ジャズ愛好家の間では、あまり人気のないアルバム《プリーズ・リクエスト》なのですが、朝飯前に軽ーーく演奏していても尚、この超絶技法とグルーブ感。ジャズピアノ入門アルバム第一位(今決めました)に燦然と輝く、オスカー・ピーターソン・トリオのもっともポピュラーな一枚。
「何でもゆーて、何でも弾いたるがな。」とニコニコ顔のピーターソンおじさん。寝ていても息がピッタリであろうこの最強トリオが、超リラックスした状況でお客さんのリクエストに、「ハイハイ、ほないきまっせーっ」と演奏しているような一枚。くつろいだラウンジやバーで、食事やお酒を楽しみ、会話をしながらオシャレに聴くジャズ。
ジャズの発祥がディキシーランド・ジャズからスイング・ジャズの流れから始まったように、そもそもがダンスミュージックであったのだから、この奏者と観客の関係性は絶対的に正しいのであります。
ピーターソンおじさんの流れるような、かるぅ〜〜いピアノタッチ。テーマである原曲のメロディーはほぼ崩さず、アドリブパートに入っても原曲のメロディーの近辺を程よくウロチョロした、「ちょうどいい」頃合いのアドリブプレイを展開します。
ベースのレイ・ブラウンとドラムのエド・ジグペンも、心地の良い演奏を繰り広げ、間違ってもお客様の食事や会話の邪魔はいたしません。ビル・エヴァンスみたく、「誰も僕のジャズを真剣に聴いてくれない!」などと口が裂けても言わないのです。
僕はこのアルバムからジャズピアノを聴き始めたものの、正直、2,30回ほど聴いたあたりで飽きてしまったのです。
では何故、《100回聴いても飽きないアルバム》として紹介しているのか?
ピーターソンおじさんに飽きた後、デューク・エリントン、バド・パウエル、セロニアス・モンク、マル・ウォルドロン、等の真っ黒なピアノを聴きあさります。その後、ビル・エバンス、キース・ジャレットを通過して、ピーターソンおじさんに戻ってくる訳なのですが、その時に久々に聴いた 《プリーズ・リクエスト》は、理屈抜きで優しく美しかった。
自分でもよく解らなかったのですが、「理屈やら理論もええけど、まずはリラックスしてワシのピアノ聴いてぇなぁ。」と囁くのです。さっきから、ピーターソンおじさん、何故か関西弁なのですが、演奏そのものは鼻に付くくらいオシャレで洗練されたものなのです。しかしこのアルバムは、肩の力がいい感じで抜けていて、「ワシら本気出したらムチャクチャ凄いんやけど、こんなもんでええやろ」的(ほっといたら凄まじいテクニックと音数)な演奏ではあるのですが、逆にそれが心地よく又、20回、30回と聴き続けてしまうのです。
そのサイクルを何度か繰り返し、結局《100回聴いても飽きないアルバム》となるわけなのです。
一曲目の《Corcovado》。 言わずと知れたアントニオ・カルロス・ジョビンの名曲。厭世的で、けだるい音楽であるはずのボサノバが、軽快にしかも温かさまで感じる演奏に聴こえるのは、そのピアノのまろやかな音質と転がるようなピアノタッチの成せる技なのでしょうか?
7曲目に収録されている、ボサノバの名曲《イパネマの娘》も、同じように軽く、丸く、明るく演奏しているのです。しかし凄まじいばかりの超絶テクニックで、ほぼミスタッチ無しの完璧な演奏なのです。ピーターソンおじさん、本気出したらこんなものではなく、これでもかというテクニックを延々と見せつけられるので、これくらいが「ちょうどいい」のです。
オスカー・ピーターソンを嫌いな人は、その超絶テクニックや音数の多さばかりが目立って鼻に付き、音と音の間に聴こえてくるはずの情感が聴こえて来ないと感じるのでしょう。僕もそのように感じて何度も離れるのですが、このアルバムだけはボヤーと聴いていると、何故かジーンときてしまうのです。
ここで、「ジャズプレーヤーにおけるテクニックと音数は、観客の感動と比例するのか?」という、ジャズファンの間でよく議論される問題に行き着くのですが、その度に、ドヤ顔のピーターソンおじさん、いつもやり玉にあげられる訳です。
ピーターソンおじさんとは対極にあるピアニストで言えば、バド・パウエルや、セロニアス・モンクがいます。
クラシック的な美意識から見ますと二人とも何か変なのです。特にセロニアス・モンクなんか はテクニックもないし奏法そのものも個性的で絶対に認められるものではないのでしょうが、ジャズファンからすると最高に黒く響くピアノタッチとなる訳です。
キースジャレットは言っています「観客の多くは、音そのものよりも、音と音の間(無音の部分)を聴いているのではないか?」と。
良質の小説や短歌の行間で語る情報は、言葉の表現の何倍もの情報量を宿します。音楽の場合も同じように、音と音の間やそれによって醸される独自のリズムで、よリ以上の情緒を僕たちは受け取るのです。
特にジャズのようにその個性を激しく競う音楽の場合は、よリ顕著となるのでしょう。
で、ピーターソンおじさん。
クラシックに裏打ちされた凄まじいばかりのテクニックと音数。両手を駆使したハーモニー。ここまでくると、もうそれは立派な個性であり、隙間のない音の羅列が独自のグルーヴ感を醸し出し、そのすべてに包み込まれた時、テクニックや音数のことなんか忘れてしまう程に心地よい世界に誘ってくれるのです。
が、しか〜し、バド・パウエルとセロニアス・モンク、今回改めて聴き直したのですが、やっぱり痺れるほど良いんですよ〜〜っ!
ピーターソンおじさん《プリーズ・リクエスト》の紹介の記事だったのですが、久しぶりに聴いたバド・パウエルやセロニアスモンクにまたしても感動してしまい、何の紹介記事かわからなくなった所でおしまいです。