爆笑問題・太田光 誰よりも心の闇を知り誰よりも心の光を知る、劇薬芸人。

太田光

その眼の奥底に光る凄まじいばかりの探究心。物事の虚飾を徹底的に嫌い、生身を晒したその生き様は、何度も傷つき挫折した者のみが醸し出す、優しさに溢れています。

爆笑問題、2度目の登場です。今回は、太田光を知り合いでも友達でも何でもない僕が、勝手な妄想でお話しさせていただきます。

からす

今から25〜6年ほど前、テレビ番組《11PM》で、今、注目の若手芸人の一組として登場します。恐ろしいほどの《陰》のオーラをまとった、太田光と、何時もびっくりしている様子の田中佑二の飛び抜けて汚らしい漫才コンビ。それが始めてテレビで見た爆笑問題でした。

出演した他の芸人は一切覚えていないのですが、太田光の挑発的な眼だけは、今でもハッキリ覚えているのです。毒舌ネタと必要以上に激しいツッコミ。その芸は、当時から既に完成されており、司会の三枝成彰や、批評する物知り顔の文化人に対して、臆すること無く「こんな奴らに批評なんかされたくない」などと、若手芸人にあるまじき暴言を吐いて突っかかっていました。

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その次に見たのが、《GAHAHAキング 爆笑王決定戦》という番組で、圧倒的な面白さで見事に10週勝ち抜きチャンピオンとなります。僕の記憶では、その当時はコント主体で、テレビ番組としてはギリギリの危ないネタだったのですが、太田の喜劇役者としての演技力は凄まじく面白さは群を抜いていました。

しかし相変わらず、《陰》のオーラをまとった太田の眼は暗く危険なもので、フリートークでは、何故か周りのタレントも腫れ物をさわる様な感じで、一種異様な空気が流れていました。その次にチャンピオンになったコンビ《フォークダンスDE成子坂》と共に、時代を代表する、若手芸人として期待されていたのです。

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僕は昔から深夜ラジオが大好きで、《爆笑カーボーイ》のヘビーリスナーなのですが、この番組では太田光の中学、高校、大学時のエピソードを時々ネタにするのですが、高校時代の太田の話がとてつもなく異様なのです。

高校入学時、友達と話すキッカケが掴めないまま、何と丸3年間、ほぼ誰とも口を聞かず、一人の友達も出来ないまま卒業したというのです。

しかし、数々の学校行事もすべて参加、修学旅行も途中でハブられたにもかかわらず、終始ひとりぼっちで過ごし、3年間、無遅刻無欠席。部活は演劇部で部員は一人。文化祭では、堂本正樹「ナイロンの折鶴」の一人芝居をやるのですが、観客は顧問の先生と担任の先生のみ。二回の公演を見事やりきったそうです。その異常なモチベーションは、何だったのでしょうか?

学校に居場所が無いため、よく図書館にいたそう。同じ様にハブれた同級生が、学校や同級生の悪口を話題に話しかけてきたそうですが、そういう人間がもっとも嫌いで追い返していたそうです。当時は、絶対に学校から逃げないで、すべて見届けたうえでないと学校批判は出来ないと思っていたそう。

現状を周りの環境や、人々のせい(現実逃避)に一切せず、自身の在り方がすべてなんだという思想が、既にこの時から備わっていたのでしょう。

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どうですか? 凄まじい精神力でしょう。

太田光の芸風の根底は、この時の何にも属さない一切関係性を遮断した視座からの、人間やその社会のありのままの観察眼にあるのでは無いでしょうか?

しかし、高校時代の関係性の遮断からは何も生まれないことを骨身に沁みて経験していた太田光。大学入学を境に、一転、どんなことでも積極的に関わっていく行動を起こします。

たとえ喧嘩になろうとも、どんな人とも逃げないでとにかく会って話をする。結果はどうであれ、人と直接コニュケーションすることがすべての始まりとする、まさに一点突破、全面展開の人生となっていくのです。

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大学に入って最初の友人、相方田中裕二を起点に、内部にくすぶっていた表現することの衝動が破裂します。拒絶されることや、挫折を恐れずに向かってゆくパワーは、高校時代の《完全無視》の暗闇を経験して来たからこそのもの。芸人となってからもその姿勢は貫かれます。

デビュー当時から、その斬新さ、面白さ、演技力、完成度はずば抜けており、すぐに売れっ子になるのですが、太田の毒舌や暴言の芸風は、所属事務所の太田プロにも向けられ、勝手に独立をしてまいます(事の詳細はよくわかりませんが…)。

