日本の歌謡界は世界に類を見ない程の多様性を誇っています。中でも沢田研二から始まる近代アイドル文化は日本独自のもので、インターネットが広範囲に普及した現在、ジャニーズやAKBグループなどのアイドルファンの輪は全世界に広がっております。また、日本のファンが「アイドルに何を求めているのか?何を託しているのか?」等の微妙な心情までも、海外のファンは理解しつつあるようです。
戦後、元祖御三家(橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦)に始まるアイドルは、沢田研二において一つの完成形を見せます。そしてそれは新御三家(郷ひろみ・西城秀樹・野口五郎)中3トリオ(森昌子・桜田淳子・山口百恵)に繋がり、たのきんトリオ(田原俊彦・近藤真彦・野村義男)、松田聖子、小泉今日子、SMAP、そして現代の嵐やAKBグループ等に至ります。
ファンがアイドルに何を求め、何に共感してきたのかは、時代の移り変わりに応じて変化しているのでしょうが、そのはたしている役割とは何か?
人は厳しい現実を生き抜く為に、多かれ少なかれ何かに依存しなくては生きていけない生き物なのです。アルコール、ギャンブル、セックス、ショッピング、食物、さらに広く言えば仕事そのものが、依存の対象であったりします。しかし、アイドル依存は、一つの現実逃避ではあるものの、先の見えない現実の中で必死に生きている沢山の人たちに対して、明日を生きる希望の光として健全に機能しているのではないでしょうか?
話は古くなるのですが、僕の母親こそが、50年程前からおよそ25年に渡って、沢田研二によって人生を救われた一人でした。
母は、既に他界して25年程経つのですが、ジュリーがザ・タイガースのボーカルとしてデビューした時からの熱狂的なファンで、僕は少年期より間直でそのファン活動のすべてを見てきたのです。時が経った今、改めてその意味を考えますと、なぜか切なくも哀しい想いに駆られてしまうのです。
ジュリー・デビュー50周年と言うことで、少しの間、お付き合いを…。
僕の母は、大正時代の東京で生まれ、当時ではめずらしく女子大まで出た、そこそこの家庭のお嬢さんでした。大分の老舗旅館のボンボンの父親が、東京の大学に行ったのが波乱の始まり。戦後、社会人として二人は不幸にも出逢ってしまい、大分には戻らない約束で東京で結婚しました。
しかし人生そう思い通りにはいきません。諸事情が重なり、どうしても大分の実家に帰らなくてはならなくなり、泣く泣く大好きな東京を離れ大分へ。
何の苦労も知らないお嬢さん育ちの娘が、いきなり老舗旅館の仕事が勤まる訳がありません。姑、小姑らから辛い仕打ちを受け、仲居さん達からも《東京者》として疎外され馴染めません。それに見かねた父親が少しはなれた所に木材の製材所を立ち上げます。しかし商才ゼロで世間知らずの父親が上手く経営出来るはずもなく、あえなく倒産。着の身着のまま、夜逃げ同然で北九州に移り住みます。
北九州のドヤ街、大家さんが一階に住む二階の六畳一間を間借りし、そこで家族6人の生活が始まります。
花の東京で暮らした、イケイケだった頃の楽しい思い出や、学歴や東京人としてのプライドをズタボロにされながらも、現状を生き抜くため、甲斐性のない旦那と幼い子供4人を抱えながら、昼夜を問わず必死に働き続けます。そうこうするうちに父親がやっと安定した職に就き、住まいも市営住宅に移り、少しは生活の目途はたったのですが、それでも相変わらずギリギリの生活が続きます。
そこに現れた救世主が、光り輝く星の王子様《ジュリー様》その人でした。
母の場合、普通のファンではないのです。信じられない程の強烈なファンだったのです。
まず、家中いたる所に貼られたジュリー様のポスター、いたる所に飾られたジュリー様のグッズ類、そして常時流されるジュリー様の歌声。家に僕の友達が来た時は、玄関を開けた途端、必ず二三歩後ずさり。そう、正面の壁に貼られた等身大のジュリー様のポスターがドーーーンとお出迎え!
