ビックリ美人《ちあきなおみ珠玉のカバー曲5選》(矢切の渡しはオリジナルだけど)

ちあきなおみ2

ビックリ美人・ちあきなおみは、沢山のカバー曲を歌っているのですが、そのすべてが素晴らしく、ちあきなおみの身体と心を通過した物語を僕たちに聴かせてくれ、原曲の持つ歌の世界観の幅を より大きく広げてくれたのです。

歌謡曲、流行歌が日本から消滅して久しいのですが、昨今のYouTubeチャンネルの充実度は凄まじいものがあり、当時の曲はほぼ全て聞き返すことの出来る便利な時代となりました。 

再び猛威を振るう《新型コロナウイルス》は終息の兆しさえ見えませんが、再びエンタメ業界が活気を取り戻すまで、YouTubeチャンネルでやり過ごすしかなさそうです。 

ネット配信される興行を積極的に購入したり、CDやDVDを購入するなど、微力ながらエンタメ支援の活動もチマチマやっているのですが、もっと大切なのは、引退して久しい、ちあきなおみの歌を聴くこと(何故だ!)。

からす


前回、《夜間飛行》の記事を上げたのを機に、ここ何日かは、ちあきなおみ三昧の日々。改めて聴き直すとこの人の底知れぬバケモノ度を再確認! もしかしたら、その表現力においては美空ひばりをも越えているのではと思う猛暑の昼下がり。

特に、様々なカバー曲を聴いていると、すべてちあきなおみのフィルターを通過した新たな物語を紡いでおり、今まで聞き逃していた原曲の魅力を再発見させてくれるのです。


今回は《ちあきなおみ珠玉のカバー曲5選》と題しまして、ちあきなおみの魅力とその恐怖をお送りいたします。

からす


①黄昏のビギン


僕的には中村八大永六輔のコンビの最高傑作だと確信する楽曲。

このおしゃれなバラード、なんと1959年にリリースされた半世紀以上も前の曲なのです。 オリジナルは水原弘だったのですが、この曲の魅力を最大限に引き出した歌手がちあきなおみだったのです。 

数多くのCMで使用された曲なので、誰もが一度は聴いたことがあるはず。 作曲家の中村八大は元がジャズマンであったため、このような洗練された楽曲が生まれたのでしょうが、こんなとろけるような、ロマンチックなラヴバラードを あの永六輔が作詞したなんて信じられないのです。 


雨に濡れてた たそがれの街
あなたと逢った 初めての夜


ふたりの肩に 銀色の雨
あなたの唇 濡れていたっけ


傘もささずに 僕達は
歩きつづけた 雨の中
あのネオンが ぼやけてた


雨がやんでた たそがれの街
あなたの瞳うるむ星影


夕空晴れた たそがれの街
あなたの瞳 夜にうるんで


濡れたブラウス 胸元に
雨のしずくか ネックレス
こきざみに ふるえてた


ふたりだけの たそがれの街
並木の陰(かげ)の初めてのキス
初めてのキス


成就する間際の恋の始まりの二人の時間。 その時間は限りなく永遠に近く、限りなく美しい。 そんな永遠の幻を切り取って、アルバムの中に閉じ込めたような曲。その永遠の幻とは、


♪ふたりの肩に 銀色の雨
あなたの唇 濡れていたっけ


《銀色の雨》雨が銀色に見えるのは恋の始まりだけ。《濡れた唇》は、雨のせいなのか、それとも…。 その時目に映った《あなたの唇》はまるで宝石のよう!

かーーーーっ! あの永六輔があの顔で、こんなロマンチックなフレーズを書きやがるのです!!


♪濡れたブラウス 胸元に
雨のしずくか ネックレス
こきざみに ふるえてた


《濡れたブラウス》の胸元に震えているのは、雨のしずくかネックレスか? まさにこの瞬間、世界の時間は止まっているのです。 この一瞬の幻は、聴き手の脳内に明確に再現されてしまいます。

なんと素晴らしい! 

なんと美しい! 

なんとエロテック!


と、色々調べてゆくとこの詞、本当は作曲した中村八大自らが書いたそう。当時、常にコンビで仕事をしていた中村八大の優しさから永六輔とクレジットされたそうなんです。 

やっぱりっ! 


あのガサツな永六輔がこんな詞を書けるわけがない、いや、書いてほしくない!(嘘です、冗談です。天国の永六輔さん、《見上げてごらん夜の星を》なんかは、わたくし大好きなのです。)


そして、この素晴らしいアレンジを担当したのが、祖父・服部良一、父・服部克久をもつ音楽エリート、服部隆之だったのです。

イントロのストリングスから、アコースティックギターのアルペジオの伴奏、そして間奏のストリングスが奏でるビギンのリズム。 この気品高きアレンジがなければ、これほどに聴き手の胸に響くことはなかったでしょう。 

これぞ日本のスタンダードジャズ!


