ジョージ・ガーシュインの名曲《サマータイム》 真冬の境内で奏でられたその哀愁のメロディーは、裏山にまで鳴り響いたのか?

猿

名だたるミュージシャンがカバーするガーシュインの名曲《サマータイム》 その哀愁のメロディーに隠された祈りの波動は、森羅万象,八百万の神々にまで響き渡ります。


真冬に名曲《サマータイム》の話題は無理がありすぎるのですが、少し前の《ジャニス・ジョップリン》https://blog.akiyoshi-zoukei.com/katsu/archives/2734の記事でご紹介して以来、僕の頭から離れません。この曲は、各ジャンルの名だたるミュージシャンがカバーしており、聴き比べの記事を上げようと考えていたのです。そのベスト13は、


① Billie Holiday
② Maria Callas
③ Annie Lennox
④ Andrea Motis
⑤ Norah Jones
⑥ Janis Joplin
⑦ Willie Nelson
⑧ Ella Fitzgerald
  & Louis Armstrong
⑨ Wynton Marsalis
⑩ Miles Davis
⑪ John Coltrane
⑫ Hank Mobley
⑬ Charlie Parker


どのカバーも秀逸で、ミュージシャンによって全く異なる情景や物語を魅せてもらえるのは、原曲《サマータイム》の懐の深さによるものなのか?

 
13組のミュージシャンの聴き比べは真打として次回に譲るのですが(譲るんかい!)、その前説的な意味合いで、今回は、僕が個人的に体験した名曲《サマータイム》にまつわる不思議なエピソードを書いてみようと思うのです。 

今まで何本か《ショートショート劇場》を 実話+創作の形で書いているのですが、今回はすべて実話なのです。身内の間では、大ぼら吹きとか盛りすぎジジィなどと日々、罵られ続けている僕なのですが、今回は正真正銘の実話。 過去、知り合いの何人かに話したことはあるのですが、常日頃の悪業悪果、誰一人として信じてはくれません。

それならば、こんなブログでも読んでくださっている数少ない読者の方々にだけは信用して頂きたく、出来るだけ話を盛らずに書いてみようと思うのです。

お忙しいこととは思いますが、ほんの5分ほどのお時間、お付き合い頂けましたら、

ありがたや、

ありがたや、

ありがたや。

ショートショート

今から10年程前のお話。

お芝居と音楽を絡めたチョットしたイベントの公演を企画していた折、公演場所が能楽殿ということで露払いとして、龍笛(雅楽などで使用する横笛)の演奏が必要となります。 

僕は、少し前から我流で龍笛をやっていたので、お前がやれと皆に言われたのですがまったく自信がなく、とんでもないと駄々をこねます。しかし、結局誰もやる者がいなくて僕が演奏する羽目に。 しかも龍笛一本で5分ほどの演奏をしなくてはならなくなり、我が一族の遺伝子《信じられないほどのあがり症》を受け継ぐ僕としては、心配で心配で、食事はのどをしっかり通り、夜もぐっすり寝れる始末。 そんな超鈍感な僕ではあるのですが、《信じられないほどのあがり症》だけは本当で、公演までの2か月、必死のお稽古が始まります。

からす

小さな小さな横笛なのに、宇宙に響き渡るほどの信じられないほどの大きな音が出てしまう龍笛。最初は自宅のお風呂場に籠って練習をしていたのですが、うちのかみさんと飼い猫2匹から、凄まじいクレームの嵐(関係ないけど《嵐》活動休止しちゃうのですね…、残念!) 。しかたなく他の練習場所を探すことに。

季節は真冬、カラオケボックスも考えたのですが、そこは邦楽家(ド素人のくせに気分だけは超一流)、気分が出ません。 そこで昔読んだ尺八の巨匠・山本邦山先生のお言葉を思い出します。

「手もかじかむような吹雪の中、荒れ狂う海に向かって尺八を吹き続けた日々が、今の私の演奏の土台になっているのです」

妄想のド素人邦楽家としては、山本邦山先生の教えは守らなくてはなりません。思案の末、車で20分ほど行ったところに、この辺りの氏神様である《猿田毘古神》を祭った神社があることを思い出します。

