眠れない夜、幻想列車《蒼の風》を縦横無尽に走らせ耳を澄ませば、夜の静寂から聴こえてくる麗しい音楽の数々。その時々の出来事や思い出は、いくばくかの痛みを伴いながら、美化されつつ浄化されてゆきます。
半年ほど前に書きかけていた《旅にまつわる名曲10選》の記事なのですが、いつの間にかデータを紛失してしまい、いくら探しても見つかりません。
「おまえがそのつもりならもういい! もう二度と書いてやらん! 覚えときやがれ!」
と、何でも周りのせいにする僕は、一昔前の時代劇のヤクザの手下のような言葉で、扱いずらいWindows10に散々八つ当たりしていたのですが、最近、表紙の画像データだけが見つかり、Windows10様に
「な、なんかすいませんっ」
と、深く詫びを入れ、思い直して改めましての《旅にまつわる名曲10選》です。
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何処までもいい加減で鈍感な僕ではあるのですが、5年に一度程は眠れない夜もあるわけで(昼寝しとるからやろ)、そんな時は脳内に幻想列車《蒼の風》を走らせ、夜汽車の旅に出かけます。
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僕の幼少期には、まだ行商のおばあさんが煮豆などのお惣菜を売りに歩いており、母親に小銭を渡されて買いに行かされた記憶があるのです。
その他には、水あめ、アイスキャンデー、そして紙芝居のおじさんも自転車に乗ってやってきて、黄金バットなんかを見た記憶が微かに残っています。 半年に一度程現れる富山の置き薬のおじさんは、頭痛薬ケロリンや健胃薬熊の胆なんかと一緒に紙風船のお土産と、売り歩いた日本各地の風を僕たちに運んでくれ、大変な憧れを持ったものです。
そして子供心に一番心躍ったのは、ポンポン菓子(お米のポップコーン)! 圧力釜のような容器に米粒を入れ、ガスコンロの上で焦げないように一定時間くるくる回し続け、頃合いを図って大きな網の箱に向かって、おじさんが力任せに金鎚を振り下して圧力釜の蓋を開けると、
「ポーーーーーーーーーーン!!!」
と、隣町にまで響き渡るような大きな爆発音を轟かせ、5倍ほどに膨れ上がった米粒が、大暴れをしながら網の箱に飛び散ります。熱いうちに砂糖のシロップを混ぜ込めば、皆が大好きなポンポン菓子の出来上がり。
町の子供たちほぼ全員がこのおじさんを取り囲み、その一部始終をかたずを飲んで見守ります。 そう、ポンポン菓子のおじさんは、僕ら子供たちのヒーローだったのです!
この機械は北九州は戸畑で発明されたもので、僕が中学生のころまで頻繁にやって来ていました。
そのころの僕の一番の夢は、このポンポン菓子の機械をオート三輪に乗せ、全国で売り歩くこと。 とにかくその日暮らしの流浪の旅に憧れており、今でも画材やパソコン一式をワンボックスカーに乗せ、全国を旅することが夢なのです。
当時の旅行のほとんどは列車の旅だったのですが、小学生低学年の頃の北九州では、リアルタイムで蒸気機関車が大量の煙を吐きながら走っていたのです。 駅に停車中の機関車の重量感と、勢いよく吐き出される水蒸気。石炭の燃える匂いや油の匂い、動き出すときの大きな鉄の車輪の軋む音などは、鮮明に記憶しているのです。
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大分県の小さな湯治温泉の温泉宿が僕の田舎で、毎年そんな列車に揺られて遊びに行っていました。 帰りはいつも夜遅くになり、列車から眺める北九州工業地帯の夜景がことのほか美しく、故郷に帰って来た安堵感と、もっと列車に揺られ旅を続けたい淋しさが入り混じった、独特の旅愁を感じたものです。
どんなに遅い速度でも、人が移動している限りは、アインシュタイン《相対性理論》の理屈から言えば、何兆分の一秒程は時間が遅くなっているわけで、人の思考も何兆分の一秒程の時間は伸びている訳です。
したがって、乗り物に乗ってめぐらす思考は、 通常の思考とは何らかの相違があるはずで、 イマジネーションの宝庫なのです(本当かい?)。 と、いつものように勝手な理屈をこねる僕なのですが、夜汽車の旅は、誰もがノスタルジックな気分になるのは確かなようで…。
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今回の選曲はいつもの様に、時代やジャンルはお構いなし、直接旅には関係なくとも僕が旅愁を感じた曲をアトランダムに選曲。ちょっとディープな曲も混ざっているのですが、良ければしばしの間ご一緒に、幻想列車《蒼の風》で夜の静寂に溶け込んでみませんか?
