計算された感動型コントからゲスの極みのコントまで。 お笑いオールラウンダー「バナナマン」の天下は、必然の結果なのか。

バナナマン

今やテレビで見ない日はない程、大活躍のお笑い芸人(バナナマン)。「テレビに向いていない芸人」「低空飛行芸人」を自負していた二人が、何故ここまでブレイクしたのか?

つい七、八年前までのコント職人バナナマンの主戦場は、夏の単独ライブと毎週金曜深夜の「JUNK バナナマンのバナ ナムーンGOLD」で、そこまでテレビで見かける事もなかった様に思います。 デビュー当時から、その実力は高く評価されており、あとはバラエティー対応のための自己プロデュース能力だけでしたが、そこから徐々に当初の尖った意識をエンターティナーに変換する意識改革がおこなわれたのでしょう。

からす

今のバナナマンはお笑い芸人として、最強のコンビです。単独ライブで見せる計算された緻密なコント(設楽統と作家オークラの作)と、バラエティーにおける設楽統のMCや大喜利での才能や、日村勇紀の爆発的な一発芸の才能。芸の幅で言えば比類無しです。

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僕は、深夜ラジオ「JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD」の随分前からのヘビーリスナーですが、ここでの二人の話芸と、リスナーから送られてくるメールのやり取りは、放送を重ねる中で培われたある種の「型」が、高度に完成されており、毎回高レベルのラジオエンターテーメントとして放送されています。 設楽とリスナーが徹底的に日村をもてあそび、それに乗っかる日村が圧倒的に面白く、すごいの一言なのです。

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ラジオネタのひとつに「素っ裸DJ」というネタがあります(最近はあまりやっていない)。 設楽が、なんの脈略もなく突然煽ると、瞬時に日村が素っ裸になってテンションマックスのDJが始まり、最後はお決まりの『恋するフォーチュンクッキー』を素っ裸で踊る(これはラジオだから出来るネタ)という、実に最低でくだらない代物なのですが、日村勇紀の面目躍如、天才芸人の底力を遺憾なく見せつけてくれます。

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芸人に限らず、キャリアを積むにしたがい身に付けなければならない物のひとつ(一番重要かも)に「脱力」があります。 これは人に教わって身に付く物ではなく、場数をこなし、それなりの辛酸を舐めながら自然と備わって来るものでしょう。 ルーティーンでもテクニックでもなく、つかみ所のない(何となく)な感覚のものが「脱力」で、この習得は本当に難しい。

書や絵で口に糊している者の端くれとして、僕もこの「脱力」で仕事をやるのが大きな課題のひとつなのです。

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では「脱力」 とは何か? それは、自身の作為や魂胆の出来うる限りの排除なのです。
宮沢賢治も言っています。
「無意識から溢れるものでなければ、多くは無力か詐偽である」と。
そう、究極は無意識の領域からの創作でなければ害でしかないと言い切っています(厳しいーっ)。

この無意識の領域に共時性(シンクロニシティ)という無限の智慧の大海があり、ここでは個々の自我では決して得る事の出来ない「インスピレーション」が泳いでいるのでしょう。

あれ? またまた大きく話がズレてしまいました。ゴメンナサイ戻します。

閑話休題

で、バナナマン。 おそらくこの「脱力」という感覚をそれとなく習得した頃から、今の快進撃が始まったのではないでしょうか。最強のコントネタと、最強のバラエティー対応。そして日村勇紀の最強の飛び道具を兼ね備えたバナナマンの天下は当分の間続いて行く事でしょう。

まだまだ楽しませて下さい。お笑いオールラウンダー「バナナマン」!

おしまい