道教(老荘思想)、古神道(縄文思想)、そしてネイティブアメリカンの宗教観。その共通する所は、いわゆる《GOD》の概念はなく、森羅万象と、その関わりそのものを宗教(神)とし、明確な教義を持たなかったこと。故に他者との争いや競争心は薄く、その精神は万物との共栄共存の道にあった。
民衆の集合無意識(選民意識・排他意識)が各国の指導者を選び、その本音(覇権主義・国粋主義・排外主義)の刃は、敵だけでなく自らをも破壊する諸刃の剣。
ネイティブアメリカン1000万人の屍の上に建国されたアメリカ合衆国。その因果は宇宙のシステムに従って、粛々と応報されます。今こそすべての所業を懺悔し、共栄共存の道を歩むべき時。
アメリカだけではなく日本も含めた世界の指導者(民衆)達も今一度、ネイティブアメリカン《酋長シアトル》のメッセージ (既にご存知の方も多いでしょう)に耳を傾けるべき時でしょう。
《父は空 母は大地》 寮美千子・編訳
ワシントンの大酋長へ
そして
未来に生きる
すべての兄弟たちへ
1854年 アメリカの第14代大統領フランクリン・ピアスはインディアンたちの土地を買収し居留地をあたえると申しでた。
1855年 インディアンの酋長シアトルはこの条約に署名。 これは、シアトル酋長が大統領に宛てた手紙である。
はるかな空は 涙をぬぐい
きょうは 美しく晴れた。
あしたは 雲が空をおおうだろう。
けれど わたしの言葉は 星のように変わらない。
ワシントンの大首長が 土地を買いたいといってきた。
どうしたら 空が買えるというのだろう?
そして 大地を。
わたしには わからない。
風の匂いや 水のきらめきを
あなたはいったい どうやって買おうというのだろう?
すべて この地上にあるものは
わたしたちにとって 神聖なもの。
松の葉の いっぽん いっぽん
岸辺の砂の ひとつぶ ひとつぶ
深い森を満たす霧や
草原になびく草の葉
葉かげで羽音をたてる 虫の一匹一匹にいたるまで
すべては
わたしたちの遠い記憶のなかで
神聖に輝くもの。
わたしの体に 血がめぐるように
木々のなかを 樹液が流れている。
わたしは この大地の一部で
大地は わたし自身なのだ。
香りたつ花は わたしたちの姉妹。
熊や 鹿や 大鷲は わたしたちの兄弟。
岩山のけわしさも
草原のみずみずしさも
小馬の体のぬくもりも
すべて おなじひとつの家族のもの。
川を流れるまぶしい水は
ただの水ではない。
それは 祖父の そのまた祖父たちの血。
小川のせせらぎは 祖母の そのまた祖母たちの声。
湖の水面にゆれる ほのかな影は
わたしたちの 遠い思い出を語る。
川は わたしたちの兄弟。
渇きをいやし
カヌーを運び
子どもたちに 惜しげもなく食べ物をあたえる。
だから 白い人よ
どうか あなたの兄弟にするように
川に やさしくしてほしい。
空気は すばらしいもの。
それは
すべての生き物の命を支え
その命に 魂を吹きこむ。
生まれたばかりのわたしに
はじめての息を あたえてくれた風は
死んでゆくわたしの
最期の吐息を うけいれる風。
だから 白い人よ
どうか この大地と空気を
神聖なままに しておいてほしい。
草原の花々が甘く染めた
風の香りを かぐ場所として。
死んで 星々の間を歩くころになると
白い人は
自分が生まれた土地のことを 忘れてしまう。
けれど
わたしたちは 死んだ後でも
この美しい土地のことを 決して忘れはしない。
わたしたちを生んでくれた 母なる大地を。
わたしが立っている この大地は
わたしの祖父や祖母たちの灰から できている。
大地は わたしたちの命によって 豊かなのだ。
それなのに 白い人は
母なる大地を 父なる空を
まるで 羊か 光るビーズ玉のように
売り買いしようとする。
大地を むさぼりつくし
後には 砂漠しか残さない。
白い人の町の景色は わたしたちの目に痛い。
白い人の町の音は わたしたちの耳に痛い。
水面を駆けぬける 風の音や
雨が洗い清めた 空の匂い
松の香りに染まった やわらかい闇のほうが
どんなにか いいだろう。
ヨタカの さみしげな鳴き声や
夜の池のほとりの
カエルのおしゃべりを 聞くことができなかったら
人生にはいったい どんな意味があるというのだろう。
後半につづく
後半はもっと素晴らしいです。
「父は空 母は大地」の全文はこちらをごらんください。
http://ryomichico.net/seattle.html
出典【『父は空 母は大地』(寮美千子・編訳 パロル舎刊)】