映画《幸福のスイッチ》に見る、役者・沢田研二の更なる可能性。

幸福のスイッチ

上質で優しい家族の物語。沢田研二が役者としての新境地を見せてくれ、上野樹里の女優としての凄みを感じさせてくれた、2006年公開の日本映画。とても地味なのだけれども、そこはかとなくいいんですよ、この映画。

GSの残党(PYG)シリーズは、大野克夫の記事をもちまして一旦幕を下ろしました。既に書き尽くした感のあった、ジュリーはスルーしたのだけれど、やはり格好がつかないので、締めとして沢田研二さんにご登場頂くことと相成なりました。 GSの残党(PYG)シリーズ番外として、今回は、僕が10年ほど前に見た、《幸福のスイッチ》という映画を題材に、何時ものように好き勝手に、役者・沢田研二の可能性を語ってみたいと思います。

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ジュリーの役者としての僕の印象は(タイガース時代のものはとりあえず置いといて)よくも悪くも、テレビドラマ《悪魔のようなあいつ》なのです。

このドラマ、皆さんご存知のように《三億円事件》を題材にした久世光彦演出のテレビドラマで、ジュリー狂の母親が毎週、テレビにかじりつくようにして見ていたものだから、僕も何となく見ていた記憶があるのですが、家族皆で見るにはエロいシーン満載の過激なものでした。

《下ネタ厳禁》の家風(何故だ?)にあって、毎週、これでもかのエロいシーンの連続。脳みそがエロで沸騰していた高校生の僕としては超楽しみであったものの、その衝動をひた隠しに隠し(おそらくしっかりバレていた)、ひどく居心地が悪いまま見ていたものです。

また、共演していたネズミ男みたいな役の荒木一郎が非常に印象深く、あのインチキでイカガワしい顔が何故か大好きでした。

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久世光彦は、ジュリーの中性(ゲイ)的な魅力に引かれ、ジュリーの楽曲《君をのせて》をゲイの歌だど断定していたそう。

僕は昔からゲイの人達の繊細な美意識が大好きで、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドルー・リードの歌声から始まり、その文化圏を共にする、アメリカンポップアートの旗手、アンディ・ウォーホルジャン=ミシェル・バスキアの絵画。そしてミュージカル《ロッキー・ホラー・ショー》の世界観や、映画《蜘蛛女のキス》ウィリアム・ハートの切なすぎる演技などに、キュンキュン痺れておったのです。

しかし、ジュリーの魅力はそこではないと思うのです。これは賛否の大きく分かれる所でしょうが、歌のパフォーマンスとしてのユニセックスの演出は素晴らしいのですが、映画のように内面をエグるような演技は、ジュリーには不向きのように思えて仕方がないのです。

その後《太陽を盗んだ男》《魔界転生》など、立て続けにその美貌を武器に映画の主役を張り、そして森田芳光監督《ときめきに死す》に主演します。 当時、森田芳光監督の映画が大好きだったので封切と同時に観に行ってるんです僕。これは面白かったですね。役柄的に憂いのあるジュリーを上手く演出し、相手役の既に亡くなってしまった杉浦直樹が特に良かった。

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このように、ジュリーの映画はけっこう観ているのですが、やはりどの映画を見ても《スーパースター・ジュリー》のイメージがついて廻るのです。音楽劇の舞台も頻繁におこなっており、これは観たことがないので何とも言えませんが、こと映画に関しては僕だけかもしれませんが《スーパースター・ジュリー》が演技をしているイメージがどうしても抜けず、100%演じている役柄として観ることが出来なかったのです。

ジュリーは何をやるにしてもいたって真面目、そして不器用だと思うのです。誤摩化したり寄をてらった演技を好まず、正当派のお芝居をするため、引き出しも少なく、何処か柔軟性や色気に欠けて見えるのです。

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が、しーかし、映画《幸福のスイッチ》のジュリーは素晴らしかった! 

