あぁ麗しの昭和歌謡曲⑪ 由紀さおり《夜明けのスキャット》愛する二人が夜明けの静寂に溶け込んだ時、時間は止まり愛の唄(永遠)がこだまする。

夜明けのスキャット

楽曲の終盤までは、延々と意味のないスキャットを繰り返す画期的な構成の昭和歌謡曲。しかしながら、由紀さおりの透明感のあるスキャットは、言葉以上のメッセージを僕たちに届けてくれます。名曲《夜明けのスキャット》のスキャットは、時代を越えて薄明の彼方に響きます。



バカ殿  「その方、名を何と申す。」

腰元   「さおり、と申します。」

バカ殿  「歳は幾つじゃ?」

腰元   「はい………、15歳でございます」

ブォーーーーン(尺八の不穏な音)

バカ殿 (刀を抜きながら) 「てめーーーっ、ふざけやがって! サバを読むにも程がある、15でそんなに小じわが出来るものか、このやろーーーっ!」


はい、お馴染み《ドリフ大爆笑》での志村けん由紀さおりの、殿様と腰元との掛け合いのシーン。 

このコントはシリーズ化されており、最初から順を追って見ていくと更に面白く、最後は、いつも罵られている腰元(由紀さおり)が短刀片手に殿様(志村けん)に詰め寄り、

「黙って聞いていりゃあいい気になりやがって、こっちとらぁ好き好んで年取っているわけじゃねぇ! どっちが先輩か、よーーく考えてみやがれ!」

と反撃をするというオチに行きつくのですが、これが後の志村けんの代表作《バカ殿》の原点なのです。 当時の由紀さおりは40歳前後だったと思うのですが、今見返すと、これが志村けんに終始ディスられている割には驚くほどに美しく、コントとして成立していないように思えるのですが、由紀さおりの天才的なコメディエンヌとしての才能(特に顔芸が秀逸)で演じられるため、完璧にキャラクターが出来上がっており、最高の出来栄えなのです。

からす

《夜明けのスキャット》とはまったく関係のない角度から始まってしまったのですが、今回の《あぁ麗しの昭和歌謡曲》は、前回のピンクマルティーニ繋がりと言うことで、由紀さおりの名曲《夜明けのスキャット》を いつものように僕はこのように聴こえた、もしくはこのように聴きたいと思ったことを、好き勝手に語ってみようと思うのです。 年寄りの戯言と笑いながら読んで頂ければこの上なき幸せ。

からす

作曲:いずみたく 作詞:山上路夫 1969年にリリースされ、150万枚以上を売り上げた、由紀さおり最大のヒット曲。
僕が小学校卒業間近に初めて聞いたスキャット。 明日おこなわれる卒業式。その式典で卒業生が答辞をそれぞれワンフレーズ言うという演出があり、なぜかわからないのですが、その第一声を僕が言うハメとなります。

「答辞! さわやかな春の陽射しをいっぱいに浴びた○○の丘!」

前日の深夜までかかって、このワンフレーズを必死に覚えた記憶が、鮮明に脳裏に残っているのですが、それと同じくらい記憶しているのが、深夜ラジオから流れてきた《夜明けのスキャット》。 曲の前半の全てがスキャットで歌われる斬新な構成もさることながら、当時二十歳の由紀さおりの透明感のある歌声は、深夜の静寂に響き渡ります(実際は汚らしい市営住宅の六畳間)。

「答辞! さわやかな春の陽射しをいっぱいに浴びた○○の丘!」の僕の声と、

♪ルルル・・・ ♪ラララ・・・ ♪パパパ・・・ ♪ルルル・・・ の由紀さおりの歌声の

異色のコラボレーションは、穢れなき少年の前頭葉を大きく刺激し、その後の人生をラリパッパ人生と決定づけてしまったのです。

からす


当時は歌詞の意味はまったくわからずに聴いていたのですが、曲の後半に歌われる、山上路夫の歌詞が今改めて聞くと最高に素晴らしいのです。
前半のスキャット部は、由紀さおりご本人が考えたそう。 偶然か考え尽くされたのはわからないのですが、セレクトされた音の響きが絶妙なのです。

