天才《大野克夫》 1970年代、このチリチリのカーリーヘアーに、天から無限の美しいメロディーが降り注いだのです。

大野克夫

稀代のメロディーメーカー、大野克夫。その作曲・編曲の才能は、沢田研二(ジュリー)を1970年代、日本歌謡界のスーパースターの座に押し上げます。

井上堯之が亡くなって哀悼の記事を上げたのがキッカケで、GSの残党《PYG》を改めて聴いていると、そのメンバーが如何に凄かったのかを再認識させられ、おもわずそれぞれのメンバーの記事を上げていったのですが、いよいよオーラス(大口広司さん詳しく知らないのです。ゴメンナサイ。)です。

そう、天才・大野克夫の登場なのです。

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僕の母と姉二人がジュリーのコンサートに行った折、楽屋入りの際、しつこくジュリーに記念撮影をねだったお話を以前このブログにあげています。

その記事からの抜粋。

いよいよジュリーの楽屋入り。伝道師(母)の指令通り、ジュリーを挟むようにして姉①姉②は、歩きながら写真撮影をお願いします。しかし、そこはいつ何時も塩対応の沢田研二、1ミリたりともぶれません。いっさい無視して完全スルー。

ジュ、ジュリィーーーーーーーーーーーッ(泣)!

最後に、姉①がかろうじてその横顔を写真に収めます。

その一部始終をしっかり見ながら十メートルほど遅れてやって来た、キーボードの大野克夫さん。姉①姉②は、ジュリーがダメならと、大野克夫でもいいや的に写真撮影をお願いします。こんな失礼なファンにも、にこやかに一緒に写真に収まってくれた心優しき大野克夫さん。

https://blog.akiyoshi-zoukei.com/katsu/post-1889

この話を聞いたときの印象が強く、「ムチャクチャいい人やん!」のイメージが僕の頭から離れないのです。この人の天才的な作曲・編曲の才能とジャズミュージシャンにも引けを取らないキーボードのテクニックは十分理解しているのですが、この人の顔を見るたび僕の頭の中にその時の写真と、「ムチャクチャいい人やん!」の文字がドーンと浮かび上がります。

大野克夫2

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《大野克夫》

うっとこのお父はんが尺八のお師匠はん。お母はんもお琴のお師匠はん。お姉はんはピアノをやりはるし、ほんでお兄はんにいたってはジャズ狂い。家にはぎょうさんな楽器が転がってはるし、ややこのときから遊び感覚で楽器をいじっておましてん。そやから知らんうちになんでも弾けるようになってん、笑けるやろ?

無茶苦茶な京都弁になって、僕が笑けてしまうので、この辺でやめときます。

僕のように、母親が聴くラジオの音だけが唯一の音楽環境とは雲泥の差。超恵まれた音楽環境のもと、大野克夫少年はすくすくと育ちます。小学校4年生の時に『卒業生を送る歌』を作詞・作曲。とんでもない才能を発揮するのです。そして高校生時には、地元のジャズコンテストにバンドを組んで出場。並みいる大学生バンドをおさえて見事優勝! これがキッカケで、ゲーリー石黒にスカウトされ、プロのミュージシャンに。

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《ゲイリー石黒&サンズ・オブ・ザ・ウエスト》はウエスタンバンドで、ここで大野克夫はスチールギターを担当。当時このスチールギターの音は大流行りで、ハワイアンやカントリーミュージックでは必須の楽器でした。有名な日本の奏者は《和田弘とマヒナスターズ》和田宏《ダニー飯田とパラダイス・キング》ダニー飯田。 どうでもいいところでは《ザ・ドリフターズ》「なんだバカヤロー」の荒井注

その後、田邊昭知にしつこくつきまとわれ、上京した1962年に《ザ・スパイダース》に加入。ここではスチールギターに加えオルガンを担当。《ザ・スパイダース》の企画や作曲のほとんどは、ムッシュかまやつが担っていたのですが、音楽的支柱として楽譜作りなどで貢献していたそう。