この映画も当時、何故か見ているんですよ僕。僕が観てきたジュリーの映画の中で、はじめて《スーパースター・ジュリー》が消え、街の電気屋《イナデン》のくたびれたオッサンに見えたのです。

これは2006年封切の映画で、《人間60年・ジュリー祭り》でジュリーが息を吹き返す2年ほど前の作品。(オールネタバレありです。興味のある方は映画を先にご覧下さい。)

ちょっと長くなりそうな予感……。

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安田真奈、原案・監督・脚本の映画で、和歌山県田辺市にある街の電気屋(イナデン)の家族(主人公・怜)を中心に描く、質の良いホームドラマ。

父親(沢田研二)と三人娘(長女・瞳 次女・怜 三女・香)の人間模様を丁寧に描いており、特に主人公の怜(上野樹里)と父親(沢田研二)の軋轢を中心に展開され、父との、仕事や生きることの捉え方の相違を感じながら娘・怜が成長してゆく物語。

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時代の流れに取り残されたような、街の電気屋を営む父・稲田誠一郎(沢田研二)。お客さん第一で「売った商品は最後まで面倒を見る」を信条とする営業方針で、近所に出来た大型家電店に駆逐されそうになりながらも、地域密着の心のこもった修理をやりながら、なんとか営業を続けています。

母親は既に亡くなっており、近所に嫁いで行った長女・瞳(本上まなみ )と高校生の三女・香(中村静香)が、お店のお手伝いをしています。次女・怜(上野樹里)は、父親とことあるごとに衝突を繰り返し、大反対を押し切って東京のデザイン事務所に就職した、駆け出しのイラストレーター。

そんなある日、誠一郎がアンテナ工事中、屋根から転落。骨折して入院するはめに。

お店の営業が成り立たなくなったため、三女・香が怜にSOSの手紙を送ります。ちょうどその頃、怜もイラストの仕事に行き詰まっており、上司と喧嘩して辞職したばかり。クライアントの要望と、自身のイラストレーターとしてのこだわりとの葛藤は、似たような境遇にあった僕としては痛いほどわかるのですが、若い頃は、営業社員が何度も頭を下げて取って来た大切な仕事なんてことにまで考えが及びません。衝動的に上司に逆切れしてしまいます。

そこで仕方なく一旦帰郷することに。

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久々に帰った実家の電気屋(イナデン)は相変わらずの景色で、時間が止まっているよう。あれほど毛嫌いしていたお客さんの家々を廻っての修理の仕事を嫌々始めます。

映画が始まってからずーーーーーっと不機嫌でふてくされた表情の怜(上野樹里).。これほど仏頂面が魅力的な女優さんは、他にいるでしょうか?

三人姉妹の次女の定番のような性格設定。よく出来た長女・瞳と、天真爛漫で要領がよく皆に好かれるタイプの三女・香に挟まれ、物事を素直に受け取れず、又素直に感情表現もできない。自身の正義感にすべてを当てはめようとし、そこからはみ出した人や物事を容赦なく断罪する性格(あっ、俺だ!)。

とにかくその性格の悪そうな目付きが痺れるほど魅力的なのです。

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頑固一徹、外面だけは良い仕事人間・誠一郎(沢田研二)。思慮深くおもいやり豊かな長女・瞳(本上まなみ)。明るく、前向きで、サッパリした性格の三女・香(中村静香)と、終始仏頂面の怜(上野樹里)のコントラストは絶妙でした。

監督の仕事の大部分がキャスティングで決ると言われるように(誰が言った?)、この映画はキャスティングが本当に絶妙なのです。この三人娘の父親役に、天下の沢田研二(ジュリー)を当てたキャスティングは凄い!

病室のベットで、青いドテラを羽織ったギブス姿で白髪頭のジュリーを見た時、思わず、「ジュ、ジュリーーーーッ」と叫んだファンは沢山いたはず。しかしこれが良いんですよ、見舞いに来た怜(上野樹里)との、方言の田辺弁での掛け合いのシーンは秀逸。

どちらが演技の主導権を握っているのかわからないのですが、お互いに美しく響き合っているのです。この時始めて、僕の脳裏から《スーパースター・ジュリー》が消え失せ、100%電気屋のオヤジ・稲田誠一郎だけが立ち現れます。

役者・ジュリーの面目躍如!

