大森靖子《オリオン座》今を生きる者の絶望と希望。それはあまりにも切なく美しすぎる孤独感。

大森靖子

絶望的な孤独の世界を誤摩化すことなくそこにとどまり、絶望の闇を潜って潜っていった彼方に、ただ一点の光を見つけ、その光を辿った先にもう一人の私が佇んでいた…。

ビックリしました!

今から一年程前、CSでやっているももクロの《ももいろフォーク村》にゲストで大森靖子が出演。《オリオン座》のギターの弾き語りをフルでやってくれたのです。その時は、大森靖子をまったく知らず、暗くて中途半端なお姉ちゃんが下手な歌、歌ってんなぁと、ボヤーと聴いていたのですが、次第にグイグイ引込まれて行き、しまいには何故か泣けて来て、泣けて来て…。

からす

若い女の子がたった一本のギターをかき鳴らし、その存在のすべてを賭けた、凄まじいエネルギーを発しながらのパフォーマンスは圧倒的で、久々に嫉妬を感じる程、感動したのです。

音楽というよりも演劇の一人芝居を見て感動する感じに近く、全然違うのだけれど、若い頃、遠藤賢司のライヴを見て衝撃を受けたことや、つかこうへいの演劇を見て興奮したこと等を思い出したのです。

からす

僕らの世代とはまったく違う時代の風を受けて育った大森靖子の心象風景は、僕には到底理解出来ないのでしょうけど、何故かその歌詞やメロディーは、心の奥底に突き刺さり、人間の世界の捉え方は、世代を越えた普遍性があるように思われたのです。

大森靖子は、多摩美出身の絵を描く人で、そのせいか、歌われる楽曲のほとんどは映像を伴って聴こえてきます。半醒半睡の狭間の地点に立った、曖昧な定まらない混沌とした場所で世界に委ねながら物事を眺め捉えているようなその視点は、大切だと信じていた何かを明け渡した時に生まれるものなのでしょうか?

からす

《オリオン座》の詩の世界は、言葉によってデジタル化される前の、全てのグラデーションを捕まえる事の可能なアナログ世界の心象風景を見せてくれます。 強烈な《自我》と、宇宙的無意識に至るほどの《無我》を何度も行き来しながら語られる、大森靖子の心象風景。

♪心の黒い穴は同じ誰かへと繋がるトンネル

掘った星の砂場で繋いだ手をほどいたら城が崩れてしまう

依存や逃避なんかでは誤摩化せないほどの感受性を持って生まれたが為に、日々繰り返される精神的絶望を 肉体に体感させるべく自傷行為を繰り返す女の子が、漆黒の闇を潜って潜って、その絶望の果てに見た永遠の銀河宇宙(オリオン座)は幻なのか…。

♪身を重ねて生きた世界を確かめる

時を重ねて追いかけっこで成長しようね

血を流すこと 平気になるなと 抗った

手癖で君を幸せにはしないさ

この部屋をぶち抜いてくれたら

待ち合わせはもうしない

この歌を何度も何度も聴いていると、暗い泥沼の中から、一輪の儚い蓮の花(オリオン座)が咲いている映像が微かに見えてくる様な気がして、その美しさに救いを感じるのです。

その過程がどんなに苦しく惨めなものであっても、帰り着く場所は自分の心の奥底に開かれている永遠の銀河宇宙(オリオ ン座)なのだと信じて…。

♪色を重ねて 滲む世界を 抱きしめた

手を叩いて見るものすべてを喜んだ

死を重ねて生きる世界を壊したい

最高は今 最悪でも幸せでいようね

オリオン座

オリオン座2

orionza

音の書2http://gift-kou.com/?mode=cate&cbid=2296686&csid=6

からす

蔑み蔑まれ、妬み妬まれ、排除し排除され、羨望し羨望され、差別し差別され、搾取し搾取されを 幾度となく繰り返し、負けて逃げての絶望の果てに何時の日か、その両極の世界に自身の存在のすべてをかけて対峙したとき、人は何らかの救いを体感するのでしょう。

中庸の世界にバランスよく浸れることが出来るその日を願って。

色即是空 

空即是色

現実の世界は幻であるのだけれど、その幻を全身全霊をかけて生き抜いている魂は、たとえ地獄に堕ちようとも、この上なく美しい。

おしまい