日本の誇りが…。何故に死んでしまったのか?浪曲師・国本武春!

国本武春

浪曲界の最後の砦であり、最後の希望の光であった国本武春。2015年12月24日55才にしてこの世を去ります。日に日に円熟味を増し、浪曲師としてこれからだった国本武春。日本が世界に誇れる大きな逸材を失なってしまいました。

学生時代、ラジオ少年であった僕は、明方5時迄オールナイトニッポンの放送を聞き、その後始まる《おはよう浪曲》という番組で流れる浪曲師広沢虎造の声を子守唄に、眠りに入ることが常で、話の内容はほとんど覚えていないのですが、唸るような声質と、七五調で語られる名調子。絶妙な間で入ってくる相三味線と合いの手は妙に心地よく、今でもハッキリ聞こえてくるほど。

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その後、浪曲に触れることなく時は過ぎゆくのですが、1995年のテレビ番組《タモリの音楽は世界だ》で、ブルースのBuddy Guyと競演を果たした、浪曲師・国本武春の熱演を見て度肝を抜かれるのです。ブルースの神とまで言われたBuddy Guyを向こうに回し、唄と三味線一棹で真っ向勝負するその姿は、ネイティブジャパニーズの心意気、浪曲界の風雲児・国本武春ここにありを見せつけてくれたのです。

また、同番組でギタリストCharとも競演しており、ジミー・ヘンドリックス《Purple Haze》をやったのですが、これも素晴らしかった。この人は初期のジャズメンにも通じる、ユーモアと歌心に溢れたサービス精神旺盛な、生粋のエンターテナーなのでしょう。

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1998年劇団《ラッパ屋》のお芝居「阿呆浪士」をたまたま観た折、客演で国本武春が出演しており、重要な役回りを演じておりました。お芝居も最高に面白かったのですが、国本武春の三味線と語りは、しばらくの間、頭から離れませんでした。

普通、浪曲師は、曲師と言われる三味線奏者がつくので、語り専門なのですが、国本武春は三味線もこなし、洋楽のロックやブルース、ブルーグラス等が大好きで、その手のミュージシャンとのセッションも積極的に行ないます。また、自身で作詞作曲等も手がける、マルチプレーヤーなのです。
浪曲のフィールド内でジャンルをもり立てて行くことも大切なことなのでしょうし、それが王道なのでしょう。しかし国本武春は、強烈な危機感と使命感をもって他ジャンルに打って出て、打って出て、打って出て…。
内外からの批判も数限りなくあったことでしょうが、それをものともしない情熱で走りつつけます。

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浪曲の代表的な演題である、赤穂義士伝(忠臣蔵)があります。国本武春はこの演題をなんとか若い世代にも伝わるように、ロックやブルースのテイストを織り交ぜた劇中歌を入れ込み、感動的な一人和製ミュージカルに仕上げています。

20年程前、BS・NHKで放映された、この(忠臣蔵)を見たのですが、信じられない程の熱量と完成度で、えらく感動したのを覚えています。

なんと言っても曲が良いのです。浪曲の語りだけでは今の時代、古くさい感は否めないのですが、そこに今風の曲が入り全体的にオシャレな構成で演出された国本武春版・赤穂義士伝(忠臣蔵)は、必見です。

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その後、NHKの様々な教育番組(にほんごであそぼ、えいごであそぼ等)での活躍でご存知の方もおられると思います。

とにかく積極的に他ジャンルの人達との交流を深め、消滅しつつある日本の大衆娯楽演芸《浪曲》の復興に孤軍奮闘の活躍を続けたのです。その姿勢は文字通り命を賭けた戦いだったのでしょう。

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自分を育ててくれた浪曲というジャンルを心から愛し、どんなキッカケでもいい、どんな形でもいいから、まず皆に浪曲にふれてほしい。観客の首根っこを掴んでもこちらに振り向かせ、そして浪曲の本当の良さや楽しみ方を理解してほしい。それだけの純粋な動機が、国本武春の多岐に渡るパフォーマンスから溢れ出ているのです。

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2015年・年末、その訃報を耳にした時は、なぜか無性に悔しくて、悔しくて、悔しくて…。

浪曲はこのまま廃れて行くのでしょうか? それとも国本武春に代わる新しい担い手が現れ、浪曲を何とかしてくれるのでしょうか?

海外に胸をはって誇れる大衆演芸《ROUKYOKU》。

韓国文化の根幹が恨(ハン)とするなら、日本の大衆文化の根幹は情(ジョウ)なのでしょう。この情(ジョウ)の代表的な大衆芸能が浪曲でありました。
映画文化が日本に根付く以前、明治から昭和初期にかけて大衆の娯楽の王様として、爆発的な人気を誇った浪曲。もはや、その復興は望めないのでしょうか?

何故死んでしまった…    稀代の名人・国本武春!

おしまい