《NHK紅白歌合戦》が全盛を誇っていた1970年代。お年寄りから子供まで、ほとんどの国民は、この番組を食い入るように観ていました。とりわけ1972年の紅白は昭和歌謡全盛期で、平均視聴率は何と80.6%! 我らが沢田研二(ジュリー)が、初出場を果した年でもあったのです。
今年も早いものでもう11月半ば、あっという間に大晦日です。ここのところ低迷を続ける紅白歌合戦は、引退間直の安室奈美恵を引っ張りだせるか否かのみが唯一の話題という、何とも切ないほどの落ち込み様。心ワクワクしながら食い入るように見ていた1970年代の全盛期の紅白は何処に行ったのでしょうか?
以前、このブログの記事で提案した、新しい紅白歌合戦の在り方を、真剣に検討してみて下さいよぉーーーっ、NHKさぁーーーーーん。
https://blog.akiyoshi-zoukei.com/katsu/post-428
過去記事一部抜粋
毎年放送されている小田和正の『クリスマスの約束』という番組があります。中でも2009年放送した、出演アーチストの楽曲を繋いだ25分にも及ぶメドレー。個々のプライドをかけた真剣勝負で、その緊張感たるやテレビ画面からもほとばしる程の圧巻のパフォーマンスでした。
これを演歌、アイドル、ロック、フォーク、クラシック、ヒップホップミュージック、等それぞれのジャンルでチームを構成し、30分程の尺でジャンル間の対抗戦をやります。
例えば演歌。
近年、紅白においての演歌の扱いの酷さは目を覆うほど。サッパリわからない演出で、アイドルを後に従え困惑気味に歌っている五木ひろしや細川たかしは、見るに忍びない程。本来、演歌歌手の歌唱力、表現力は、他のジャンルの歌手を圧倒しています。特徴を生かした演出とアレンジ次第で、その実力を思う存分発揮出来るはず。
他のジャンルのアーチストも、しっかり作り込んだ完成度の高いパフォーマンスを見せつければ、そのジャンルを大きく活性化させる事も可能なのではないでしょうが?
ダメですか? 審査基準がわかり難い? 紅白の歌合戦になっていない?
わりました!
それではこのパターンで、紅白の対抗戦といたしましょう!各ジャンルを男女の紅白に分けて、ジャンルごとに点数を競い、その合計点で赤白の勝敗を決定いたします。
これでどうですか、NHKさん? これでもダメ? そうですかダメですか…。
どうせこんなブログに書いたって、1ミリたりとも届いていないよなぁ、NHKには……。
妄想の末、一人勝手に傷心した所で、本題です。
1972年大晦日《第23回NHK紅白歌合戦》、大ヒット曲《許されない愛》を引っさげて初出場を果たした沢田研二。
その日我が家では例年以上に殺気だって動き回るジュリー狂の母親と、ふざけながら手伝う姉達が、たった2畳の台所でおせち料理の準備をしています。
僕はといえば、〈九州の男は家事を手伝ってはいけない〉という不文律をいい事に、ポヤーッとこたつで丸くなってテレビを見ております(ただし結婚後はその限りにあらず、、、泣)。
その年には既に父は亡くなっており、一番上の姉も嫁に出て、母親と姉2人、そして僕の4人家族でした。姉の中でより熱心なジュリーファンは真ん中の姉の方だったのですが、小さな頃から何かしらやらかすのも、決まってこの真ん中の姉なのです。
家族皆で牡蠣を食べれば、一人決って下痢をします。家族皆で柿を食べれば、決まって渋柿に当たるのも真ん中の姉。家族旅行の電車内で、父親が奮発して買い与えてくれたソフトクリームを、調子に乗ってはしゃぎ、勢い余って床に落としたうえ、それを拾って食べると聞かずに泣き叫んだのも 真ん中の姉。街の商店街の歳末福引きで、母が当てた魔法瓶(当時のポットの内側はガラス瓶で出来ていたので、こう呼んでいたのです)を入れた紙袋を嬉しさの余り振り回しながら帰っていた所、紙袋の底が抜け、魔法瓶は奇麗な放物線を描きながら道路にガッシャーーーーーーーン!!