②星影の小径


この曲、な、なんと1950年につくられたバラード。戦後アメリカの占領政策の一環として、ジャズが洪水のように敗戦国日本になだれ込んで出来ます。 中でもビング・クロスビーの優しい歌声は絶大な人気を博し、その歌唱法・クルーナー唱法(マイクの特性を生かして、語りかけるように優しく歌う)で歌ってもらうことを前提に、作曲家・利根一郎はこの曲を作曲。当時の人気歌手・小畑実の歌声でヒットします。

その音は、当時の日本の街並みの映像が思い起こされ(まだ生まれていないけど)ます。ジャズアレンジや演奏も拙いのだけれど、それがかえって戦後日本のジャズの香りを放っております。


 で、42年の時を越え、1992年、ちあきなおみの歌声で再度リリース。この時すでにちあきなおみは芸能界を引退しており、この曲をライヴで聴くことは叶わなかったのです。 しかし再アレンジされた《星影の小径》は、まったく別の曲のように生まれ変わり、今聞いても半世紀以上昔の曲には到底思えないほどにお洒落で素晴らしい! 特にちあきなおみのアカペラの多重録音で始まる曲のイントロは秀逸。その世界観はハンパありません。


《黄昏のビギン》は男性目線からのものでしたが、こちらは女性目線から永遠の幻を歌います。


静かに 静かに
手をとり 手をとり
あなたの 囁きは
アカシヤの 香りよ


アイラブユー アイラブユー
いつまでも いつまでも


夢うつつ さまよいましょう
星影の小径よ


 
静かに 静かに
じっとして じっとして
私は 散っていく
アカシヤの 花なの


アイラブユー アイラブユー
いつまでも いつまでも


抱かれて たたずみましょう
星影の小径よ


♪アイラブユー アイラブユー

のフレーズは、当時にしては非常に斬新だったと思うのです。直訳して「私はあなたを愛してます」なんていうつまらない意味で聴きとるのではなく、ここはやはり文豪・夏目漱石先生の感性で「月が綺麗ですね」的なニュアンスで感じてほしいもの。

この歌詞の中では「あなたの瞳に映る、煌めく星空のなんと美しいことよ」というところでしょうか?(超ハズカシーー――ッ)


私は 散っていくアカシヤの花と歌われているのは、世を忍ぶ恋なのか? それでも、二人寄り添った揺れる星影を夢うつつに眺めながら、この永遠の幻に何時までも浸り続けたい女心。 ちあきなおみ、渾身のカバー曲です!


からす

③朝日のあたる家


言わずと知れたアメリカのロックグループ《アニマルズ》がカバーして大ヒットとなった、アメリカのカントリーフォーク。 これを日本の女性ジャズシンガー・浅川マキが訳詞したものを 我らが歌姫・ちあきなおみがカバー。圧倒的な歌唱力と表現力、そして鬼気迫る演技力で歌われた《朝日のあたる家》は唯一無二で、一本の映画を観たような壮大さを感じさせてくれます。 

さすがに最優秀憑依型歌唱大賞を受賞した(今作りました)だけのとこはあります。沢山のシンガーがカヴァーしている曲ですが、ちあきなおみがカバーは別物。一度聴いて観て頂けたら納得されるでしょう。


もう、演じているレベルを遥かに超えて、身を崩した娼婦そのもの。どす黒い女の情念がほとばしっているのですが、どん底に落ちながらも人としての尊厳、女性としての凄み、覚悟、そして何らかの気品を感じてしまうのは僕だけでしょうか?


あたしが着いたのは ニューオリンズの
朝日楼という名の女郎屋だった


愛した男が 帰えらなかった
あんときあたしは 故郷(くに)を出たのさ


汽車に乗って 又 汽車に乗って
まずしいあたしに変りはないが


ときどきおもうのはふるさとの
あのプラットホームの薄明り


誰か言っとくれ 妹に
こんなになったらおしまいだってね


あたしが着いたのは ニューオリンズの
朝日楼という名の女郎屋だった


浅川マキの訳詞が凄まじく、その世界観をさらに上回るほどの圧倒的なリアリティー。女郎屋《朝日楼》の薄暗さや擦れた匂いまでも漂ってきます。


♪ときどきおもうのはふるさとの
あのプラットホームの薄明り


人生の記憶は、理屈や言葉ではなく、このような何でもない小さなディティールのワンショットとして残ります。この風景の中に様々な記憶や感情、そして生き抜くことの意味が内包されており、この間奏に入る前のフレーズを歌うちあきなおみの歌声と佇まいは、そのすべてが滲み出ており、ある種の恐怖さえ覚えるのです。


♪あたしが着いたのは ニューオリンズの
朝日楼という名の女郎屋だった


曲の最初と最後に同じフレーズが歌われます。 二つのフレーズの歌唱法を聞き比べて頂くと、ちあきなおみがバケモノといわれる所以が分かるのです。 最後の表情を見ると、これはもう、ホラー歌謡曲と名付けてもいいのではないでしょうか? なおみ姉さん、怖すぎる~~~~っ!