その頃小学生だった僕は、《ザ・スパイダース》 堺正章井上順の、ダブルボケのコミックバンドと思い込んでいたので、大野克夫井上堯之の存在は知りませんでした。

しかし夕陽が泣いている》は大好きでした。これ、作詞作曲は浜口庫之助だったのですね。

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そしていよいよその存在を僕に知らしめることとなる伝説のバンド《PYG》に参加することとなるのです。

これは大野克夫にとって人生の大きな転機となる出来事でした。《PYG》の名曲《花・太陽・雨》《自由に歩いて愛して》は両曲とも作曲は井上堯之なのですが、音作りに関しては大きく大野克夫が影響しているはず。

このバンドでは、頻繁にオルガンを演奏していたのですが、これが凄まじいく良いのです。 ジャズ界では《ジミー・スミス》がファンキーな演奏法を確立、ロック界ではプロコル・ハルムの名曲《青い影》のイントロでオルガンが印象的に使われ、 《ドアーズ》《アニマルズ》など、60〜70年代のロックグループでは頻繁に演奏されていました。

《PYG》を紹介した記事にも書きましたが、大野克夫のオルガンの凄まじさは《自由に歩いて愛して》の間奏部に荒れ狂うオルガンソロを聴けばわかるのです。《花・太陽・雨》《自由に歩いて愛して》の両曲がなぜ名曲かと言いますと、作曲の井上堯之や作詞の岸部修三(花・太陽・雨)の素晴らしさもさることながら、そのアレンジとオルガン演奏の大野克夫の存在があったからと言っても過言ではないでしょう。

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《PYG》から沢田研二のバックバンドとして《井上堯之バンド》へ移行したあたりから、大野克夫の作・編曲の才能が花開きます。

スーパースター・ジュリーのパフォーマンスは、作詞家に阿久悠を迎え、作・編曲を大野克夫が担当し、《井上堯之バンド》が演奏したことによって、ほぼ確立するのです。

このコンビ(阿久悠・大野克夫)の最初の仕事が、名曲《時の過ぎゆくままに》

演出家・久世光彦が企画したテレビドラマ《悪魔のようなあいつ》の主題歌で、既に阿久悠がその企画に沿って作詞をしていたそう。その作曲の打ち合わせをするため、大野克夫井上堯之の二人で久世光彦の所に言ったときのエピソードが、この二人の性格の違いを如実に現しており、とても興味深いのです。

冒頭、井上堯之はこの作曲依頼がコンペだと聞いて、「とんでもない!」とカンカンに怒っていたそう。今でこそコンペ形式は当たり前になっているようですが、当時は珍しく、井上堯之のプライドが許さなかったのでしょう。

それに対して大野克夫は、企画の話を聞いているうちに頭の中にメロディーが次々と浮かび上がり、早く家に帰って楽譜にしたくてしょうがなかったそうなのです。

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ものを創作する人種は大きく分けて2種類います。どちらが良い悪いの問題ではなく確実に2つに分かれるのです。

タイプ① 自己表現(メッセージ)することが第一義で、音楽、絵画、映像、文章などは、自己表現の媒体として捉えているので、その媒体に様々なものが添付される。

タイプ② 理屈や意味(メッセージ)は二の次で、音楽、絵画、映像、文章など、そのものに携わっている時間をとことん幸せと感じ、結果や評価は、それほど気にしない。

誰もがこのふたつの要素を持っているのですが、その割合の問題なのです。

タイプ①の割合が強いのは、どこか哲学的で、求道者のイメージの強い《ムチャクチャめんどくさい人》井上堯之
タイプ②の割合が強いのは、自己実現にはそれほど興味がなく、音楽そのものに浸っている時間を幸せと感じているような《ムチャクチャいい人》大野克夫

《ザ・スパイダース》から《井上堯之バンド》解散までのながきに渡って行動を共にした二人は、対極の性質であった為、上手くかみ合ったのでしょう。 しかし、タイプ①の色合いが強い僕から見れば、井上堯之の苦悩が痛いほどわかるのです。

井上堯之は努力の人であり、大野克夫は天才なのです。

多くのクリエータは、タイプ①の割合が多いのでしょうが、これはエネルギー効率が非常に悪い。人が思い悩む場合、純粋に良いものを作ろうとする苦悩以上に、対世間との葛藤がほとんどなのです。

自身のポリシーにそぐっているのか?