森の奥の、社務所も無く参拝者も殆ど来ない寂れた神社なのですが、本殿の前に能楽殿の舞台程のスペースの拝殿があります。更に鎮守の森に囲まれ、民家もない絶好の稽古場。寒ささえ辛抱して稽古を積めば、僕も山本邦山先生のような人間国宝級の立派な演奏家になれるのだと、インチキ邦楽家は思うのです。

からす

さあ、今からは、かみさんと飼い猫2匹からの猛クレームを気にすることなく二ヵ月間、思う存分の猛練習が出来るのです。

自宅の小さなお風呂場で吹いていた龍笛の音色で自画自賛していた響きとは全く違う森の中の音色。やはり山本邦山先生は正しかった。寒風吹きすさぶこの森の中から天に向かって大きく龍笛を響かせることが出来て初めて本物の演奏家、テンションだけはマックスのインチキ邦楽家は、風の日も雪の日も通い続けます。

しかしながら、このインチキ邦楽家には重大な欠点があったのです。

アカデミックな芸術の訓練を一度も受けたことが無く、尚且つ「小さなことからコツコツと」西川きよし師匠のように、地道に基礎練習を積み重ねることを大の苦手としていたインチキ邦楽家。特に横笛などの楽器は、ロングトーンやスケール練習などの地味な練習を積み重ねないと良い音が出ないので、基礎練習を出来ないことは致命的。しかしながら、いつもの様にそのすべてを端折って、とりあえず雅楽の基本中の基本《越殿楽》を始めるのですが、これもすぐに飽きて自分の好きな楽曲を耳コピで吹き始めます。

神聖な《猿田毘古神》のご神体を御前にして、龍笛で雅楽以外の楽曲を奏でることに多少の後ろめたさを感じつつも、2.3時間ほどの稽古時間のほとんどを耳コピ演奏に費やします。

からす

神社の空気とは不思議なもので、寒ければ寒いほどに空気の粒子が立って美しく感じ、気持ちが洗われるように感じるもの。

その日、いつもの様に神社に出かけようと自宅のドアを開けると、九州では珍しくうっすらと雪が積もっています。車に乗り込み神社に到着すると、一面雪化粧の真っ白な世界。 雪を見ると子供のようにテンションがあがってしまう僕は、一目散に拝殿の舞台へ。この日はウォーミングアップもそこそこにジャズやポップス演奏のオンパレード。乗りに乗って吹きまくります。 そして最終的に辿り着いた楽曲が、真冬の雪景色の中鳴り響く《サマータイム》 

ちっとも上手くはないのだけれど、妄想のド素人邦楽家的には気持ちよすぎてすぐさま恍惚状態(トランス状態)に入ります。 このインチキ邦楽家は、演奏の腕は超ポンコツなのですが、ジャズだけは結構聴き込んでいるので、テーマを吹き終わると調子に乗ってデタラメという名の即興演奏を始めてしまうのです。

こうなったら最後、この妄想のド素人邦楽家を止めることは誰にも出来ません。恍惚状態の中、《サマータイム》を無茶苦茶なアドリブで3.40分(体感時間は10分程度)吹き続け、恍惚状態から徐々に正気に戻りかかったとき、拝殿の周りの音が少しずつ聴こえ出します。 カサカサ、ガサガサ。キーキー、キャッ、キャ。 

ん? いつもは静寂に包まれる午後五時ごろの神社の森。聞きなれない物音に正気を取り戻し、拝殿から周りを見渡すと……、

辺り一面、猿、猿、猿、野生の猿の大軍団!

な、なんと、このド素人邦楽家は、恍惚のインチキ竜笛を奏でている間に、500頭以上(盛ってはいません。本当はもっとだったかも!)の野生の猿の群れに四方を囲まれ、身動きできない状態に追い込まれていたのです!! 

からす

トランス状態の間に時空間が歪んでしまい、映画《猿の惑星》のように猿に支配された未来の世界にワープした、チャールストン・ヘストンの気分に一瞬おこたったのですが、気を取り直して今一度冷静に辺りを見ると、

ブルーモーメントに照らされた、雪化粧の森の中、見渡す限りの猿の群れ!

