日本のロックシーンを先導し続けたレジェンド・内田裕也、2019年3月17日死去。昨年9月に死去した妻の樹木希林の後を追うように「シェキナベイ
ビー」の響きを残して宇宙の彼方へと散ってゆきました。
時代を牽引してきたレジェンド達の訃報が続きます。
亡くなった母親がジュリーの大ファンだったため、ジュリーの出演する歌番組は強制的に目に入る環境を常としていたのですが、何度か内田裕也なるロックなオッサンと共演するシーンを見ており、その名前と姿、歌声は、子供心に結構印象深く残っているのです。 ファニーズ時代のタイガースをスカウトし、芸能界への道筋を作ったエピソードを母親を通して知り、「そこそこ偉い人なんだろうけど全然偉そうにはみえんなぁー」と、その頃は、そこまで興味を覚えなかったのです。
それから何年か経ち僕が二十歳前後の頃、ふらりと入った映画館で《コミック雑誌なんかいらない》で主演する内田裕也を久々に見るのです。 お世辞にも上手いとはいえない独特の演技で暴れまわる、芸能レポーター役の内田裕也。 当時起こった事件や事故(豊田商事会長刺殺事件・日航ジャンボ機墜落事故・ロス疑惑など)を扱った過激な内容と相まって、僕の中で強いインパクトを残します。
丁度同じころ、毎週楽しみにしていた《ビートたけしのオールナイトニッポン》のゲストとして内田裕也が登場。いつも以上に躁状態のたけしの矢継ぎ早の質問に過激に答えてゆく内田裕也。当時アイドル路線で活躍していた沢田研二を
「あのやり方はロックではないと思う」
と否定するように投げかけた、たけしの質問に
「沢田のやり方は間違っていない、沢田はあれでいい」
ときっぱりと答える内田裕也。 その他の話の内容はほぼ忘れているのですが、このやり取りだけは鮮明に記憶しているのは、母親の洗脳のおかげなのでしょうか?
さらに、当時はジュリーのファンでもなんでもなかった僕なのですが、内田裕也のジュリー擁護にちょっと嬉しくなったのも、母親の洗脳のおかげなのでしょうか?
その後も内田裕也の映画は何本か見ているのですが、天才・大野克夫先生の音楽が素晴らしすぎて、その内容は殆ど覚えていないのです。
それまで内田裕也の歌声に感動したことがなく、ミュージシャンとしての内田裕也をしっかりと見ることもなく時は過ぎてゆくのですが、2.3年前、僕の大好きな写真家、ジャーナリスト、小説家、エッセイスト、画家、詩人の藤原新也という人のブログに紹介されていた、アニマルズ《朝日のあたる家》を歌う内田裕也の今と昔のユーチューブ画像を見たとき、初めてミュージシャン内田裕也の魅力を知ることとなるのです。
日本に本物のロッケンロールが定着するかしないかの頃の黎明期に、盛んにアニマルズをコピーしていた内田裕也。内田裕也の歌う《朝日のあたる家》を聴いたとき、ちあきなおみがカバーしたものを聞いた時と同じぐらいの感動と衝撃を僕に与えてくれたのです。
「内田裕也、すげぇーーっ!」
ロックミュージシャンとしては、歌の下手くそなワケのわからんロケンロールジジィの認識だった僕の後頭部に、強烈な延髄斬りを叩き込んでくれたこの映像は、僕にとって内田裕也を深く理解する大きな分岐点となったのです。
以前のジュリーの記事の中でも少し触れたのですが、女優・樹木希林の言った、内田裕也の美しさとは、いったい何だったのでしょうか?
むかしブルーハーツは、「♪ドブネズミの様に美しくなりたい」と歌いました。
思春期真っ只中の青年の持つ、誤魔化しや腐敗を許さない真っさらな感受性の刃は、人間として当たり前の様に持っている己の自己欺瞞にも向けられ、その葛藤の中でのたうち回るのですが、終わりのないその葛藤に疲れ、知らず知らずのうちに経験と寛容という誤魔化しに手懐けられ、いつの間にか誰もが自身の矛盾に気づかなくなります。
ドブネズミの美しさとは、我が身の汚さ美しさ、我が心の汚さ美しさを隠さず誤魔化さずに、嘘偽りのない自身の全てを晒して生きて行く覚悟。
その過程で生まれる数限りのない世間との軋轢を生身で受け止めながら生きて行く中で、僕たちが持っている美醜の物差しでは到底計ることのできない、それらすべてを超越した《煌めき》が、そこに宿るのではないでしょうか?
このように生き抜くことは僕たち常人にはまず不可能なことで、凄まじい精神力と生命力を必要とします。
内田裕也の言うロッケンロールとは、世間の測る物の善悪や、常識で生きていくのではなく、自身のスケールで生き抜くこと。そのスケールは百人百様で、みんな違ってみんないいのでしょう。 その多様性の美しさこそが人間個々の本当の美しさやハーモニーなのではないでしょうか?
ドブネズミの美しさ、内田裕也の美しさを感じることのできる人は本当に稀で、その数少ない一人が樹木希林だったのでしょう。
何かの記事で読んだのですが、内田裕也が樹木希林にだけポロッと呟いた一言に、内田裕也の中に人間を感じ、凡庸な僕としては、何故かホッとしたのを覚えています。
「ロッケンロールを生き続けることも、けっこう辛いんだぞ!」
昭和から平成の時代を駆け抜けた生粋のロッケンローラー内田裕也!
もう二度と現れないであろう純正培養のロッケンローラー内田裕也!
賛否両論、世間に理解されることの少なかった破戒のロッケンローラー内田裕也!
人生すべての局面で、シェケナベイビーであり続けたロッケンローラー内田裕也!
生涯を通して、その時々の自身の衝動や感情に、良くも悪くも真っ正直に生き抜いたロッケンローラー内田裕也は今、宇宙の理の中、どの様な場所に辿り着いているのでしょうか?
そこは美しい場所なのでしょうか?
そこは嘘偽りのない場所なのでしょうか?
そして、そこで何を感じ何を見て、ロッケンロールを歌っているのでしょうか?
ロッケンロール歌手・内田裕也 2019年3月17日死去 享年79
合掌
あのう、アル中では有りません。
本日は、有給消化でお仕事休みの為で…
そんな日は、午前中に家事や用事を済ませてPM2時位から 焼酎ロックでやっとります。
つまみは、懐かしい音楽や小説に 貴方様のブログです。
それでは、遠い昔の「純粋」に乾杯!