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修理の仕事をして行くうちに、お客さんを通して長年積み重ねてきた父親の仕事ぶりを知ることとなる怜。少しずつ少しずつ、人々や世界に対する自身の向き合いかたを見つめ直してゆくのです。

お客さんとのふれあいで、印象的なシーンをひとつ。

一人暮らしのおばあちゃんのお客さんから、テレビを移動するように頼まれた電気屋(イナデン)。怜は三女・香と共におばあちゃんの家に。テレビどころか、箪笥やテーブルなども運ばされ、便利屋のような扱いを受ける二人。長男夫婦が帰って来る為に部屋を明ける必要があったのです。

その帰り、偉そうに指図し愚痴ばかりのおばあちゃんの悪口を言う怜(あっ!再び俺だ!)。そのとき香が言い放った一言「お姉ちゃんにそっくり」に愕然とする怜。

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後日、怜が伺った所、長男の嫁さんとシックリこない様子のおばあちゃん。長男の言葉には反応するのに、嫁の問いかけに無視するおばあちゃんを不思議がった怜は、おばあちゃんは耳の具合が悪く、嫁の細い声が聞こえないことに気づきます。

そこで補聴器を提案。

補聴器を付けたおばあちゃん、久々に聞く、遠くからの自然の音や生活音。 怜もおばあちゃんと一緒に、しばし耳を澄まします。

猫の鳴き声、

畑仕事のおじさんのくしゃみ、

おばさん達の世間話、

子供の泣き声、

風の音、

梢のざわめき、

遠くの中学校で練習するブラスバンドの微かな音色。

女子高生の自転車の通り過ぎる音、

郵便受けに手紙の入る音、

パッキンが甘くなった蛇口から漏れる水滴の音、

柱時計のチクタク、チクタク、

そして自分の呼吸する音。 

それら、全く意味を持たない生活の音や自然の音は、ただただそこに在るのです。しあわせは《なる》ものではなく《感じる》もの。

《幸福のスイッチ》が入る条件なんて何一つなく、ありのままの世界を、何のフィルター(自我)も通さずに、ただありのままに受け止めた時、知らず知らずのうちにそのスイッチは「カチッ」と静かに入るのでしょう。

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そうは言っても、人間そう簡単には変われません。

あるカミナリの激しい夜、怜がうたた寝している間に、家電修理の電話の留守電が殺到していたため、いても立ってもいられず誠一郎が病院を脱走。

寝ている怜を叩き起こし、怒鳴り散らしながらギブス姿のまま怜を連れてお客さんの家々に修理へ。ここでまた怜は不条理な出来事に遭遇します。

落雷のためアンテナが故障し、修理をしている父・誠一郎に向かって、定年後の家の主が「お前の所の物は故障ばっかりやないか!」と怒鳴り散らします。父・誠一郎は一切言い返すことなく、平謝りに謝ります。その一部始終を見ていた怜は、主が寝室に戻った後、「お父さんのせいじゃない、何で言い返さないのか?」と誠一郎に食ってかかりますが、誠一郎は「ええやないか、ご主人も色々大変なんやろ」と返すのです。

怜はおもわず廊下に飛び出し、自身の会社での境遇や、今までの自分の人生での度重なる世間との軋轢とを重ね合わせ、どうしようもない悔し涙を流すのです。

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この時のジュリー・ジュリコンビの演技も凄い。

お客に怒鳴り散らされながら、ギブス姿で愚痴一つこぼさずに修理をする誠一郎。その疲れ果てた痛々しい姿を見つめながら、世の中の不条理に涙する怜。

その時、あのジュリーが何十年もコツコツと修理をやり続けている哀愁を帯びた電気屋のオッサンに、100%見えたのです。《スーパースター・ジュリー》をすべて消し去り、役者・沢田研二ここにありなのです。

その振り幅の見事なこと!

そして上野樹里。やはりこのおねえちゃん、ただものではありません。岸部一徳の記事で書いた《微表情》の完璧な演技。

《微表情》 抑制された「真の感情」がフラッシュのように瞬時に表れて消える0.25秒以下の人間の表情。微表情で読み取れる感情は、大きく分けて恐怖、怒り、軽蔑、嫌悪、悲しみ、驚き、喜びの7種類とされている。

おそらく天性のものでしょう。僕自身もその悔しさや情けなさにしっかり共感共鳴してしまい。号泣なのでした。

仕事終りの車の中、疲れ果て、シートに横たわりながら誠一郎は怜に声をかけます。おばあちゃんに補聴器を売った仕事をさりげなく褒めるのです。

曰く、「ええ仕事をしたなぁ。」

またしても魅せてくれます、この時の沢田研二上野樹里《微表情》の演技に、僕がアカデミー主演男優賞・主演女優賞をドーンと差し上げます(ちっとも喜んでくれないだろうけど)。

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物語の最後、高校時代から怜の中でくすぶり続けていた、父・誠一郎の浮気疑惑。その真偽を確かめなければ、怜の正義感が許しません。