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第一の停車駅
《500マイル》忌野清志郎
日本が生んだ稀代のロックスター、今は亡き忌野清志郎。
一時期、坂本冬美、細野晴臣とのユニット《HIS》で活動していました。 僕はこのユニットが大好きだったのですが、若き日の坂本冬美が歌うアイドルソング、《恋人はいない》という曲は何度聞いても素晴らしい!
《500マイル》はアメリカのフォークユニット《ピーター・ポール&マリー》のデビュー曲で、オリジナルは、フォークシンガー・へディ・ウェストという人の曲だそう(実話のようです)。
忌野清志郎は沢山のカバー曲を歌っていますが、1988年に発表された《COVERS》というアルバムは、すべて清志郎の意訳のカヴァーアルバムで、原発反対のメッセージソング(ラヴ・ミー・テンダー やサマータイムブルース等)が含まれたいたため発禁の憂き目にあっています。
当時ほとんどの人達が原発推進に動いていた中で、原発反対のメッセージを声高らかに歌い上げた、最初のロックシンガーの一人でした。 原発のお膝元、九州電力の九電記念体育館で、堂々と
♪Ah メルトダウン~ メルトダウン~
恐ろしいことが起こってしまった
もうだめだ たすけられない
と、東日本大震災で福島第一原発がメルトダウンする、20年以上前に歌っていた清志郎。凄いとしか言いようがありません!
で、この人の洋楽の意訳がどれも素晴らしく、特にこの《500マイル》は凄まじいばかりの旅愁が溢れ出ており、涙、涙なのでございます。
①
次の汽車が 駅に着いたら
この街を 離れ 遠く
500マイルの 見知らぬ 街へ
僕は出て行く 500マイル
ひとつ ふたつ みっつ よっつ
思い出数えて 500マイル
優しい人よ 愛しい友よ
懐かしい家よ さようなら
②
汽車の窓に 映った夢よ
帰りたい心 抑えて
抑えて 抑えて 抑えて 抑えて
悲しくなるのを 抑えて
次の汽車が 駅に着いたら
この街を離れ 500マイル
一番の歌詞で、故郷を離れてゆく様と、思い出を巡らす時間を重ね合わせ、ひとつ ふたつ みっつ よっつと、たたみかけてゆく所は並みの才能では有りません。同じように二番も、帰りたい心の強さ大きさを表わすのに、抑えてという言葉を6回も重ねる箇所は、悲しみ以上の痛みを覚えるのです。
旅の始まりとしては、あまりにもせつない歌なのですが、清志郎の歌声で夜行列車《蒼の風》、出発です。
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第二の停車駅
《ホテル・カルフォルニア》イーグルス
言わずと知れたイーグルス最大のヒット曲。
大学入学までの春の二ヵ月の間、アルバイトしたお金で初めてコンポーネントステレオを買い求めます。
当時は大流行した家具調のバカでかいセパレートステレオが下火となっており、アンプ、チューナー、プレーヤー、スピーカーと、それぞれお気に入りの物を組み合わせて自分だけのステレオをセッティングするのがかっこよく、大した知識もないくせにソニーのオーディオ専門店のお兄さんと相談しながらセレクトし、購入したのですが、中でもヤマハのスピーカーNS-10Mは、とても小さかったのですが、今でもスタジオ写真などのバックに映り込んでいるほど優れもので、僕もいまだに使用しております。
そのステレオセットを購入した足でレコード店に寄り、最初に買ったアルバムがこの《ホテル・カルフォルニア》。
当時からロックはそれほど聴いていなかったのですが、曲そのものと、後半に響き渡るツインギターのメロディーは、なんとも言えない哀愁を伴って、マリファナでトリップしたような(まったくもって未経験なのですが)不思議な心持になり、大好きだったのです。
詩の内容も、聴き手によって幾通りもの解釈が出来、とても不思議な楽曲。アルバムそのものも大変よく出来ており、自慢のステレオセットで何度聴いたか分かりません。
