《命名考》10 命名の響きで新たな詩が生まれる。人一人の存在の響きは、煌めきの時と共にそれぞれ独自のメロディーを奏でる。

悠星

人の誕生は100%の祝福の中で迎えられます。 人生は、この世に存在することそのものがすべての意味であり、どのような人生であっても自分なりに精一杯生き抜くことさえ出来れば、その人生は煌めきの時と共に美しいメロディーを奏でます。 それは百人百様の【存在の詩】 


【存在の詩】 


若き日に読んで感動した、インドの宗教家にして哲人《バグワン・シュリ・ラジニーシ》の講話録。
ラジニーシの思想と活動はいまだに賛否の分かれるところであり、僕自身、半信半疑なところはあるのですが、【存在の詩】の文章の輝きは、未だに色褪せることなく僕の心の柔らかいところを刺激します。 

チベット密教の覚者《ティロパ》が、その弟子《ナパロ》に与えた、至宝の教え「マハムドラーの詩」を講話の題材にしたラジニーシが、奇想天外、縦横無尽に様々なジャンルに話を広げ、解説した講話を収録したもの。


また、翻訳者・星川淳の和訳が最高に素晴らしく、「マハムドラーの詩」の日本語の響きの美しさは、その意味以上に身体の隅々まで沁み込みます。
内容は、般若心経を美しい詩に置き換えたようなわかりやすいものになっており、この詩を深く読み理解できれば般若心経の神髄も理解できるのではないでしょうか? 


最近、命名書依頼の仕事で、新たに名付けれられたお名前の文字と響きを感じた時、なんとなくそのお名前からイメージされる言葉が溢れてくるようになりました。 

それらのフレーズを整えると、一編の詩のようなものが出来上がり、注文していただいたお客様に僕からのささやかなお祝いとして、書に置き換え、命名書に添えてお送りしているのです。


この度、私事ではありますが(お前のブログはすべて私事だろっ!)、娘Mに待望の長男が産まれました。
娘婿《悠星》と命名し、その文字と響きを聞いた刹那、そこはかとなく溢れ出た言葉のフレーズを整えたものがこの詩。

夕風に吹かれ 木々に祈る
見上げれば 悠遠の宙

と、 ひときわ光り輝く 星ひとつ

その新しき命の煌めきは
森羅万象の奏でし 
悠久の響きに
美しく共鳴するや
悠星2


自分でも半分意味が分からないのですが、夏の夕刻に産まれた一つの命の煌めきが、一番星(宵の明星)と重なったのでしょうか?
今後、この子の名前を呼ぶたびに、夏のブルーモーメントの西空に、ひと際映える宵の明星のような輝きと美しさが添付されるよう、祈りを込めて詠ったのでしょう。


新たな命を授かり、祝福の中で命名されたすべてのお名前の響きは、その意味や字画の限りを越えて、全宇宙と共鳴します。

僕がアホみたいに繰り返し繰り返し、「命名はその音の響きがすべてなんだぁ~~~!」と叫び続けているのは、チベット密教のマントラと同じように、その響きが何度も繰り返されることによって、新たな生命エネルギーの核になると信じているからなのです。


そう、人生の意味は「今現在、この世界に存在(響いている)している」ことがすべてなのだから。


最後に、【存在の詩】星川淳訳の《マハムドラーの詩》全編に流れる、美しい響きを感じていただけたなら…。

からす


マハムドラーの詩

(星川淳訳)


