そのものであり、リンゴという名前は人間がその果実をただ単に
記号化したものにすぎません)

からす
親族がその子を明確に認識、区別化する為に最初に記号化されたもの、それが名前です。
もちろんそれだけでなく、沢山の愛情と幸せな人生の期待を込めて命名されるものです
から、よい意味でのその子にかかる人生最初の呪詛でもあるわけです。

からす
しかし、その後の人生の中で何千回何万回と繰り返し呼ばれ書き記されるであろうその
名前は、次第にその子と同一化され、その子自身や周りの人たちによって、良くも悪く
もその名前に様々なイメージを重ねていきます。
人は成長して行く過程で、世の中の様々な軋轢や不条理を経験し、そのイメージは精神
や身体に蓄積され、そしてその名前は次第に大きな依り代へと成長して行きます。
最初は記号でしかなかった名前が、自分や沢山の人々のイメージの蓄積によって、その
人生に大きな影響を持つ事になる?
え?という事は……

からす
他人が持つイメージはどうする事も出来ませんが、少なくとも自分が自身の名前を汚さ
ぬよう、常日頃から大切に思い、愛おしく感じ続ける事が、その運命においてすごく重
要だという事なのでしょう。そういう意味では名前は名付け親より、付けられた本人の
想い次第で、良い名前にも悪い名前にもなるという事ですね。

からす

そうと分かればこれからでも遅くはない、《人生何時だって上書き可能》
このブログのタイトルの様に僕自身にも言い聞かせ、改めてリセットし直し、自分の名
前を大切に愛でながら生きて行くことにしましょう。
これからの人生、一層楽しみです。

おしまい