昨今は素晴らしい時代で、な、なんと《ホテル・カルフォルニア》のライヴバージョンを映像を伴ってみることが出来るのです。 ジャケットに映された蜃気楼のようなホテルとパームツリーのシルエットの画像、そして、なんとも心地よいツインギターの響きをを残しながら、夜行列車《蒼の風》は次なる駅へ。
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第三の停車駅
《夜間飛行》石崎ひゅーい
今から5~6年ほど前、テレビ東京で深夜《みんな!エスパーだよ!》という大変スケベで下劣極まりないクソドラマが放映されておりました。
監督は今をときめく園子温。主役に、これまた今をときめく染谷将太、その幼馴染役で、またまた今をときめく女優・夏帆ちゃん(この子の喋るツンデレの三河弁が最高だったのです)。
ドラマ全体に吹きぬけるパンクロックの風が心地よく、性欲にまみれた思春期の高校生の男の子が、授かったテレパスの超能力と、有り余る性欲を 地球を救うためのエネルギーに変えんとする、それはそれは下らなさ過ぎて最高に楽しいドラマで、かみさんにバカにされながらも毎週録画してまで見ていたのですが、それよりもなによりも、オープニングとエンディングのテーマ曲が素晴らしすぎて素晴らしすぎて!
オープニングのテーマ曲を歌っているのは、またまた今をときめく高橋優。面白すぎた映画《桐島、部活やめるってよ》の主題歌《陽はまた昇る》で、既にブレイクしていた高橋優。この曲《 (Where’s)THE SILENT MAJORITY?》も最高に素敵なのですが、今回はエンディングテーマで歌われた、 石崎ひゅーい の《夜間飛行》
当時もう既に50歳半ば、枯れかかったジジィだった僕なのですが、この曲を聴いた瞬間、夜中の街を大声で叫びながら全速力で走りだしたくなり、今、この瞬間を捉えたい、またその反対に、この時代をぶっ壊したいという青臭い衝動にかられるほどに、時代の空気をしっかりつかみ、時代を駆け巡る疾走感がハンパないサウンドだったのです。
僕はそれまで、石崎ひゅーいというミュージシャンはまったく知らず、その詩とメロディー、そして叫ぶような歌声に、この時代に産み落とされた若者たちの心の奥底の、言葉ではハッキリ言い現わせない、複雑なメッセージを感じ取ったのです。
眠れぬ深夜、自身でも訳の分からないこの衝動は、宇宙の果てまで飛び出せるのではないかと思えるほどに激しいものなのですが、ぶつける対象のないこの時代、音楽で訴えるしかないと、石崎ひゅーいは言います(嘘です、言っていません!)。
しかしその曲の背後には、せつなすぎるほどの《あきらめ》の風が吹き抜けます。
夜行列車《蒼の風》は、その《あきらめ》の風さえも乗せて走り続けます。
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第四の停車駅
《ワイルド・サイドを歩け》ルー・リード
いつか記事にしたかったルー・リード。
しかしながら好きすぎて、想いがまとまらずブログであつかえなかったのです。 ゲイ独特の哀愁を放つ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのサウンドは、当時高校生だった僕の琴線に触れまくります。 特にこの曲は、聴いた瞬間に、フォーク少年だった僕の胸ぐらをデビットボウイに絞り上げられ、イッコーさんに(まだおらんやろっ!)、背負い投げ~~っ!と、ロッキーホラーショーの謎の館に投げこまれたほどに衝撃的だったのです。
単調なベースラインとギターリフのイントロで始まった瞬間、「あーーっ、このけだるさはな~んだぁ!」と吉田拓郎のように叫んだ僕は、ルー・リードの歌声が聴こえた瞬間、とろけてしまい、「あーーっいい!」と、悶え苦しむこととなるのです。
その後、
♪トゥ―、トゥドゥ―、トゥドゥ―、トゥ―、トゥドゥ―、トゥー
のスキャットのあたりから僕の自我は消え、
♪ take a walk on the wild side?(ちょいとヤバイ世界を歩いてみない?)