母親の生前、お酒を一切口にしない父・誠一郎が、奇麗な女将が営む街の小料理屋にで入りするのを怜は何度も目撃します。思春期の娘が毛嫌いする、父親の浮気。決定的な証拠がないまま今に至るのですが、その話を二人の姉妹に打ち明けると、思春期真っただ中の高校生・香は、抜群の行動力を見せ、その女将 の小料理屋に怜と共に乗り込みます。

この三女・香役の中村静香もいいんですよ。怜との対比で、田辺弁で喋る高校生の演技がムチャクチャ可愛いのです。オスカープロモーションのグラビアアイドルらしいのですが、この映画の中ではとてもチャーミングで重要な役柄。その後、女優としての姿を見たことがないのですが、もっと出て来ても良いと思うのですが。 もう旬は過ぎたのか…。

話を映画に戻します。

女将が語るには、小さな息子を抱えて知らない街にたどり着き、小料理店を開いた女将に、色々と親切にしてくれた誠一郎。女将が誠一郎を慕っていることはわかったのですが、結局肝心の所はわからずじまい。

女将の誠実さに触れた香は、まあ、どっちでもしょうがない、これ以上詮索するのは止めようとあっさりしたもの。長女の瞳も、真偽はどちらでもよく、今のお父さんに十分感謝している様子。「えーーっ、なんでーっ? それでええの?」と、一人釈然としない様子の怜。

そんな怜に長女の瞳が見せた物は、誠一郎が内緒でコツコツと積み立てている定期預金の通帳。怜が結婚する時に、お父さんはドーンと渡したいらしい、と語る姉、瞳。

姉妹全員が、誠一郎にうまく丸め込まれているような悔しさもありつつ、怜も浮気疑惑の詮索は渋々諦めるのです。

そう、人生曖昧なままでいいのです。

白と黒。その間に無限のグレーのグラデーションが広がります。そのグラデーションこそが生の豊かさであり、生きる意味なのではないでしょうか? 絶対正義を押し付ける人程、怖い物はありません。その大義名分のもと、人だって殺しかねないのです(例えば70年代の赤軍派やオウム真理教)。

人は常に、無限のグレーのグラデーションを泳ぎながら内省し、ブレブレで生きていいのです。そこにこそ《幸福のスイッチ》があちこちに転がっているのかもしれません。

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結局、怜は東京に戻り、逆切れした上司に詫びを入れ復職します。終始不機嫌だったその表情も心なしか穏やかになり、クライアントとの間に立つ営業の人に対する想像力も、多少は働くようになったのかどうなのか?

ラストシーン、父・誠一郎が無事退院。その報告に香が怜に電話。途中、誠一郎が電話口に出て、補聴器のおばあちゃんの話をします。

誠一郎   おばあちゃん、怜ちゃんの補聴器や言うて、えらい気に入っとってなぁ、なんせ10年振りやって

怜     10年振り?

誠一郎   10年振りやったらしいわ、鳥のさえずり…。

怜     ………。  なぁ、お父さん、帰って店手伝って欲しい?

誠一郎   アホーッ! 目標あって行ったんやろ、踏ん張らんかい!!

物語はここで終わります。

怜の「帰って店手伝って欲しい?」のセリフのときの上野樹里《微表情》がまたたまらんのですわ! 更に、声だけなのですが最後の誠一郎の怒鳴り声は、嬉しくてしょうがない父親の声に聴こえてきて涙物でした。

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物語の起伏は薄く、静かで地味な映画だったのですが、僕的には非常に心地よいイメージの大好きな映画でした。これ以後、ジュリーのこのような映画を知らないのですが、オファーは無いのでしょうか?

全盛期は芸能界の頂点に立ち、その後様々な浮き沈みを経験しながら愚直に歌の道を追い求め続けたジュリー。若いときの美貌に頼らず、ありのままの姿を晒した今、歩いて来た道のりのすべてがその佇まいに現れ、一つの道を極めた人にしか出せない哀愁と艶が匂い立ちます。ここからが役者・沢田研二の本領発揮の時。主役に限らず、様々な役に挑戦するジュリーを見て見たい。

僕的には若い頃のジュリーの演技よりも、今年古希の役者・沢田研二のほうが100倍魅力を感じるのですが、何故オファーがかからない?

断っているのか、それとも原発反対のメッセージがネックなのか…。

沢田研二、上野樹里の共演、もう一度見てみたいものです。

おしまい