太田プロの逆鱗に触れてしまった爆笑問題、業界の習わしで、そこからの数年間は完全に干され、テレビやラジオから姿を消してしまいます。

太田光、二回目の暗黒時代に突入。

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しかしまたもや起死回生、一点突破、全面展開の賭けに出るのです。

1993年、妻の太田光代を社長に据えた、芸能プロダクション《タイタン》設立。

『タモリのボキャブラ天国』等をキッカケに凄まじい快進撃を始め、再ブレイクを果たします。社長の太田光代の手腕による所も大きかったのでしょ うが、どんな現場でも全力で望み、必ず笑いを取る太田光の実力は錆び付いてはいませんでした。

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しかし、前回も書きましたが、爆笑問題の真の実力発揮の場は、ラジオなのです。太田も言っていますが、テレビは一般の視聴者が何時チャンネルを廻しても見てもらえる様に、又、短い尺でもすぐに面白さが伝わる様にと考えたネタが、どこを切っても同じ様に笑える《時事ネタ漫才》で、じっくり練ったネタを披露する機会は、テレビでは滅多にないそうです。

その点、爆笑問題のラジオはずっと面白く、色褪せないのです。深夜放送《爆笑カーボーイ》なんかは20年近く番組をやっているのだから、マンネリ化して、一時期つまらなくなったりするのが当たり前なのですが、この安定した面白さは、何なのか? もちろん、プロディューサーや放送作家等のスタッフの努力も あるのでしょうが…。

毎回のオープニングトークは、本当に面白い! 田中とのアドリブの掛け合いは既に芸術の域に達しており、話の流れによって、 どうボケるか?どう突っ込むか?をチェスの様に、何手も先を読みながら展開してゆく即興の構成力は、爆笑問題ならではのもの。時にはコマーシャル無しで一時間に及ぶ事も…。

毎回、聴視者から送られてくるハガキのネタを読み上げる太田の、全力で手を抜かない姿勢も脱帽ものなです。

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日曜昼放送の『爆笑問題の日曜サンデー』は、4時間の長丁場の番組で、政治、経済、エンタメ、競馬と、様々なコーナー全てに渡って、毎回抜群に面白く、この番組も20年近くも続いているのです。

その時々の出来事やハプニングをすべて受け入れ、笑いに昇華する3人の(女性アナウンサー、佐藤愛を含めて)話芸は、円熟味を感じさせてくれるのですが、ちっとも古く感じないのは、僕だけでしょうか?

毎回ゲストを迎えてのコーナー《ここは赤坂応接間》での爆笑問題の対応力は万能で、どんなゲストが来ようとも、毒舌を交えながらもその良さを100%引き出し、笑いに溢れ優しさに満ちたトークを展開。何時も後味のよい気分にさせてくれるのです。

これはテレビでもやれそうに思うのですが… やらないかなぁ。

からす

心の闇と光を 逃避せずに徹底的に感じ尽くすことは至難技です。しかし、闇の時期には闇の全貌を、光の時期には光の全貌を見るには、その境遇の一切を責任転換せずに、どっぷりとそこに浸かり切る事。その過程で自分自身でその糸口を見つけ出す事ができたとき、何らかの理解を得るのではないでしょうか。

人は逃避しなければ耐えれない時もあり、傷口を舐め合う事も、時には必要でしょう。

しかし何時の日か、自分の足で一歩踏み出す勇気をもたなければならない時が必ず来るのです。 太田光は二度に渡ってその機会を得ました。漆黒の闇の中から、小さな小さな光の点(太田の場合エンターテーメントの世界)を望んで、そこから一点突破、全面展開を実現させ、その人生に、自分自身でその名の通り光を見いだし、今では沢山の人々に光を放ち続けています。

エンターテーメント人間賛歌です。どんな人生も責任転換(何でも環境や境遇のせいにする)さえしなければ、誰もが光り輝く事が出来るはず。 物理的な成功も必要でしょうが、今現在、どれほどに煌めいているかが、幸せの物差しとしたいもの。

爆笑問題の面白さは、その煌めきを何時でも僕たちに見せてくれ、人間賛歌を歌ってくれる潔さにあるのではないでしょうか?

からす

最後に太田光の芸に対する真摯な姿に敬意を表して、

何時までも下手な漫才やってんじゃねぇーよ! コントやれよコント!確かな演技力と脚本力に裏付けされた演劇的なコント、もう一回見せてみろよ!

あと映画、『バカヤロー!4 YOU! お前のことだよ』のリベンジ、何時すんだよ!
このままで終わらせんじゃねーぞバカヤロー!

おしまい