世間はどのように評価するのか?

権威やそれに伴う金銭や人気はどうなるのか?

この無限ループにハマってしまうと、ものを産み出すエネルギーがみるみる削がれてしまいます。ましてその負のオーラはインスピレーションの大きな障害となります。しかしそれが人間。結果的には、その苦悩が作品に深みをもたらすこともあるのです。井上堯之の音数の少ないギターのフレーズが刺さるのは、一音一音に深みと苦しみと哀愁が含まれているからでしょう。

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天才は何故天才なのか?

大野克夫の場合、幼少期から息をするように音楽や楽器とふれあっている為、そこに理屈はほとんど介入していません。音楽を楽しむという行為に、思考(ほとんどが邪気)を挟まないため脳がクリアーに維持され、エネルギー効率が非常によく、意識せずとも、ほとんどすべてのエネルギーを創作活動につぎ込むことが出来るのです。また思考が凝り固まっておらず柔軟なので、天からの直感(メッセージ)を受け取るとされる脳の《松果体》が柔らかく機能しているため、様々なインスピレーション(天の才)を受けとれ、発想力や想像力が高まります。

二人の関係性をほとんど知らない僕が勝手に断言するのですが、凄まじい努力と苦悩の末、楽曲を産み出すタイプの井上堯之は、大野克夫の才能を羨み嫉妬していたに違いないのです。しかし、この二人だからこそ《井上堯之バンド》は素晴らしい楽曲をつくり得たのでしょう。

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今回調べて始めて知ったのですが、大野さん、1977年にフュージョン系の《フリー・ウェイズ / FREE WAYS》というインストアルバムを出しているのですね。聴き易いメロウ(あまり好きでない表現)な音楽で、その才能の豊かさに驚愕なのですが、優しすぎて何か一つ芯がない。

そう、大野克夫も また、絶対的に井上堯之が必要だったのです。

なぜか?

大衆の心に響かなければ流行歌ではありません。喜怒哀楽のゆらぎの幅が大きければ大きいほど、音の表現が豊かになります。大野克夫が作・編曲で作りあげた世界を《井上堯之バンド》が演奏することによって、また井上堯之の身体と心を通すことによって化学反応が起こり、このコンビにしか作り得ない、不思議な大衆性を帯びた楽曲が産み出されたのでしょう。

そう、《ムチャクチャいい人》と《ムチャクチャめんどくさい人》のコンビは、最強のタッグチームだったのです。

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ジュリーの全盛期の楽曲は《井上堯之バンド》の演奏と井上堯之大野克夫の感受性が作り上げたもの。今にして思えば、《井上堯之バンド》は、ジュリーも言っているように、ジュリーのバックバンドではなく、《ジュリーを含めた一つのバンド》としての運動体だったのでしょう。

その後、井上堯之と袂をわかった大野克夫《大野克夫バンド》を結成。作・編曲・歌・CM・プロデュースなどの音楽分野で広く活躍します。その中でも皆に知れわたった仕事に、アニメ《名探偵コナン》の音楽があります。この仕事などは、音楽家・大野克夫の面目躍如といったところでしょう。

芸能人として派手に振る舞うことに興味が薄く、時代の流れに逆らうことなく自然にふるまい、音楽と釣りを楽しむ飄々とした生き方。まさに、良い意味で《時の過ぎゆくままに》身を任せた、カンナガラ(天のおもむくままに)の生き方なのでしょう。

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沢田研二、萩原健一、井上堯之、大野克夫、岸部一徳、大口広司。 GSの残党《PYG》の面々は、日本の芸能史に大きな功績を残し、今も多くの人々に希望の光を放ち続けています。

蔑まれ続けたGS残党の6匹の豚野郎の魂は、生涯ロックンロールに生き抜くことによって、今なお世に問い続けているのです。

GS残党《PYG》シリーズ、これにて完結です。

おしまい