♪ルルル・・・
静かで、穏やかなコミニュケーション

♪ラララ・・・
嬉しい、楽しい、祝福

♪パパパ・・・
パッション、歓喜、絶頂

♪ルルル・・・
静かな余韻、至福感

どうですか皆さん! 絶妙なスキャットの響き! 男女の愛の営みの全容を表しているのですよぉーーーーーっ!(こじつけとか言わないでね) そして、山上路夫の歌詞が続くわけなのですが、


愛し合うその時に この世はとまるの

時のない世界に 2人は行くのよ


夜はながれず 星も消えない


愛の唄 ひびくだけ


愛し合う2人の 時計はとまるのよ


時計はとまるの



当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの作曲家いずみたくに作詞を依頼された若き日の山上路夫は、すでに世界観が出来上がっているこの曲の作詞に

「これ以上、他に何も言うことがない」

と、頭を抱えてしまったそう。 書いても書いてもボツをくらい続け、アイディアが枯渇してしまった締め切り最終日の夜明けに、朦朧とした意識の中で、男女が静かに愛し合っている物語のシーンが頭に浮かび上がり、一気に書き上げたのだそうです。

やはり、この詩は理屈では言い表せない世界観がまとっており、いずみたくが要求したものは、山上路夫の無意識の大海から浮かび上がったものでない限り駄目だったのでしょう。

からす

カルロ・ロヴェッリの著作《時間は存在しない》 にも書かれているように、時間の流れ(過去から未来へ)は本来、人間の記憶の中にしか存在せず、理論物理学の世界で時間の不可逆性を証明できるのは、エントロピーだけだそう。それより深くツッコまれると『なんちゃって理解』のわたくしとしては返答に窮するのですが、要するに、時間の不可逆性を体感しているのは時間軸で記憶できる人間だけなんだそうです。その記憶は、人類が進化していく上で大変重要で便利な物なのですが、大きな意味での宇宙認識には不要な物なのかもしれません。

男性と女性が十全に恋の中に落ち、思考や理性が消え失せ感性だけで愛し合うとき、過去も未来も意味をなくし、今という永遠の大海だけが広がります。その大海に2人はとけあい、愛の唄のみが響き渡るのです。

「そんな経験、したことないわっ!」

と総ツッコミをされそうなのですが、2人が溶け合った瞬間それぞれの自我も消滅します。したがって私もあなたも消滅しており、溶け合った《物語》だけが残ります。 そう、経験する主語が無くなるので記憶も無くなる。だからこそ時間も消滅し愛の唄(永遠)のみが響き渡るのです。 さらに、理論物理学者のカルロ・ロヴェッリのオッサンが言うには、この《物語》の総体で宇宙は出来上がっているのだと…。

男女の恋愛に限らず世界と溶け合った瞬間は、おそらく人生の中で一度や二度、誰にでもおこっていると思うのですが…。

からす

これを宗教で説明しているのが密教。空海・真言宗理趣経や、ヒンドゥー教、チベット密教タントラの教えで、《夜明けのスキャット》はこれらと同じことを唄っているのですよーーーーーっ!

というわけで、由紀さおり《夜明けのスキャット》は、歌謡曲には珍しく永遠を歌った名曲であり、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」の盗作だと騒ぎ立てている次元の曲ではないことをここで宣言いたします!

それでは、未だ衰えを知らない歌声の由紀さおりをフューチャーしたピンクマルティーニの素晴らしい演奏をお聴きください。

由紀さおりに結構な緊張感はあるものの、この御年でこの透明感! 更には各フレーズの歌いだしに相当の神経を使われており、この歌の繊細なイメージを表現しております。 スキャット部の演奏と歌唱は、愛の営みの始まりと終わりを余すことなく表現。 ♪パパパ… を歌っている由紀さおりの歓喜の表情は、世界を幸せにしてくれます!

おしまい