《沢田研二さいたまスーパーアリーナ・ドタキャン騒動》に考える、《エンターテーメント》におけるプロフェッショナルとは何か?

サンダース沢田

ジュリーは転んでもタダでは起きません! 《ドタキャン騒動》という超ネガティヴな話題で連日ワイドショーを賑わせている沢田研二。当初の否定的な報道が、ジュリーの謝罪のメッセージインタビューが流されたのを機に風向きは徐々に変わってゆき、今やコンサートツアーの一大プロモーションの様相を見せており、今現在のジュリーを大衆に知らしめる絶好の機会となっているのであります!

さいたまスーパーアリーナに集まった、7,000人の観客を残して《重要な契約の問題》という謎の理由で、開演間際にジュリーさいたまスーパーアリーナを後にします。ワイドショーでは、その賛否を巡って直接関係のない人たちが、あーだこーだと騒いでおりますが、エンターテーメントビジネスにおけるタレント(演者)、観客、プロダクション、イベンター、の関係性や役割を考える上での絶好の機会となったのです。

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世間一般の、いわゆる常識人の物差しから外れた言動をタレントが行うと、同じ世界で生きているタレント達が先頭だって、常識人の代表面をして糾弾するワイドショー番組。このようにして、常識から逸脱したがゆえに魅力的な芸を見せてくれていた芸能人が次々と叩き潰され、一般人と大差のない、つまらないタレントしか生き残れない構造となってしまった今の芸能界。

このブログでも何度も書いていますが、常識の枠を大きく逸脱して、僕ら一般人が絶対に見ることのできない領域に命を削って誘ってくれる人達のことを《芸能人》というわけで、そもそもが常識人でまともな人は、《芸能人》にはならなかったのです。

不倫をしようが、薬物をやろうが、ドタキャンしようが、そんなものはその本人と当事者、関係者の範疇のものであり、さらに社会的なルールを犯したとすれば、黙っていても法が裁き罪を償わされるのです。

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今回のジュリー《ドタキャン騒動》も、演者、観客、プロダクション、イベンターの問題であって、部外者が口を挟むことではないはず。 その前後の状況や、イベントの成り立ち、内容などを調べもしないで、一点だけを切り取ってものを言う似非タレントの多いこと多いこと。

今回、ジュリーは事を収める意味で謝罪会見の様なものを蚊の飛び交う公園でやりましたが、「なんで世間に謝らんといけんのかいっ!」と思うわけで、当事者であるさいたまスーパーアリーナに集まった、7,000人の観客に対してにだけ謝罪すればよいのです。

《エンターテーメント》に対しての考え方は人それぞれで、皆それぞれの流儀で仕事をやっているのでしょうが、今回のジュリー《ドタキャン騒動》を踏まえて、それぞれの立場から《エンターテーメントとは何か?》を考えてみると、その立ち位置によって様々な色や形が見えてくるのです。

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《観客(ファン)》から

長年にわたってジュリーのファンであり続けている人たちにとって、今回のジュリーの言動は十分想定内のことであって、辛く悲しい出来事であったにせよ、今までの関係性が成立していることで、ジュリーが言った「ファンに甘えさせてもらった」という言葉だけで十分なのでしょう。 ただ新規の方や、知人に誘われて来られたお客さんには《エンターテーメント》のパフォーマー、プロダクション、イベンターは、十分な謝罪と金銭的な保証をするべきなのでしょう。個人的には、チケット料金のみならず会場までの交通費、宿泊費まで保証するべきだと僕は思うのですが…。

ジュリーのその日のコンサートの為に時間とお金をかけ、仕事や用事の都合をつけ、楽しみにしていた想いを踏みにじった責任は、とても大きいはず。

《イベンター》から

《エンターテーメント》を生業とする限りは、どんな手段を使ってでも興行を成立させるべきであり、どんな理由があろうともキャンセルになってしまった責任は大きいのでしょう。ネットでの情報しか知りえないので細かい経緯はわからないのですが、スケジュールを見る限り、関東圏での大会場の公演が短期間に集中しており、見込みが甘かったのではないでしょうか?

イベンターのもう一つの大きな仕事として、タレント(演者)を気持ちよくパフォーマンスさせてあげることであり、それが不可能なのであればジュリーの言う通り、早い段階で中止すべきだったのでしょう。

《プロダクション》から

今回の件でもっとも機能していなかったのがプロダクション関係者たちなのではないのでしょうか? タレントとファン、タレントとイベンターを潤滑に繋ぐ役割、タレントのステータスを身をもって守るのがプロダクションの役割。今回の件では、タレント(ジュリー)が一人矢面に立って事の収拾を図ったのですが、本来はプロダクションの人間が事に当たるべきであり、ベテランのタレントを丸腰で芸能記者の前に晒した責任は大きすぎます。 あくまで沢田研二の個人事務所で、すべての決定権がジュリーにあるのであれば話は違ってくるのでしょうが…。

プロダクションとイベンターとの間で、どの様な経緯があったのかは知る由もないので、いい加減なことは言えませんが、ジュリーに対してプロダクションの立場で、しっかり意見できる有能なスタッフがいるのでしょうか? あらゆる角度からスーパースター・ジュリーを守ってあげなければ悲しすぎます!

常々思っていたので、この際言わせていただくなら、ホームページのデザインのダサさ、CD販売のプロモーションやコンサートの開演前に映される過去映像のレベルの低さは、何なのでしょうか? ナベプロ時代のスタッフであれば、絶対に許さなかったはず。特に新規のファンはガッカリしてしまうのではないでしょうか(若い人はセンス抜群)? たとえジュリーが許しても、事務所スタッフが許してはダメなのです!