④星の流れに


星の流れに 身を占って
何処をねぐらの 今日の宿


荒む心で いるのじゃないが
泣けて涙も 涸れ果てた


こんな女に 誰がした


煙草ふかして 口笛ふいて
あてもない夜の さすらいに


人は見返る わが身は細る
街の灯影の わびしさよ


こんな女に 誰がした


飢えて今頃 いもとは何処どこに
一目逢いたい お母さん

ルージュ哀かなしや 唇かめば
闇の夜風も 泣いて吹く


こんな女に 誰がした


原曲は戦後間もない1947年に、菊池章子の歌声で発売。当時、米兵相手に身を売っていたいわゆる《パンパン》と呼ばれていた女性達の歌。清水みのるが、戦後日本の状況を憂いて一晩で書き上げた反戦歌。 

戦時中、鬼畜米英と罵り続けていた米兵に身を売る多くの日本女性を 救うこと
も叶わなかった、敗戦国日本の男性の悔しさややるせなさは、想像に難くありません。


この曲をカバーした歌手は限りがないのですが、中でも秀逸なのが、ちあきなおみ藤圭子。 原曲はこのような状況に追いやった、戦前、戦中の日本の指導者達に対する恨み節なのですが、特にちあきなおみが歌うと《恨》《憎》の感情が薄れ、女性の持つ根源的な《憂》の感情がフューチャーされます。


歌詞に書かれている境遇よりももっと俯瞰した、あがなえない人生の悲しみの歌に聴こえてくるのです。


そして藤圭子。このバージョンは完全にブルース。そう、さすらいのブルースシンガー藤圭子の面目躍如! 願わくばアレンジをもっともっと、ブルージーにしてくれていたならば…。 今は亡き、羽田健太郎のピアノアレンジで聴きたかった。 


しかし、こんな荒んだ歌を歌っても、お二人ともに下衆に聴こえず、どこか美しく気品があるのは何故でしょうか?


⑤《矢切の渡し》


「つれて逃げてよ……」
「ついておいでよ……」


夕ぐれの雨が降る 矢切の渡し
親のこころに そむいてまでも
恋に生きたい ふたりです


「見すてないでね……」
「捨てはしない……」


北風が泣いて吹く 矢切の渡し
噂かなしい 柴又すてて
舟にまかせる さだめです


「どこへ行くのよ……」
「知らぬ土地だよ……」


揺れながら艪が咽ぶ 矢切の渡し
息を殺して 身を寄せながら
明日へ漕ぎだす 別れです


《矢切の渡し》はカバーではない、ちあきなおみのオリジナルじゃぁ~~~~~っ!!


と、総ツッコミされている紳士淑女の皆様、わかってます、わかってますって! だけど細川たかし《矢切の渡し》が一番売れた上、レコード大賞まで取りやがるもんだから、あちらのほうがオリジナルと認識している方のほうが圧倒的に多いのです。 

ちあきなおみ《矢切の渡し》は、当初B面曲だったものだからほとんど知られることもなく埋もれていた曲だったのです。 のちに梅沢富美男が舞踊演目で使用したことにより、やっと注目を集めるのです。 

僕は細川たかしも大好きな歌手なのですが(《望郷じょんから》今聴いてもは痺れまくりです!)、こと《矢切の渡し》に関しては圧倒的にちあきなおみの歌唱を支持するのです。


とろけるようなバラード曲は、ちあきなおみの繊細な感性を感じることが出来、癖のある楽曲は、ちあきなおみの異常性が垣間見れます。しかし、《矢切の渡し》のようなド演歌を歌うちあきなおみは、どの演歌歌手よりも独特の情緒で、ド演歌を歌い切ってしまうのです。


世間体よりも恋に生きようとする二人が、柴又の矢切の渡し船に乗って駆け落ちするワンシーンを切り取った演歌の名曲、頑固一徹・男・船村徹、渾身の一曲! 

手漕ぎの櫓の船に揺られるリズムで歌い上げるちあきなおみの描く景色は、作詞家・石本美由起の詞の世界を さらに大きく膨らませたのです。 ちあきなおみ、演歌を歌ってもそのカイブツぶりをいかんなく発揮するのです。


以上、ビックリ美人《ちあきなおみ珠玉のカバー曲5選》(矢切の渡しはオリジナルだけど)でした。 

皆さん!ちあきなおみの溢れ出る妖気と狂気で、新型コロナウイルスなんかぶっ飛ばしましょう!!