世の中は、所有出来る物や約束出来ることなど何一つ無く、それだからこそこの世界は永遠で美しいことを教えてくれたのは、友部正人でした。
吉田拓郎、井上陽水、忌野清志郎等と同世代のシンガーソングライター、友部正人。
メジャーな音楽界に旅立った同世代のフォークシンガーに多大な影響を与えながら、自身はその光を浴びること無く(意図的に避けている?)、一部の熱狂的なファンのために、全国の小さなライブハウスで歌い続けます。
その歌は、日本的感性をベースに、日常を超リアルな眼差しで、生きて行く上で必要であるとされている様々な常識や決めごとをいとも簡単に崩壊させ、その後に現れたあるがままの風景の美しさや残酷さを僕たちに感じさせてくれるのです。
1972年に発表されたデビューシングル「一本道」 その表現の斬新さは、誰も真似の出来るものではありません。 友部正人の表現は、俳人や詩人と同じ様に結果や結論を直接的に言葉にして伝えるようなことではなく、遭遇した事象をそのまま切り取って適切な比喩で描写します。その瞬間に感じた感覚や想いは、型にはめ込んでしまうと消えてしまうほど微妙なもの。
例えば、「一本道」の歌詞でその日一日の表現を(しんせい一箱分の一日を 指でひねってゴミ箱の中)と歌います。 さみしい、切ない、つらい、悲しい等の形容詞で表現してしまえば、小さく固定されてしまいますが、この表現だと言葉では言い表せない複雑な感情を伝えます(しんせいと言うタバコの銘柄は古くさいですけど)。
また、彼女と別れ、見送った後の自分の想いを(あぁ中央線よ空を飛んで、あの娘の胸に突き刺され)と歌い、愛おしさや憎しみや未練や、自分でもわからない様々な感情を中央線の弓矢に乗せて、彼女の胸を射んとします。
その昔、「I love you.」を「月が奇麗だね」と和訳した夏目漱石の持つ感性は、いまだに受け継がれ、それが日本人共通の心の拠り所だとするなら、受け手のイマジネーションで如何様にも変容するその比喩による表現は、幾重にも重なる感情を 普遍的に伝えることの出来る、唯一の方法かもしれません。
その後、1975年発表の「誰もぼくの絵を描けないだろう」の世界観は、ちょっと危険な領域に踏み込んでおり、日常生活に戻れなくなる恐れがあるので心して聴くことですね。ちなみにこの曲は、あがた森魚もカバーしており、こちらはファンタジー色が強いアレンジで非常に美しいです。
1980年代に入っても「愛について」や「はじめぼくはひとりだった」等の名曲を発表。 1990年代は「こわれてしまった一日」が僕は大好きです。
YouTubeに上がっているジャズピアニスト板橋文夫とのセッション「夕陽は昇る」これは凄いの一言です。
当時の時代性は現代とは大きく異なりますが、今一度その歌に浸った時、時空を越えて、現代にも通じる新たなメッセージ として若い世代にも響くと思うのですが…。