「50年かけて築き上げたスーパースター沢田研二のブランドは、しっかり守ってあげろよ!」

と言いたい。

《タレント(沢田研二)》から

演者・沢田研二だけの視点から考えれば、その演者自身の《エンターテーメント》の捉え方で答えは様々。今回のジュリーの決断は、その後の謝罪の言葉や、コンサートのMCの内容や、潔くすべての逆風をたった一人で受け止めている態度でわかるように、それなりの覚悟をもってのことだったのでしょう。 エンターテナーとして、気持ちの乗らない不本意なパフォーマンスを見せることのほうが、観客に対して失礼と考えるのか、不本意なパフォーマンスでも、とにかく集まってくれたファンの為にイベントを決行するほうが、観客に対しての礼儀だと考えるのかは、意見の分かれるところ。

どのような状況下でも全力のパフォーマンスを観客に届けるのがプロフェッショナルだとするのが、世間一般の意見なのでしょうが、《芸能人》に常識は当て嵌まりません。支持するファンとの関係性で成立している限り、プロフェッショナル足りうるのです。

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昔、ジプシーギターのジャズプレーヤー、ジャンゴ・ラインハルトという人がいまして、この人はいつ何時も、ジプシーの流儀で動いていました。ステージの遅刻など日常茶飯事、調子が乗らなければ平気でドタキャン。怒って帰る客もいるのですが、それでもその演奏を聴きたい熱狂的なファンが大多数で、興行として成立していたのです。 また、劇作家の井上ひさしは、自身のプロとしてのレベルに達する脚本が、期日までに出来なかった為に、公演を延期したり、中止したりを何度かやっています。その莫大な損失補償は、井上ひさしの負担になるわけなのですが、それでも自身の作家としての矜持が許さなかったのでしょう。

以前、このブログの記事で、《沢田研二という現象》というものを書きました。

50年歌い続けて常に時代を作ってきたスターが、古希を記念して組まれた今回のツアー。仙人や達人の域に達したスーパースター・沢田研二。風や雨や雪のような自然現象の如く、もはやジュリーの言動は一つの《現象》としてとらえ、ファンはそれをひたすら眺め、楽しむ態度が正解なのではという内容のものだったのですが、今回のような騒動を目の当たりにすると、改めて《沢田研二の矛盾》が浮き彫りにされてしまうのです。

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これまでのジュリーの歴史や言動を深く知り、そのすべてを理解した上でファンであり続けている方々とジュリーとの絆は盤石であり、他者が口を挟むべきでは無いのですが、ジュリーは常々、「新しいファンに、新しい曲をきかせたい」「新曲をリリースする限りはたくさんの人に聴いてもらいたい」と言っています。 上記の作家・井上ひさしのように、ジュリー《芸術家気質》を強く持ちながら、出来るだけたくさんの人々に届けたいという《エンターテナー気質》も強く併せ持つ、面倒くさくわがままで贅沢な性格(自身も言っているように、超絶に厄介な性格)なのです。コンサートMCでの謝罪の言葉の中に「僕はブレない男なんかじゃない。ブレブレです。」と告白しているように、デビュー以来50年間、《芸術家気質》《エンターテナー気質》の二人の沢田研二の相克が常にあったのでしょう。

しかしそれでも沢田研二

相反する《芸術家気質》《エンターテナー気質》の狭間で大きくブレながらも、バカ正直で、誤魔化すことが許せなくて、嘘が付けないという点に関しては50年間、まったくブレていないのです。

なぜなら、沢田研二は《現象》なのだから。

《現象》は理屈ではありません。人智を越えて矛盾だらけなのです。その矛盾が芸能という感動を生み出すのです。沢田研二は理屈では理解不可能なのです。

今後もこの大きな矛盾を抱えつつ、沢田研二は一つの《現象》として、あり続けてほしいものです。

人間万事塞翁が馬

災い転じて福となす

転んでもただは起きぬ

と、数えきれない程に諺があるように、この機会はジュリーにとって最高のチャンスなのでしょう。各局が報道してくれた、この一大プロモーションを広告費に換算したら、何億円にもなるはず。過去から今現在の沢田研二を、最高の時間帯にこぞって丁寧に扱ってくれ、齢70にもなる沢田研二が、いまだに全国66箇所にも及ぶツアーをほぼ毎年やってることを大勢の人に知らしめたことは素晴らしいことで、改めて沢田研二に興味を持った人は少なくないはず。

人生オールオッケイ! これでいいのだ!

最後に、謝罪発言の中でジュリーが放った中で、大好きだった一言

「約束を破っていながらスカスカの状態でやれというのは僕には酷だと。それは老人虐待にも通じることじゃないのって」

はい、最高の自虐ネタをかましてくれました。 見事なダダ滑り。一瞬、蚊の飛ぶ音だけが場を支配した、僕にとって大好物の時間なのでした。

伊達に何年も志村けんと渡り合っていたわけではありません。この時期、鍛えまくったコメディアンの実力は錆びついてはいなかった。このシビアなシチュエーションの中で、ギャグをかませる余裕、

さすがです!

この発言も、冗談をわからない輩が何時ものようにバッシングしているようですが、シビアな時こそ笑いが場を救ってくれるのです。

さぁ、今からが楽しみです。

全国に情熱の赤い旗を揚げまくって、約束通り、後10年は歌い続けてもらいましょう!

立ちどまるなふりむくな!!

おしまい