と、ルー・リードに連呼されると、
「はい、歩きます、歩きますともワイルドサイド!」
と、意味も分からずに答える僕。
まだジャズを好きになる前だったのですが、間奏で響き渡るヴァリトンサックスの音色が都会的でかっこよく、ルー・リードの虜となるのです。
このような曲の、詩の意味を深く探るのは野暮なので、簡単に言うと、人種やジェンダーのフリーダムを軽くお洒落に歌っており、マイノリティーであっても自身の美意識に沿って、
「危険であっても自由な道を歩いていこうよ」
と、ルー・リードはささやくのです。 そう、何世紀にも渡って、ジプシーやスーフィーの人達がそう生きてきたように…。
何処に向かって進んでいるのかさえわからない、夜行列車《蒼の風》。ルー・リードの歌声も受け入れて、さらに深い闇夜を彷徨います。
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第五の停車駅
《哀愁のヨーロッパ》サンタナ
ラテンロックの雄、サンタナ最大のヒット曲《哀愁のヨーロッパ》。
サンタナの泣きのギターに、全世界が涙しました。 大学生の頃、クラブのボーイのアルバイトの同僚で、サンタナ狂がおりまして、事あるごとにサンタナの何処が凄いか、何が素晴らしいかを誰彼なく吹聴する、超絶めんどくさいやつだったのです。
そいつのおかげであまり良い印象を持っていなかった僕なのですが、1976年、この《哀愁のヨーロッパ》が大ヒット。さすがにこのギターには痺れました。 そもそもラテン音楽は西田佐知子《コーヒールンバ》の昔から大好きだったので、サンタナを嫌う理由はバイト仲間のサンタナ狂しかないわけで、それ以前にヒットした《ブラック・マジック・ウーマン》なんかも本当は大好きだったのです。
ギターは、テクニックや速弾きだけがすべてではないとよく言われますが、それを再認識させたのがサンタナ。音数はそんなに多くなく、この人のロングトーンのテクニックは唯一無二。 左手のビブラートだけでヨーロッパ数千年の哀愁を奏でます。
当時は大音量のロックギターの魅力がいまいち理解できなかったのですが(この年になってなんとなくわかってきた)、サンタナのギターはすこぶる心地よかったのです。
夜行列車《蒼の風》は時空を越えて、遠くヨーロッパの大地をも走り抜けます。サンタナの哀愁のギターの響きをBGMにして…。
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第六の停車駅
《ブルートレイン》ジョン・コルトレーン
まだフリージャズの底なし沼に引きずり込まれる前のジョン・コルトレーンの脂の乗り切った全盛期。
マイルス・デイヴィスのグループを離れるか離れないかの時期、ほぼ完成されたシーツオブサウンドの疾走感あふれる、コルトレーンのドストレートな演奏で、軽快で明るくさえあるのです(コルトレーンのくせに)。
この後、《ジャイアントステップス》でその名声はジャズシーンにとどろき、アルバム《バラード》で、広く世間に知れ渡り、名盤《至上の愛》の、思想性を伴った演奏でジャズ界では神格化されてゆくのです。
フリージャズのアルバム《アセンション》も聴き込めばなんとなくなのですが、フリージャズでは、僕はオーネット・コールマンのほうが癖になってしまい、オーネット・コールマンばかり聴いていたものです。
僕的なジョン・コルトレーンのベストアルバムは、ダントツで《ブルートレイン》。
ジャズに哲学を落とし込み、インテリの音楽にしてしまった張本人がコルトレーンなのですが、《ブルートレイン》の演奏はそのかけらもなく、自由自在で、軽快なシーツオブサウンドが鳴り響き、そのアドリヴプレイを大音量で聴き続ければ、大気圏さえも越え、宇宙空間にまで誘ってくれるほど。
やはりジャズジャイアントのインプロビゼーションは《どこでもドア》なのです。
その《どこでもドア》をくぐりぬけた夜行列車《蒼の風》は、いよいよ宇宙空間へと突入します。
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第七の停車駅
《黄昏ワルツ》あがた森魚
はい、今度は社会的不適合者、モラトリアム人間がはまり込む、あがた森魚の幻想世界へようこそ。
殆ど誰からの賛同も得られないあがた森魚の楽曲なのですが、大好きなのでしつこくご紹介。 今回はさらにマニアックな楽曲、《黄昏ワルツ》。宮沢賢治的幻想、妄想の末、銀河を旅する星の旅人の物語。
