笑顔のイカレポンチ・百田夏菜子(ももいろクローバーZ)は地球を救えるのか!

ももクロ・百田夏菜子

一時期の勢いはなくなり、ちょっと停滞している感のある、ももいろクローバーZ。
ここで立ち止まっている暇はない! 「24時間TV・愛は地球を救う」はとても信じられないけれど、笑顔のイカレポンチ達よ、今こそ地球を救ってくれ!

はい。すでにメジャーとなってしまった国民的インチキアイドルグループ、ももいろクローバーZの登場です。 50オヤジがももクロを語るのは、もうキモイの定番になっているし、今更感は否めないのですが、世間的には、ももクロの勢いに翳りが見えて来ているようなので、ここでエールを込めて少し話を。

佐々木彩夏・玉井詩織

有安杏香 高城れに

5年程前のお話。

当時バナナマンの深夜ラジオ「バナナムーン」が大好きで(今も聞いています)毎週聞いていたのですが、ある週のゲストで、ももいろクローバーZが登場しました。生まれてこのかたアイドルなんて全く興味がなく、若い頃、キャンディーズの解散コンサートで大騒ぎしている同級生をさんざん馬鹿にしていた前科持ちの僕だったので、こんなチャラいアイドルグループなんか呼ぶなよっ!と憤慨してスイッチOFFにしょうかと思っていたところ、百田夏菜子(当時は誰 が誰だかわからない)のミンミン声が凄く耳障りなんだけれど何故か気になりだして、結局最後まで聞いてしまいま した。

からす

声だけなので、そこまでインパクトがあった訳でも無かったのですが、2・3ヶ月後ちょっと魔が差してしまいネットの動画を覗いてみたのが運の尽き、ここまでハマってしまうとは…。

からす

その動画は「極楽門からこんにちは」という野外ライブの映像で、「ワニとシャンプー」「Chai Maxx」「ココナッツ」 等のパフォーマンスを立て続けに見てしまったものですから、アイドル初体験の僕は、ちょっとしたパニックになってしまいました。
確かにそのパフォーマンスは荒削りで完成度は低かったのですが、人前で何かを表現する事、その観客を理屈抜きで楽しませる事、明日を生き抜くエネルギーを届ける事など、エンターテーメントの原型を見た思いでした。

からす

彼女たちは全身全霊で、「私たちは今生きています」「今、この瞬間がすべてなんだ」「だから、この世界は生きるに値するほど素晴らしい」(おそらく彼女たちは自覚していないと思う)と、僕たちに訴えかけているようで、不覚にも涙してしまったのでした。彼女たちのパフォーマンスも去ることながら、その観客(ももクロの場合モノノフと呼ぶ) の熱狂ぶりは凄まじく、会場の6000人の塊が、大きな龍のうねりのごとく彼女たちのステージに絡み付き、演者、観 客、スタッフ、そして天地のエネルギーが一体となった至福感を与えてくれたのです(現場で体験したかの様に語って おりますが、あくまでパソコンの小さな画面で見たにすぎないのです)

からす

PRIDE・桜庭和志、ホイス・グレイシー戦(たとえがよくわからん)にも匹敵するほどの衝撃。そもそも「エンター テーメントとは何か?」という命題をドーンと突きつけられた思いでした。 エンターテーメントに貴賎なし。これはプロレスファン(差別される側)の頃から思っていた持論なのですが、今までアイドルに対して僕自身が差別・除外していたことを思い知らされました。深く反省した上、心からお詫び申し上げます(だれにあやまっとるんだ)。

からす

何故、僕は彼女たちのパフォーマンスに感動したのか? 高校野球の球児たちを見た時の感動に近いものがあるとよく言われますが、僕はちょっとピンときません。球児たちは甲子園に行くために試合に勝つという、明確な目的意識(正しいとされる我欲)のもと、出来る限りの努力をしてきた結果を甲子園という場所で表現します。
しかし彼女たちはどうでしょう。確かに「紅白出場」「国立競技場ライブ」など目標はあったものの、彼女たちのライブパフォーマンスを見ていると、あの溢れ出る情熱と歓喜はどこに向けて発しているのか、サッパリわからないのです。

目標を持った意思はハッキリ記号化され、明確な方向性を持ったベクトルとしての表現となりますが、彼女たちは、 その時五感で感じた言語化される前のそれをそのままパフォーマンスとして表現し、そのまま観客にぶつけている様に感じてしまうのです。

からす

人は生きている限り誰もが表現者です。五感で感じたものを表現する時、言語化したと同時にその時感じた大事なものがスルリと逃げて行き、真に伝えたかったその感じが消えてしまった経験は、誰もがあると思います。言葉になる前のその感じを そのままダイレクトにパフォーマンスに乗せ観客にぶちまける彼女たちを観客が受け取った時、全ての物が管理化され記号化されてしまった僕たちの心に、何らかの(目覚め)を呼び起こしているのではないでしょうか?

からす

それが可能な女の子たちを、昔の日本の人たちは「巫女」と呼んでいました。

そして言葉になる前のそれを天地のエネルギー、森羅万象のささやき、八百万の神の御信託と捉え、歓喜と感謝の踊りを踊りました。それこそ「祭り」の起源のひとつではなかったのでしょうか?

からす

ちょっと話が飛びすぎてしまったので、元に戻します。

2011年(極楽門からこんにちは)から早くも5年の歳月が流れました。 今では、彼女たち自身が「巫女」としての自覚をもって(制作サイドも明確に打ち出している)、様々なジャンルでレベルアップしたパフォーマンスを展開しています。ただ、この自覚を持ってしまったため、目的が明確になり、当初感じていた「言葉になる前のそれ」は影を潜めてしまいました(年齢的な要素も多分に関係しているでしょうが)。

からす

何もわからなかった十代のパフォーマンスから表現のレベルは格段に進歩しています。 このまま続けてほしいです。続けて続けて、何もかもすべてわかった上で(螺旋状に1回転し、ひとつ違う次元で)もう 一度「言葉になる前のそれ」を表現するパフォーマンスを見せて欲しい。

そしてその時こそ、ももいろクローバーZの、最高の笑顔のイカレポンチで世界を救ってほしい! そう真剣に50オヤジは思っております。

からす

Z伝説の次なる伝説は何なのか?  それを期待して見続けたいと思います。

おしまい

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