パティ・ペイジ《泪のワルツ》の郷愁は、何故にここまで日本人の心に染みわたるのか?

パティ・ペイジ

1950年代のアメリカンポップスを代表する女性ボーカリスト、パティ・ペイジ。その何とも言えぬ哀愁をともなった甘い歌声は、沢山のヒット曲を生み、その曲の数々は日本のポップスシンガーがこぞってカバー、和製ポップスの礎を作りました。

戦後、GHQマッカーサーによる日本の占領政策は巧妙で、自由を謳歌する民主主義のイデオロギーを 口にはコカコーラやパン食、眼にはハリウッド映画、そして耳にはアメリカンポップスやジャズ等に乗せて、国民を洗脳します。

戦中、大本営に抑圧され続けた国民は、この占領政策によって骨抜きにされ日本の魂と美意識は、壊滅的な打撃を受けた反面、日本人の心に、歌舞伎や浪曲等とは異なる圧倒的なスケールの豪華絢爛なエンターテーメント文化を根付かせるのです。

からす

当時は、様々なアメリカンポップスの曲がヒットするのですが、パティ・ペイジの代表曲、《テネシー・ワルツ》は、日本では江利チエミがカバーしたもので聴き覚えた方が圧倒的に多かったはずです。江利チエミの《テネシー・ワルツ》は、また違った味で(多少演歌のエッセンスの入った)素晴らしいものですが、もしそれが無ければ、もっともっとパティ・ペイジ《テネシー・ワルツ》は、日本でも売れたことでしょう。

全米では当初、《テネシー・ワルツ》を始め、《ワン・ワン・ワルツ》《泪のワルツ》《君待つワルツ》《パパとママのワルツ》等の、ワルツの楽曲が大ヒットし《ワルツの女王》の異名をとります。

また、当時開発された多重録音技術により、すべてのパートのコーラスをパティ・ペイジ一人でこなすという離れ業を、世界で始めてやった歌手なのだそうです。

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中でも、僕の一番大好きな曲が《泪のワルツ》

しかしこの曲、不思議な曲でよく意味が分からんのです。 学生の頃聴いていたパティ・ペイジの英語の歌詞は、わからないながらも所々で聴こえてくる単語で何となく物語りを想像して聴いていました。それは、想いを寄せていた彼が別の女性と結婚式を挙げ、そこに参列した私の心情を歌ったものと信じていたのですが…。

日本語でペギー葉山が歌っていたので、改めてその訳詩を調べてみた所…

《泪のワルツ》   訳詩・作詞 音羽たかし

胸に秘めし 君嫁ぐ日

心の灯も  消えて淋し

あふれ来るは 熱き涙よ

鐘は鳴り 君は今 永遠に去りゆく

心にぞ ささやきぬ 君よさらばと

父も母もほほを濡らし 我も泣きぬ

いとし君と 別れゆく日に

Your mother was cryin’
Your father was cryin’
And I was cryin’ too
The tear drops were falling
Because we were losing you

最初の一行でいきなり「胸に秘めし 君嫁ぐ日」とあります。 えっ? 君嫁ぐ日? えっ?この歌、男性が女性の恋人に向けての歌だったの?

《サルビアの花・(早川義夫)》なのか?《ウエディングベル・(シュガー)》なのか?    どっちだぁ!ドンドン!(机を叩く音)

で、英語の原文を見てみると、そのどちらでもなく女性が女友達に歌った歌のようなのです。ただ、パティ・ペイジの情感は、単なる女友達ではなく、ちょっと同性愛的な匂いがしてしまうのですが、長年聴いてきた僕のイメージは、大好きな想い人が違う女性と結婚する場面で、絶望と悲しみを歌っている女性の歌なのです!ドンドン!(再び机を叩く音)。 女性の失恋の歌だと思って、ずーと聴ていて、その映像が僕の脳内にしっかり出来上がってしまっているので、今更変えることなんて出来ません!ドンドン!(更に机を叩く音)。

間違っていても、今後もそう聴いていこうと思います!

からす

パティペイジ《泪のワルツ》を何度も聴いていると、

Your mother was cryin’
Your father was cryin’
And I was cryin’ too

のせつなさが胸に沁みるのです。 このフレーズの最後、And I was cryin’ too の「トゥ〜ゥー」の「ゥ〜ゥー」の所の心情! 同じといいながら、両親の想いとはまったく違う泪を流している女性の心情がぁ、せつない想いがぁーっ、永遠に叶うことが無いけれど、けして消せない恋心がぁーーーーーっ(うるさいわっ)と、取り乱してしまう程に伝わってくるのです。

《テネシーワルツ》もそうですが、ワルツの緩やかな三拍子のリズムとパティ・ペイジの歌声が重なると、何故に深い哀愁が滲み出てくるのでしょう? 僕の胸の奥底に眠る、根源的な郷愁が疼くのです。

からす

アメリカが今の様に病んでしまう前、一番幸せで美しかった時代を代表する女性シンガー、パティ・ペイジ。 アメリカをほとんど知らなかった僕ら日本人が、何故ここまで郷愁を誘われるのか。

おそらく、1960年代の日本のポップス(歌謡曲)のルーツが、この時代のアメリカンポップスと深く繋がって(一方的に日本がパクっているだけなのだけど)いるからなのでしょう。

2013年、85歳で亡くなるまで歌い続けたパティ・ペイジ。その歌声で奏でられる美しいメロディーと美しい言葉の波動は、いつも僕の心の曇りを晴らしてくれた、光溢れる菩薩的な女神様でした。

ありがとう! パティ・ペイジ。

おしまい