小学生の頃、学校で売られていた季刊誌、《科学》と《学習》。
僕の家は貧乏で、最初は買ってもらえなかったのですが、不憫に思った父親が自分の小遣いの中から捻出してあげるからと、《科学》だけ購入できる算段をしてくれたのです(しかし、少ない父の小遣いでは払えるはずもなく、結局母親が家計をやり繰りする羽目に)。
ある時その《科学》の付録で、紙で組み立てる幻灯機が付いてきます。これで僕も大好きな映画を一人で観ることが出来ると大喜びで家に持ち帰り、早速組み立てます。便所から20ワットの電球をかっぱらい押し入れの中に籠って、たった一人の撮影会。
しかしながら付いていたのは、30センチ、12コマばかりの漫画のフイルム。あっという間に終わります。一応押し入れの白壁に、総天然色の漫画の映像は映るので、何度も繰り返し見ているうちに、中に入っている光源の20ワットの電球は高温を放ち、紙製の幻灯機とフイルムは半焦げに。
季節は真夏だったこともあり、押し入れ内の暑さと焦げ臭い匂いですぐさまギブアップ。 しかしながらこの時押し入れの白壁に妖しく映った漫画の映像は、なんとも幻想的で、ピンホールカメラで撮った写真のよう。
あがた森魚の《黄昏ワルツ》を聴くにつれ、この時の幻灯機の映像と焦げ臭い匂いを思い出し、今でも、押し入れに守られた僕だけの心地よい空間に(実際は暑くて死にそうだったのですが)浸れるのです。
フイルムのリールを回すカタカタという音が、夜行列車《蒼の風》の走行音と重なって、幻想の星の旅人の物語《黄昏ワルツ》は、紙製の幻灯機の映像で僕の脳裏に映し出されます。
星をたべてごらんよ 星降る時はとどめなく
星をたべてごらんよ 星降る街はそこにある
いつまで君をだきしめてるだろう 僕は今君とうれしい旅
いつまで君をだきしめてるだろう 僕は君とうれしい旅
いつまで君をだきしめてるだろう 僕は君とうれしい旅
いつまで君をだきしめてるだろう 僕はうれしい遠い旅
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第八の停車駅
《夕陽は昇る》友部正人
またしても社会的不適合者が奏でる歌。
ねぇ、知ってるかい
日暮れにおりて来た太陽が
また昇りはじめて
雲の中にかくれて夜がきた
こんど君にいつ会える
今まで沈むとばかり思っていた太陽が
どんどん昇って消えちゃったんだ
日暮れは一日の波打際で
海岸にいるように騒がしい
こんど君にいつ会える
ぼくは君のこと思いながら
コップにビールを注ぐ
するとあたりがまっかになって
地平線が白く泡立ったんだ
こんど君にいつ会える
こんど君にいつ会える
こんど君にいつ会える
こんど君にいつ会える
主人公、僕の君に対する想像力は時を越え、沈むはずの夕陽をも昇らせます。 例えは極端ですが、目の前の小さな小さな出来事や現象、そして人の想念は、確実に宇宙全体に響きます。 君を想う力は、ビールの泡の如く、水平線さえも泡立たせ、世界を燃えさせる力があるのです。
そう、人の想念は確実に全宇宙に転写され、したがって誰もが宇宙を創造している最中となるのです。 信じるか信じないかはあなた次第…。
下の映像は、ジャズピアニスト板橋文夫とのジョイントのもの。 なんと激しく美しいピアノの演奏なのでしょう! その熱い演奏に煽られて、友部正人のブルースハープも、いつも以上にシャウトします。
♪こんど君にいつ会える~
友部正人の歌声と、板橋文夫のピアノのマントラは、《君》という言葉の概念の限りをこえて、《神》という領域に溶け込みます。
そのリフレインの響きに合わせ、夜行列車《蒼の風》は幻想の銀河を突き進みます。
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第九の停車駅
《回転木馬に僕と猫》中山うり
平成の女性吟遊詩人、中山うりの歌声が、夜行列車《蒼の風》を優しく包みます。
随分前にこのブログでも一度紹介している中山うり。 この人の歌を聴くと、あがた森魚の歌と同じように幻灯機に映し出されたノスタルチックで少しぼやけて曖昧な映像が浮かび上がるのです。幻想的でなんとも不思議な夢のような物語を歌っているのですが、厭世的になるわけでもなく何故か前向きな感情が湧いてきます。
この曲は、NHKのみんなのうたで放映された楽曲でご存知の方も多いのでは?
