《タモリ考》毒を吐きまくるタモリ。無味無臭のタモリ。どちらも大好きです。

タモリ

芸人でもなく、司会者でもなく、ミュージシャンでも俳優でもない、生涯、なりすましインチキ芸を貫くタレント人生。 徹底して権威や組織の力を嫌う、哲人《タモリ》の人間力は、いまだ底知れません。

学生時代、大分の別府市で行われていた野外フェスティバル《城島ジャズイン》を観に行った時の事。錚々たるジャズメンが出演していたにも拘わらず、いまだに鮮明に覚えているのは、デビューして2〜3年位のタモリが、MCで出演しており、芸能界の大御所(主に小森のおばちゃま)に対する罵詈雑言を口角泡を飛ばしながら叫んでいた情景です。

からす

その当時の芸風は、レニー・ブルース(アメリカの毒舌スタンダップコメディアン)に匹敵するほどに、世に蔓延する権威や偽善に対して辛辣に(時には私怨を交えて)口撃するスタイルで、今のタモリしか知らない若い世代の人達からすると、想像もできない程に危険で過激な物でした。

からす

今では既に広く知られた芸能界に入るキッカケとなる、ジャズピアニスト山下洋輔との出会いのエピソードは、山下洋輔のエッセイ《ピアノ弾きよ じれ旅》で詳細に書かれており、これを読んでからより一層のファンとなりました。

山下洋輔トリオが福岡でのライヴ終り、あるホテルでの打ち上げの宴会で、サックス吹きの中村誠一(相当な芸達者)が、浴衣姿に籠のゴミ箱をかぶりつつ、デタラメ歌舞伎の芸を披露していた所、そこにたまたま通りかかったタモリ(当時はまだ森田一義)が、舞台下手より、その芸を上回るほどのクオリティーのインチキ歌舞伎役者として乱入。

一瞬あっけにとられた中村誠一ですが、そこはジャズメン、機転を利かせ持ち芸のデタラメ韓国語でその無礼を咎めます。そこからがタモリタモリたる所以、中村誠一よりも数段達者なデタラメ韓国語で応戦。その後、互いのプライドを賭けた熾烈なインチキ芸のジャムセッションが始まります。

からす

観客の山下洋輔ら数人は、訳が分からないながら、そのやり取りに腹がよじれる程大笑いし、そのセッションは大盛り上がりで明方まで続きます。

当時サラリーマンのタモリは仕事の時間となり「それでは失礼します」と一言だけ発して、そのまま帰ろうとしますが、あわてて山下洋輔「おまえは誰だ?」と尋ねると「森田と申します」とだけ言い残し、そのまま帰ってしまったのです。

からす

この奇跡的なエピソードは、演者も観客も、全てが即興を生業とするジャズメン(タモリも早大ジャズ研出身のトランぺッター)であったからこそ生まれたものでしょう。 後日山下洋輔は、どうしてももう一度その芸を見たく、福岡のジャズ関係者にお願いして、執念で森田なる人物を探し当てます。

それからは、福岡での山下洋輔トリオのライヴの打ち上げは、毎回タモリの独演会と化し、益々その芸にハマってゆくのです。

からす

その後、山下洋輔が行きつけの新宿の酒場《ジャックの豆の木》で福岡の伝説の男の面白さを事あるたびに吹聴するものだから、その文化圏の面々によるカンパで、東京につれてきて芸を見せて貰おうという話がまとまり、森田一義は上京を果たします。

《ジャックの豆の木》での独演会も大ウケで、そこに居合わせた、当時大人気のSF作家・筒井康隆や、漫画家・赤塚不二夫等が、複雑で高度な設定をリクエストします。そのリクエストをいとも簡単に信じられない程の完成度で次々と演じて行く過程で、多くの持ち芸が出来上がり、ここに密室芸人《タモリ》の誕生となる訳です。

からす

その後のタモリの芸のほとんどがこの時生まれたものですが、その大半がテレビでは放映出来ない危険なネタばかりだったそう。

その幻の芸は 僕らには見る事は出来ませんでしたが、その後始まる深夜ラジオ《タモリのオールナイトニッポン》で、その密室芸の一端を聴く事が出来ました。

《タモリのオールナイトニッポン》は、僕が大学生の頃で、毎週これほど楽しみにしていたラジオ番組はありませんでした。当時の話術は、それこそマシンガントークで畳み掛け、ほとんどが下衆なネタにも拘わらず、言葉のチョイスや言い回しに、不思議と品と教養が滲み出ているのです。 まだビートたけしの放送が始まる前のことで、当時は最先端の番組でした。

からす

いわゆる(夜タモリ)の時期は《今夜は最高》《タモリの音楽は世界だ》等のタモリならではの魅力的な番組が続くのですが、《笑っていいとも》が始まってからは、(昼タモリ)となってしまいます。

皮肉な事に《笑っていいとも》が大当たりしたため、この時期から徐々に押しも押されぬ国民的タレントとして定着して行くのですが、僕的にはその魅力は徐々に薄れて行きます。

当初発していた危険な匂いや、毒牙が徐々に削がれてゆき、サラリーマン化してゆくタモリに大きな失望を感じてしまったのです。

からす

しかし僕の浅い考えなど及ばぬ程に、タレントタモリは、時代の移り変わりと共にカメレオンのごとく変化してゆきながらも、その見せかけとは裏腹に根底には、当初持っていた反骨精神を醗酵熟成させており、齢70を過ぎた今の生き様は、年代物のウイスキーのごとく芳醇な香りを放ちながら、 時代に対して無言のアンチテーゼを投げかけている様に思えるのです。

からす

31年余りに渡ったお化け番組《笑っていいとも》を淡々と勤め上げ(すさまじい精神力)、何事も無かったように終了してしまうのですが、放送局やスポンサー、プロダクションや共演者等の、様々な軋轢やプレッシャーをおくびにも出さずに《反省は一切しない》をモットーに継続して行く過程で、 自身でも気づかないうちに精神的な覚醒が緩やかに起こり、今のタモリの佇まいとなっているのでしょう。

からす

《タモリ倶楽部》《プラタモリ》タモリを見ていると、自身の状況に期待も絶望もせず、あるがままの自分を100%受け入れ、他者に何望むべくも無く漂っている感じが妙に心地よく、その唯我独尊ぶりに脱帽なのです。

達観したかのようなあの軽さは、全否定(絶望)からの全肯定という俯瞰した物の見方にあるのでは。

その視点は、努力、根性、夢、信念、思想、権威、そのような重苦しくつまらない物を一瞬にして笑いに変え、軽く吹き飛ばしてしまいます。

からす

最後に、タモリの生き様を端的に表した言葉を紹介します。あるラジオ番組の立ち上げのスタッフ会議で、プロデューサーに即されての一言

「やる気のある者は去れ!」

そう、まさに「これでいいのだ!」なのです。

おしまい