《Drハインリッヒの憂鬱》“文学的苦悩” を重ねる女漫才師。それでも今年は過去最高、M-1準々決勝まで進んだんやけど…。

Drハインリッヒ2018

短いめになった鉛筆の持つとこ長くする銀色のやつをボロボロ、ボロボロまき散らしながら、今年もM-1決勝戦を前に、派手に散っていった《Drハインリッヒ》。 何も失っていないのに何かを取り戻そうとする旅は、《M-1グランプリ》を目指す旅とは異なるのか?

またしてもあかんかった《M-1グランプリ》。過去最高の準々決勝進出までは果たしたものの、ここで力尽きます。3回戦、準々決勝と、二本のネタを観させてもらったのですが、やっぱり面白いんですよ。面白いのだけれど、4分の間に《Drハインリッヒ》の文学的、哲学的な世界観に一般の観客を引き込む事には成功してはいないように感じたのは僕だけでしょうか?(あくまで映像で見ただけなので間違っていたら御免なさい)。

からす

お二人とも相変わらずハイヒールに黒のスーツでビシッときめ、男前な漫才を繰り広げるのですが、その演出はデビュー当時とほぼ同じ。自分たちのスタイルを崩してまで観客に伝えようとか笑わせようなどという考えは微塵もなく、あくまで《Drハインリッヒ》の世界観とスタイルで、M-1を正面突破しようという心意気。

《バカルディ―》《さまぁーず》に、《海砂利水魚》《 くりぃむしちゅー》に、改名したのと同時に芸風まで観客に寄せて、メジャー路線に走った様に(結果的にこれは大正解だった)、《Drハインリッヒ》にそれを望んでいるわけではないのだれけど、今の芸風のままだと、理解者は一部の熱狂的なファンにとどまり、それより外に大きく広がりを見せるのは至難の業。

《Drハインリッヒ》は、売れてメジャーな芸人として活躍したいはず。しかしながらお二人は、今のスタイルしか出来ないと思い込んでいる節があり、その世界観の単独ライヴや漫才のフィールド以外の活動には消極的な気がするのです。

おそらく、漫才師のくせに信じられないほどにシャイなのでしょう。傍から見るとお二人は、自らメジャーの道を閉ざしているとしか思えないのです。

ド素人の僕が感じたことの戯言なので、憶測の域を越えてはいないのでしょうが…。

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こうなったら、何らかの思い切った冒険をやってみるのも一つの手だと思うのですが…。

もしくは開き直って、徹底的に純文学路線の漫才をより深く突き進み、より哲学的思考を展開させながら今よりもっと異常な世界に入り込み、一般人には到底理解不能な領域にまで誘いながら笑うしか道がないところまで観客を引きずり込むことが出来れば、また違った道が開けるのではないでしょうか?

ちょっと言っている意味が自分でもわからなくなってきたのでやめますが、とにかくソクラテス的な哲学的思考で、観客の立ち位置をぐらつかせ、生・死、美・醜、善・悪の基準を徹底的に破壊し、物知り顔の観客を思考停止に追い込み、我々は「知らないということを知っているのだ」という、《無知の知》を突きつけるのです。

今までの《Drハインリッヒ》の漫才のネタそのものが、その入り口にあり、この哲学的思考を漫才に昇華し笑いにするというあり得ないことを可能にしてきた初めての漫才師なのですから、さらに深く突き進むことは不可能ではないはず。 これをM-1決勝戦でやれれば僕的には至上の喜びなのですが、ほぼ実現不可能だと思われるので、違うラインで展開しないといけないのでしょう。 ネットTVなんか《Drハインリッヒ》の番組、作ってくれないかなぁ…。

少なくとも僕は絶対に見ます!

からす

言うは易しで、現実には大変難しいのでしょうが、《Drハインリッヒ》の漫才の価値を認めてあげないと、日本のお笑い界の宝を一つぶすことになるのですよ、皆さん!

そもそも、《手足の生えたミョウガ》を連れて散歩をしているなんて発想、安部公房筒井康隆、カフカでも思いつきません。更にそいつは《何も失っていないのに何かを取り戻そうとしているミョウガ》なのです。 そう、それは現代人の僕たちのアホさ加減を皮肉って笑っているのです。 笑っている僕たちは、実は自らを笑っているという合わせ鏡。

たち悪いのですよ、この双子。 京都人だけのことはある。

《Drハインリッヒ》のネタを説明するほど野暮なことは無いので、この辺りでやめときますが、何気ないすべてのフレーズにこのような哲学的な考察がひそんでいるのが《Drハインリッヒ》のネタなのです。

人は、知らないうちに何かを創造している歯車になっている。だからこそ無自覚に生きることの罪は深いのです。今なお一人一人の言動が世界を創り、宇宙を創造していることを僕たちは、へらへら笑っているうちに《Drハインリッヒ》に教わり、わからないうちに後頭部に廻し蹴りを食らうのです。怖いのです、恐ろしいのです、イケずなのです、この双子。

それにしても、《Drハインリッヒの憂鬱》はいつまで続くのか?