マハムドラーはすべての言葉とシンボルを超越せり
されどナロパよ、真剣で忠実なる汝のために
いまこの詩を与うべし


「空」は何ものも頼まず
マハムドラーは何ものにも依らず
また労せず
ただゆったりと自然であることによりて
人はくびきを打ち壊し
解脱を手の内にするなり


もし中空を見つめて何も見ず
そのとき心をもって心を観ずれば
人は差別を打ち破り
ブッダフッドに至るなり


空をさまよう雲には
根もなくまた家もなし
分別の思いの
心を漂いよぎるもまたしかり
ひとたび「自性心」の見らるることあらば
識別は止まん


空間に象と彩の生ずることあれど
そは黒白に染まらず
万物は「自性心」より出で
しかも心は善悪に汚さるることなし


長き時ふる暗闇も
灼熱の陽を覆うこと能わず
カルパにわたるサムサーラ(輪廻)も
「心」のまばゆい光を隠すことを得ず


「空」を説くに言葉の語らるることあれど
「空」そのものは表わされ得ず
”「心」は輝ける光のごとし”と言うも
そはすべての言葉とシンボルを超越せり
本質に於いて空なれど
「心」は万物を抱き、そして容るるなり


からだに於いては何もせずにくつろがせ
口を堅く結びて沈黙を守り
心を空しくして何ものも思わざれ
中空の竹のごと汝のからだをくつろがせ
与えずまた取らず、汝の心を休ませよ
マハムドラーは何ものにも執着せざる心のごとし
かくのごとく行ずるによりて
やがて汝はブッダフッドに至らん


真言、波羅蜜多の行
経文、訓戒の示すところ
宗門、聖典の教えも
甚深の真理の実現をもたらすことなし
欲望に満たされし心の
目標を追わざるを得ざれば
そはただ光を隠すのみなるがゆえに


いまだ識別を離れずしてタントラ教理を持する者
サマヤの精神にそむくなり
すべての行動を止め、すべての欲望を避けよ
あらしめよ、思考の
大海の波のごとく浮き沈むがままに
たえて無安住と
並びに無差別の原理をそこなわざる者
タントラ教理をささげ持つなり


切望を避け
かれこれに執着せざる者
聖典の真意を知るなり
マハムドラーに於いて、人の持つ一切の罪は焼かれ
マハムドラーに於いて
人はこの世の獄より解き放たれん
これぞダルマの至高の灯なり
そを疑う者
とこしえに不幸と悲しみにのたうつ愚者なり


解脱を目ざすにあたり
人はグルに依るべし
汝の心がその祝福を受くるとき
解放は間近なり


ああ、この世のすべては無意味にして
ただ悲しみの種子なるばかりなり
小さき教えは行ないへといざなえば
人はただ大いなる教えにのみ従うべし


二元性を越ゆるは王の見地
散乱を征服するは王者の行
行なき道こそすべてのブッダたちの道なり
その道を踏むもの、ブッダフッドに至らん


はかなきかなこの世
幻や夢のごと、そは実体を持たず
そを捨てて血縁を断てよ
欲望と憎しみの糸を切り
山林にありて瞑想せよ
労なくして
ゆったりと「自然なる境地」にとどまるならば
間もなく汝はマハムドラーにたどり着き
無達成なるものを達成せん


木の根を断たば葉は枯れん
汝の心の根を断たばサムサーラは崩れん
いかなる灯の光も一瞬にして
長きカルパの闇を払う
心の強き光ただ一閃なれど
無知なるヴェールを焼かん


心に執着せる者の
心を越えたる真理を見ることなく
ダルマを行ぜんと求むる者の
行を越えたる真理を見いだすことなし
心と行をふたつながら越えたるものを知らんには
人はきっぱりと心の根を断ち切りて
裸眼をもちて見つむべし
しかして人は一切の差別を打ち破り
くつろぎにとどまるべし


与えず、また取らず
人はただ自然のままにあるべし
マハムドラーはすべての容認と拒絶を越えたるがゆえに
もとよりアラヤの生ずることあらざれば
誰もそを妨げ汚すこと能わず
不出生の境界にありて
すべてのあらわれはダルマタへと溶解し
自己意志と傲慢は無の中に消滅せん


至高の理解は
かれこれの一切を超越し
至高の行為は
執着なくして大いなる機知を抱く
至高の成就とは
望みなくして内在を知ることなり


はじめヨーギは
おのが心の滝のごとく転落するを感じ
中ほどにてはガンガーのごと
そはゆるやかにやさしく流れ
ついに、そは大いなる海なり
息子と母の光がひとつに溶け合うところ

おしまい