斉藤由貴の慕情。 愛より大切なものが何処にあるのでしょうか?

斉藤由貴

何度不倫を繰り返そうとも、刹那の恋慕の衝動にあがなうことのできない女優、斉藤由貴。処女性と娼婦性を併せ持つ魔性の女に、世の道徳観や倫理観などは一切通用いたしません。

結婚して子育ても一段落し、芸能界に本格復帰し派手に活躍し始めた矢先の不倫騒動。今までのこの女優さんの言動を見る限り、「あ、そうなんだ」と誰も驚かなかったことでしょう。

1985年、名曲《卒業》で歌手デビュー。この曲の大ヒットでアイドルとして一躍世に躍り出ます。話題作《スケバン刑事》やNHK朝ドラ《はね駒》などの主役に抜擢され、女優としても大活躍、歌とお芝居の両面で高い評価を得ます。

仕事は順調に進むのですが、尾崎豊、川崎麻世との不倫騒動を起こし、魔性の女として世の非難を浴びます。その度に発言する言葉のセレクトが、尚も世間を逆なでする様なものが多く(天然?)、更なるバッシングを浴びてしまいます。

からす

僕は、デビュー当時の斉藤由貴をほとんど覚えておらず、デビュー曲の《卒業》を時々耳にする程度の認識で、《卒業》のイントロがすごく印象的で美しいなぁと感じたくらいでしょうか。その後ドラマや映画でちょくちょく見かける程度で、そんなに興味があった訳ではなかったのですが、10年ほど前YouTubeで、ライブビデオ「聖夜」《いつか》を歌う斉藤由貴を見たとき、おもわず見入ってしまったのです。

「う、美しい、美しすぎる…。」

立て続けに《卒業》《MAY》《予感》などを何度も見てしまい、すっかり魅了されてしまったのです。 このライブビデオ「聖夜」斉藤由貴全盛期のもので、演出がとても美しく、物語を匂わせながら絶妙に楽曲を滑り込ませ、参加ミュージシャンの質とアレンジのレベルの高さ(斉藤由貴の魅力を最大限に引き出す為の)も素晴らしいものがあります。

からす

この時期の斉藤由貴の魅力は、女性がもつ処女性娼婦性が絶妙なバランスで混在しており、瑞々しさを保ちながらの匂い立つ色香は、誰にも出せないものでしょう。

様々な恋愛を経験し、28才という女性として完成された地点で、過去と未来を縦横無尽に行き来しながら、今現在を歌う斉藤由貴を観たとき、改めて女優としての底の深さを感じたものです。

処女性(過去)と娼婦性(未来)という相容れないものをその精神と肉体に内在させる事によって、宇宙の果てまでも届くような永遠性を見せてくれるそのパフォーマンスを可能にしたのは、先天的に授かった《感受性》が保たれていたからでしょう。

では、いったいこの《感受性》というものは何なのでしょうか?

からす

生まれて物心がつくまでは、誰もが曇りの無い意識(感受性)で世界を見聞きし、ダイレクトに現実を認識します。そこには、美や醜を分ける分別もなく、損得を分ける計算も無く、比較検討する為の経験則もない心で世界を受け止める、絶対自由の境地があります。

僕たちはもう忘れてしまっているのでしょうが、その時みた世界は、今見る世界とは比べ物にならないほど美しかったはず。物事や現象を記号化した《言葉》に変換することによって僕たちは幾つも重なり合ってつかみ所のないこの世界を、一つのカテゴリーに閉じ込め、一方的にしか見なくなってしまうのです。

からす

人の感情もあらゆるものが内包されたもので、《悲しい》と言葉で置き換える(デジタル化)事によって、それに添付するその他の様々な情緒を削っているのです。言語化されたコミニュケーションは矛盾なく整理され、規則化、法律化され、その常識によって世間というものが成り立ちます。

このような過程を踏みながら人は成長していき、世間に迎合していくに従って、思考(言葉)の範疇でしか世界を見る事が出来なくなるのです。

《感受性》とは、《曖昧な世界を整理せずに、曖昧のまま感じ続ける心》の在り方。思考の範疇からいかに自由でいられるか、言語化される前の意識のみの状態で、どれだけ世界を感じ続けていけるのかが、その物差しとなるのでしょう。

からす

斉藤由貴に話を戻しますと、世間に迎合するのが苦手で、自身の感情に見境無く正直に行動してしまうその性格は、まさしく女優、芸能人です。

ここで断言しますが、芸能人は不倫します

芸能を売って生活している人たちと、僕ら一般人とは根本的に違うのです。一緒には計れないのです。 そもそも芸能人の成り立ちは、ジプシーやスーフィーの人達の様な「吟遊詩人」のように、先ほど言った《曖昧な世界を整理せずに、曖昧のまま感じ 続ける心》を保ちながら、僕らが見失ってしまった《真理》《神》みたいな物をその芸能を通して見せていく人達。その人気とは裏腹に、所詮、世のはみ出し者なのです。

僕らと同じ様に世間に迎合し、画一化された世界にいる芸能人の芸(今の芸能人の大半がそう)を誰が見たいのでしょうか? 少なくとも僕はそんな芸は見たくはないのです。

からす

豊かな《感受性》を持って世を生きていくには、様々な軋轢と迫害を受けます。それを生身で受け、それでも尚、芸能を売りながら生きていく人達を芸能人と呼ぶのです。

不倫を擁護する気など、まったくないのですが、当事者同士は、相応の因果応報を受け、天に裁かれます。外野がとやかく言う事ではないのです。よって謝罪会見なんかする必要はまったくないはず。センテンススプリングさん、そろそろこの辺で下衆な金儲けは止めませんか?

からす

例の如く、話があちこちに散らばってまとまりがつかなくなってしまいましたが、結論です。 斉藤由貴さん、生涯現役で頑張って下さい。エロい流出画像なんかどうだって良いんです!50才を過ぎてからの貴女の本気の芸を見せて下さい。次は娼婦から醜女へと表現の幅を広げ、世間を「あっ!」と言わせて下さい。

貴女なら出来ます。

おしまい