母親がジュリーのファンとも言えず、「ね、ねーちゃんがファンなんよ」と誤摩化す僕。
たしかに姉達もファンではあったのですが、母が味方に引き込む為、日々洗脳し続けた結果の何となく好きかなー的な、(なんちゃってファン)で、案の定、色気づいてきた頃には、現実の恋愛にまっしぐらでした。
また、ジュリーの出演するテレビ、ラジオのすべてを見逃さず、そしてそのすべてを録音します。当時はビデオデッキなんて物もなく、やっと普及しはじめたカセットテープレコーダーが唯一の記録装置。しかし悲しいかな、音声をラインで繋ぐシステムなど当時は無く、レコーダーに内蔵されている小さなマイクをテレビのスピーカーに近づけて録音するという、何とも牧歌的な営み…。
しかしこの営み、一つ大きな欠点があるのです。そう、録音している間、部屋の雑音もすべて拾ってしまうため、家の者は一切音をたてることが許されないのです。
僕の家族はとても貧乏でしたが、皆仲がよく、テレビを見ながら「あーだ、こーだ」とツッコミを入れながらワイワイ騒ぐのが家族団らんの楽しいひとときでした。その楽しいひとときが、ジュリーの出現によって茶の間は《沈黙の行》の場と化すのです。
これは子供の僕にとっては大変につらい《沈黙の行》であったのですが、咳一つでもしようものなら二、三日ろくに口も聞いてくれないという過去の厭な経験を皆が共有していたので、家族全員従わざるを得ません。
九州地方のジュリーのコンサートは、(なんちゃってファン)の姉達を引き連れ欠かさず参戦。慢性的な財政難の我が家で、その活動資金をどこでどう工面したのかは今となっては、母のみぞ知るです。
父親はここに至る迄、散々苦労をかけ続けた後ろめたさと、父なりの優しさから、母のファン活動に対して一切批判めいたことは言わなかったのですが、僕は正直、厭で厭でたまりませんでした。まだ子供だった僕には、母の行動が理解できなかったのでしょう。
その父も僕が中学生の頃亡くなってしまい、その後、まだ学生だった僕らを女手一つで育ててくれながら、今から25年程前に亡くなる迄、一度も浮気することなくジュリーのファンであり続けました。
母のお通夜の時、斎場に流れる「故人を偲んでますよ~」的なぬるくて軟弱なBGMが、大嫌いでした。その時は気づかなかったのですが、一晩中ジュリーの歌を流してあげればよかったなぁと、今にして思います。
とびっきりイケイケの《勝手にしやがれ》《カサブランカ・ダンディ》《TOKIO》《ストリッパー》なんかかけてあげたら喜んだろうなぁ、母ちゃん…(弔問客に絶大なるヒンシュクを買っただろうけど)。
10年程前、たまたまテレビで《人間60年・ジュリー祭り 》を見たことがキッカケで、これまでさして興味のなかった沢田研二を改めて聴きはじめるのですが、何故かその魅力に打たれ、今では僕がジュリーのファンとなってしまったのです。昔からの曲を聞き直すうちに、なぜか当時の母の心情がありありと、僕の心の中に湧き上がってくるのです。
アイドル時代のジュリーが本当に表現したかった世界観(歌そのもので魅せること)をたゆまぬ努力の結果、実現させた今のジュリー(そのビジュアルは別として)を母に見せてやりたかった。沢田研二デビュー50周年と知り、このブログで何となくジュリーの記事を書いたのがキッカケで、最近特に、様々な母との思い出と、その人生が思い起こされてしまうのです。
思い通りにいかない人生、明日に希望の持つことの難しかった当時の母にとって、ジュリーは大きな希望の光でした。
どん底時代の日々は、様々な屈辱と挫折を伴って、プライドの高かった母に、容赦なく襲い掛かってきたことでしょう。しかし母にはジュリーがいました。
ジュリーが歌ってくれただけで今日の辛かったことを忘れさせてくれ、ジュリーが踊ってくれただけで明日を生きる勇気をもらい、ジュリーが微笑んでくれただけで、すべてのことを許すことができたのでしょう。たとえそれが幻想であっても妄想であっても、それが明日を生きる力として機能したその事実こそは、母にとって確実に《現実》だったのです。
栄光の女子大生時代、大好きな東京、銀座通り、様々な夢を見ることのできた若かりし頃の思い出のすべてをジュリーに投影し、そのジュリーのファンであり続けることで自身のアイデンティティーを保ちながら、厳しい現実を乗り切り、前向きな人生をまっとうしたのでしょう。
僕の母親に限らず、様々なアイドル達が様々な人達の人生を救い続けています。特に今の競争社会、格差社会を生きる若い世代の人達は、僕らの時代からは想像出来ない程のストレスと、プレッシャーを抱えているはず。
人は、自身のあがなえない宿命や因果を受け入れ、大きな不安やコンプレックスを抱えながら、この世を懸命に生きています。現実逃避であることは間違いないのでしょうが、人生の一時期、《アイドル》が心の寄る辺となるのであれば、その存在意義は決して小さくないはず。
アイドルから生きる勇気を得ることによって、大げさに言えば、死なずに済んだケースも少なからずあるはずです。
侮るなかれ! 日本のアイドルの力!
世界に誇れ! 日本のアイドル文化!
日本歌謡界が作り上げた大いなる虚像《アイドル》は、今日も歌って、踊って、そして太陽のような笑顔で、遍く一切を照らし続けていることでしょう。
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