からす

さて、《Drハインリッヒ》は敗れてしまったのですが、今年もM-1決勝戦の季節となりました。

《Aマッソ》ネタは面白いのに相変わらず漫才下手でダメやったし、《四千頭身》も、いまいちのウケで敗退。久々に見た《モンスターエンジン》西森のおっさんは、やけくその壊れっぷりでとても面白かったのに準々決勝で敗退。《Drハインリッヒ》を筆頭に僕の押している芸人さんの大半が決勝進出を果たせなかったのですが、今年決勝に進出した漫才師は、いずれも実力者揃いで、決勝戦そのものはとても楽しみなのです。大げさではなく、どのコンビも命がけで挑んで勝ち残った強者。面白くないはずはないのです。

一通りご紹介させていただきますと、

まずは《トム・ブラウン》

初の決勝進出。みちおが、身体を使ってひたすらボケまくり、それを甲高い声の布川がひたすら突っ込むという展開。ハマると最高に面白いのだけど、漫才としての評価はどうなのか? 審査員によって点数がバラけるかも…。 M-1でケイダッシュ旋風を巻き起こせるか?

そして《霜降り明星》

歌ネタ王決定戦の決勝にも進出。さらに互いにピンとしてR-1ぐらんぷり決勝にも出場経験のある実力者。せいやが、身体を使ってボケまくり、野太い声の粗品がひたすら突っ込むという《トム・ブラウン》と同じような展開。ちょっとかぶり気味の二組なのですが、ツッコミの力量とボケのパフォーマンス双方が素晴らしいので、笑いの量は稼げるのでしょうが…。 優勝となるとさすがに厳しいのかもしれませんね。 「せ、せ、せいや、せせせいや。ガンバレ、せいや!」

次は実力派《ギャロップ》

正統派しゃべくり漫才の王道を行く本格派。林健のハゲいじりの漫才が多いのですが、ネタの重ね方が抜群でグイグイ引き込まれて行き、二人のキャラクターがしっかり降りてくる後半は、独特の面白味が舞台を包み大いに笑わせてくれます。ただ、いかんせん華がないし新鮮味も、頭と一緒で薄すぎるというか、ない! でも頑張ってほしい!

更には勢いのある《見取り図》

リリーの柔らかいボケに、独特の声質で突っ込む盛山。この人の声質のトーンで漫才の色を作ります。リリーが丁寧にボケを重ねて行き、盛山のツッコミで笑いを取るスタイル。ただ、M-1で優勝するのに絶対条件の《爆発力》が弱いのが、唯一の弱点か?

そして常連の《ゆにばーす》

M-1で優勝するためだけに結成されたコンビ。だみ声のはらのユニークなボケと、ツッコミ川瀬の完成度の高いネタ構成。去年に続いての決勝進出。 今年こそはと、虎視眈々と優勝を狙います。

M-1命の《スーパーマラドーナ》

4大会連続の決勝進出を決めた、超実力派漫才コンビ。突拍子もない田中のボケに、血走った目(引くほど怖いのです、ほんまもんやん!)で強烈にツッコむ武智 。ネタはすべて武智が担当しており、何度も何度も手を加え完成させていくことで、スキのない漫才に仕上がっています。武智は事あるごとに「俺が一番《M-1》のことを思っとるんやぁ!」と叫ぶほど《M-1命》の芸人で、このコンビもM-1で優勝するためのモチベーションだけで戦っているのです。 果たして悲願の優勝なのるか?

まってましたの《かまいたち》

このブログでも二度ほど記事にしているほど、僕の大好きな漫才コンビ。二年連続の決勝進出。前回は惜しくも4位に甘んじましたが、今回も強烈なネタでを携えて登場します。唯一無二、ほかの漫才師には絶対まねのできない独創性と演技力。何度見ても笑えます。 去年はキングオブコントの優勝も果たし、狙うはM-1優勝のみ、ハネろ、かまいたち!

無冠の帝王《ジャルジャル》

いつ見ても最高に面白く、毎回発想の異なる、ジャルジャルでしか表現できないネタを持ってくる才能は驚くばかり。今年のネタも言葉遊びなのだけれど、その独創性は群を抜いております。去年はポーカーフェイスの福徳が敗れて悔し涙を見せるというシーンがあり、このコンビもM-1にかける思いは並々ならぬものがあるのでしょう。 とびぬけた才能を持ちながらキングオブコントにも未だ手が届かず、今年こそはM-1で優勝して、福徳のうれし涙を見たいものです。

大本命《和牛》

去年は、ほぼ手中に収めながら、するりと《とろサーモン》に優勝をさらわれた感のある和牛。 優勝せずとも今現在、実質ナンバーワンの人気と実力を誇っており、超売れっ子の和牛なのです。そのため、今年こそは取って当たり前の雰囲気がファンや関係者の周辺に漂っており、何としても優勝したいはず。  三度目の正直、下馬評通り念願の優勝を果たすのか?

《敗者復活枠》

さて今年は、誰が上ってくるのか? 僕的には《ウエストランド》に来てほしい。 新世代の自虐ツッコミ、ボヤキ漫才を引っ提げて、M-1決勝で大暴れしてほしいものです。

《タイ米》井口、チャーハンとなって舞台の上でボロボロ、ボロボロまき散らし、そして《短いめになった鉛筆の持つとこ長くする銀色のやつ》を作るのに加担するのだぁ!

 

おしまい