その、ポンコツすぎる姉が、その年の大晦日にまたしても……。
おせち料理の準備が予定より長引いてしまい、ジュリー狂の母は毎年食べる年越し蕎麦の用意を、夜の9時から始まる《NHK紅白歌合戦》までに(初出場のジュリーの入場時の勇姿をゆっくり見守るため)間に合わせようと必死です。
家は裕福ではないために母親は節約して、毎年の年越し蕎麦に入れる卵は、一人に半分ずつでした。しかし今年はジュリーの紅白初出場を祝って(なんちゅう理由だ?)、今年の卵は一個ずつ。
ジュリーの入場シーンに間に合わせるため、大急ぎで蕎麦をどんぶりに入れ、子供達の3人分をお盆に乗せます。僕と下の姉は、いつもより遅い夕食にお腹がペコペコ、食べる気満々でコタツに座ってスタンバイ。そこに熱々の美味しそうな年越し蕎麦(なんと!卵一個入り)を乗せたお盆を上機嫌で運んでくる姉。
そこで事件は起こります。
右のテレビから聴こえてくる山川静夫アナの「第23回NHK紅白歌合戦!」の声にハモるかのような、左の台所からの母の「気をつけてもって行きよーー!」のバックコーラス。
そして主旋律でひと際大きく響いたのは、年越し蕎麦(3杯分)のお盆を持ったまま、框に盛大に蹴つまずいて倒れながら放たれた、姉の「今年の卵は一個ずつぅーーーーーーー。」のソロパート!!
そう、卵一個入りに浮かれ、調子に乗って運んで来たものだから、台所と和室の間の上がり框に足をとられ、僕と下の姉のいるコタツめがけて蕎麦もろとも、スカーイダイビング!
その時、僕の眼前に展開された映像は!
まず目に飛び込んで来たのは、笑顔から恐怖の表情にグラデーションで移行する姉の顔。と同時に襲いかかる、熱々のおつゆと、その中で揺らめくそば麺。第二波で襲って来たのは、奮発して一個ずつ入れられた熱々の半熟卵たち。とどめは、差し色として、ことのほか美しい、きざみネギの緑、緑、緑……。
覚醒した人間はあらゆる情報を一瞬にして理解すると申しますが、生命の危機を感じたこの一瞬だけ僕は無我となり、きっと悟って(覚醒して)いたのでしょう。
山川静夫アナと母の声のコーラスをバックに、これらの映像が、走馬灯ようにコマ送りでゆっくりと展開されたのであります。 そして姉の「今年の卵は一個ずつぅーーーーーーー。」のソロパートが終わるか終わらないかの刹那、
ガッシャーーーーーン! バッシャーーーーーーン! ドッターーーーーーーン! アッヂーーーーーーーーーーッ、アッチ、アッチ、アッヂーーーーーーーーーーッ!
昨日まで必死で大掃除し、ピッカピカになった6畳の茶の間が、一瞬にして蕎麦びたし。僕と下の姉は熱さのあまり、散々蕎麦つゆをはじき飛ばしたものだから、張り替えたばかりのまっさらな襖や障子も盛大にシミだらけ。
この出来事が、無かった事と思いたい4人の想念が、しばしの、沈黙の時を作ります………。
この時、僕は人生で始めて、ダリのシュールリアリズムを理解するのです(なぜだ!)。
その沈黙の中、蕎麦まみれの茶の間のテレビは、淡々と紅白のジュリーの入場シーンを映し出します。年越し蕎麦と茶の間が一瞬にして台無しになった悔しさと、ジュリー初出場の感動の喜びが入り交じって流す涙は、もはや母自身、何の涙かわからなかった事でしょう。
何とか後始末も終り、泣きながら「ゴメンね、ゴメンね」と謝る姉を、どやし続けていた母も、最後には「私の分、一杯だけでも無事やったけ、良かったやん。」と、優しく慰めてあげています。
こうして家族4人で食べる〈一杯のかけ蕎麦〉ならぬ、〈一杯の年越し蕎麦〉は、今でも忘れられない特別な思い出として、家族皆の脳裏に焼き付いたのでした。
その年、紅白初出場で、ジュリーが見事に歌いきったのは《許されない愛》でしたが、姉は、家族の愛で無事、許されたのでした(ちっともうまいこと言えてないぞーーっ!)。
https://blog.akiyoshi-zoukei.com/katsu/post-713
https://blog.akiyoshi-zoukei.com/katsu/post-798
https://blog.akiyoshi-zoukei.com/katsu/post-875