「う、美しい!」と一瞬は感動したものの「いやいや、ちがうちがう、これ、まじヤバイやつやん!!」と本能が囁きます。 そう感じている間も、妄想のド素人邦楽家の《サマータイム》の演奏は続いているわけで、この音色が《猿田毘古神》の逆鱗に触れ、その化身である猿たちが僕を取り囲んだのだと理解し、アドリブからテーマのメロディーに戻し、静かに《サマータイム》の演奏を終えます。

ご神体の前で、こともあろうに神聖な龍笛で、しかも真冬の雪の中、季節とは真逆の《サマータイム》をでたらめなアドリブで、3.40分吹き続けてしまった数々の無礼を「お許しください」「ごめんなさい」「二度といたしません」「たすけてください!」と、本殿に何度も何度も頭を下げている途中、ふと気が付いたのですが、先ほどから僕及び龍笛の音色に猿たちはまったくの無反応(サルのくせに全員シカト!)。 試しに、《越殿楽》を奏でてみたものの何の反応も示さないのです。

猿たちは広場に落ちている種や木の実や虫などを拾って食べることに忙しく、僕のことなどまったく眼中にないのです。

からす

目も合わさず威嚇することもなく、黙々と餌を探し続ける猿の軍団。 しかしながら下手に動くと突然襲われるやもしれず、無い頭を絞って脱出の手段を考えるインチキ邦楽家。

本殿の裏は小川を挟んで猿の住処であろう裏山で抜け道はありません。拝殿から表に真っすぐ200メートルほど伸びた石畳の参道を一気に抜ける道しか脱出のルートは無いのですが、その参道にもチラホラ猿どもが散らばっておりとても危険。 そうこう思案するうちに辺りは益々暮れてゆきます。

この参道しか脱出する道はないと覚悟を決め、参道の猿どもに道を譲ってくれるよう、あらんかぎりのお願いの念を飛ばします。 

と、不思議なことに参道の猿どもは、このインチキ邦楽家のために道を開けてくれたのです!

 モーゼはエジプトから脱出するために、海を割って道を作る奇跡を演じたのですが、このインチキ邦楽家は、猿を割って道を作る奇跡を演じて見せたのです!!(たまたまやん!モーゼと一緒にすなぁーーーーっ!)

気持ちは恐る恐る、態度は堂々と200メートルの参道を抜け、ほっと一息。振り返ると遥か彼方の猿たちは、雪の中、静かにねぐらの裏山へ消えて行きます。

からす

以上、《サマータイム》ならぬ真冬の《サルータイム》(駄洒落かーーい!)の一席だったのですが、お話はこれ以上でもこれ以下でもなく、何のオチもありません。

しかしながら、後日行われた能楽殿のイベントの本番、お集まりいただいた観客約300人を前にした演奏では、神社での経験を生かして観客のすべてを猿だと思い込むことに成功し《信じられないほどのあがり症》を見事克服!

神社で猿に見守られながら鍛えた龍笛は、実力以上の響きを奏で、全編アドリブ演奏で無事成功!

もしかしたら、神社での出来事は《猿田毘古神》の計らいで、猿たちを使った本番のシミュレーションをやってくれたのかも?

何処までも能天気でアホな僕はそう確信し、あの時の猿軍団には感謝の気持ちでいっぱいなのです。

お猿さんたち、ありがとう!

からす

それでは次回は本題の、名曲 《サマータイム》 の聴き比べに入ります。

おしまい

『ジョージ・ガーシュインの名曲《サマータイム》 真冬の境内で奏でられたその哀愁のメロディーは、裏山にまで鳴り響いたのか?』へのコメント

  1. 名前:若葉風 投稿日:2019/03/05(火) 23:25:02 ID:c99f55c21 返信

    初めてコメントさせていただきます。
    まさかあの舞台にそんな裏話が・・・と思いつつ(笑)
    龍笛、ステキでしたよ!
    それに関連して以前の投稿分ですが、「のぞきからくりムービー」の「旅のオルガン弾き」を見つけて久々に聴いたらものすごく懐かしくなりました。
    未だに歌と歌詞を覚えてる自分にびっくりです。(脳内再生はやはり薫の歌声ですが)
    またブログ覗きにきますね!

    • 名前:50カラス 投稿日:2019/03/06(水) 09:54:11 ID:0da8ba192 返信

      若葉風様
      コメント有難うございます。
      ご活躍されているそうでなによりです。
      実際に舞台をご覧になった方のコメントは、ちょっと恥ずかしいやら照れ臭いやら……。
      とりとめのない内容の支離滅裂なブログなのですが、よければまた遊びに来てください。

      若葉風様の今現在の輝きの開放を祈って。