素敵な絵本を幻灯機で観せてくれているような、優しくあたたかな中山うりの世界。ほかにも沢山良い曲があるので、是非聴いてみてください。
女性的な優しさに包まれた夜行列車《蒼の風》。いよいよ最後の駅に向かいます。
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第十の停車駅
《Downtown Train》トム・ウェィツ
《旅にまつわる名曲10選》最後の曲は、心優しき酔いどれ詩人、トム・ウェィツのダウンタウン・トレイン。
僕の一番好きなロックミュージシャン、トム・ウェィツ。 この歌《Downtown Train》は後にロッド・スチュワートがカバーしてヒットしました。
大好きな映画《スモーク》の劇中で、ジュークボックスから流れる歌もこれで、とても印象的だったのです。
おそらくニューヨークと思われる都会に住む孤独な男が、下町ブルックリンから列車に乗ってやってくる片想いの女の子に寄せた歌。 直接うちあける勇気もなく、彼女の家の前で立ちすくむ(ストーカーじゃん!)ナイーヴな俺。
あの都市部へ向かう列車に乗って
今夜俺と会ってくれるかい?
俺の夢の全てが、まるで雨のように流れ行く
そう、都市部へ向かう電車に乗って
真ん丸に光り輝く月に向かって、思いの丈を歌います。もし運命が許してくれるのなら、夜行列車《蒼の風》で彼女と乗り合わせ、彼女に想いを伝えることが出来たなら…。
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そんなことをつらつらと想いながら、この辺りで僕たちは遅い眠りに入ります。
この後、幻想の夜行列車《蒼の風》は、僕たちの心の奥深い宇宙的無意識という領域に戻ります。
しかしながら、ここまで各駅に止まる都度積み込んだ、それぞれの歌やミュージシャンに添付する目には見えないその煌めきは、現実を生き抜くエナジーに形を変えて、明日からの僕たちに降り注いでくれることでしょう。
世界が、どんなクソヤローに支配されようとも
人生は煌めく時と共に。
![おしまい](https://blog.akiyoshi-zoukei.com/katsu/wp-content/uploads/2016/10/karasu5-680x31.jpg)
こんにちは。
今回の「旅にまつわる名曲10選」は 、しみじみと拝見しました。
頭の清志郎、もう大興奮 ‼︎
日本人のミュージシャンで1.2を争う位に大好きです。
あの歌声は、嵌ったら 心の何かが崩れていきます…でも心の全てを包んでくれます。
それからの、曲のチョイスがお見事ですぅ。
私の好みにぴったりでした(^^)(^^)
堪能させて頂きました。
〜そう、未だ独身の頃 。
カバンに大好きなカセットテープ(ーー;)と文庫本を詰めて 一人旅をしました。
車で1週間かけて、日本海沿いを走ってみました。
宿泊の予約無しで、その日走った土地で泊まってました。
仕事を辞めたばかりで 、心の拠り所は 好きな音楽だけでした…
ブログには、私の知らない楽曲もあったので じっくり聴いてみました。
好きな メロディーやリズムは人それぞれで同じ様な音楽を好み人達は、感性が繋がったりもするのでしょうか?
人生の中で、そう言う「ソウルメイト」が、現れるのを待っています。
次回も楽しみにしています。