日本ロック界のあだ花《PYG》 その圧倒的なロック魂! GS残党の実力を今こそ思い知れ!!

PYGロック

井上堯之の全仕事の中で、もっとも自身を開放し、思う存分に求める音楽を探究できたバンド《PYG》。GS残党の魂の叫びから作られた圧倒的なサウンドは、当時のロックファンから徹底的に蔑まれ、女性ファンからも支持を得られなかったのですが、6匹の豚野郎の作った楽曲とその演奏は、時代を越えた今、改めて正当な評価を得ているようです。   

井上堯之逝去の知らせを聴いて以後、毎晩のようにその音楽活動の歴史を聴きまくっているのですが、やはり井上堯之の魂の音が聴こえてくるのは《PYG》時代の演奏。それは、GS(ザ・スパイダース)から開放され、自身が探求し続けていた新たなロックミュージックを思う存分に表現出来た、奇跡の時代でした。

からす

60年代、70年代の若者は学生運動に明け暮れ、体制批判を繰り返し、マルクスレーニン主義の革命思想をマニュアルとした机上の空論を掲げ、自分たちだけが時代を変えることの出来る革命家だと信じていた狂想の時代。

そんな中、ボブディランに端を発した日本のフォークシンガー(岡林信康、高石ともや、加川良、高田渡など)は、反体制、反戦のメッセージソングを歌い、大変な支持を得ます。ジャズミュージシャン(安倍薫、高柳昌行、山下洋輔など)は、アナーキーなフリージャズを展開し、既製の音楽や社会に強烈なアンチテーゼを投げかけるのです。一方、ロックの世界ではディープ・パープルやレッド・ツェッペリン、ブラック・サバスなどのニューロック(ハードロック)が世界的に大きな支持を得ていたのですが、反体制運動のさなか、日本のロックミュージシャンはいまいちメジャーにはなりきれず(それを拒絶していたふしもある)、フォークなどのメッセージソングのパワーには遠く及ばなかったのです。

からす

髪の長い不良共がたいした努力もせず、遊びながら女子供に聴かせるくだらない低レベルの音楽。当時のGSブームの音楽の世間の見方は大体このようなもので、末期には大衆に迎合した商業ベースの音楽に成り下がったとして、ロックファンからも徹底的に蔑まれていました。

その汚名を覆すべく、GSの残党(技術的には精鋭部隊)が集まって、ニューロック(ハードロック)指向の強いバンド《PYG》が結成されます。渡辺プロをバックに活動が開始されたにもかかわらず、当初、その音楽性やコンセプトの大部分はメンバーに委ねられていたふしがあり、井上堯之、大野克夫、岸辺修三を中心として作られた、本格的なハードロック指向の楽曲《花・太陽・雨》でデビューします。

からす

ジュリー狂の僕の母親が、タイガース解散で落ち込んでいた矢先の《PYG》結成のビッグニュースに、小躍りして喜んでいたのを冷めた目で眺めていた僕なのですが、始めて《花・太陽・雨》の楽曲を聴いたとき、

「えっ、なに、この重たい音は?」と、

子供心にビックリしたことを覚えています。末期のGSサウンドは、リバプール・サウンドが根底にあったものの、ロック色は薄れ(ザ・ゴールデン・カップスなどは除く)流行歌としての存在意義しか見いだせないところまで行き詰まっており、当時のフォークなんかのメッセージ性は皆無で、軽い音楽に聴こえていたため、いきなり《PYG》の重量感のあるハードロック《花・太陽・雨》の音は、けっこうな違和感と共に、強烈なインパクトを感じたものです。

からす

中学一年生だったの僕の耳にも強烈な印象を残した《PYG》の楽曲は、音そのものにGS残党、6匹の豚野郎のメッセージが溢れ出ていたのでしょう。ザ・スパイダースの括りから開放された、井上堯之。かねてより本物志向の強かった井上堯之は、自身の持つニューロックに対する思いを余すところ無く、この《花・太陽・雨》に注ぎ込んだのでしょう。そのエネルギーがひしひしと伝わってくるのです。大野克夫の作る、キャッチーな楽曲に比べると、井上堯之の曲はどうしても難解に聴こえてしまうのですが、根本に熱いブルース魂がうねっているのです。

そして歌詞。

当時は歌詞(作詞:岸部修三)の意味はよく理解していなかったのですが、今、改めて読み返して見ると、当時の社会状況や参加メンバーの置かれている状況を強く反映しており、さらに岸部修三の大きく俯瞰した視座から溢れる、詩情豊かなフレーズは心打つものがあり、作詞家・岸部修三のただならぬ才能が垣間見えるのです。もちろんベースの音も素晴らしく、タイガースが再結成された時に聴いたベースは、何十年ぶりかに弾いたとは思えないほどに素晴らしく、「サリーのベース、こんなに凄かったんだ!」と、再認識させられたものです。

サリー凄い!

からす

その詩的な言葉は、井上堯之の重たい哲学的なメロディーに乗って更にその世界観を深めます。イントロの鐘の音(井上堯之のギターによるもの)は、1969年の安田講堂攻防戦を境に急激に沈静化しつつあった反体制運動の学生革命家達や、それに対する体制側(当時の政府)の両者に放った、強烈なアンチテーゼだったのではないでしょうか?

作詞の岸部修三《花・太陽・雨》の詩に込めた意味を聴いたことがなく、大きく間違っているかもしれないので、あくまで僕の勝手な解釈なのですが…。

社会主義(マルクスレーニン主義)の定規で測ったようなテンプレートに沿った社会では、人は幸せにはなれない。これは作家・稲垣足穂がたった一言で論破しています。

曰く「ここには人の心が書いていない」と。

だからと言って、資本主義の大量生産大量消費の今の現状にも大きな違和感を抱えた中、その閉塞感を打ち破る新たなしシステムを模索する始まりの鐘として、僕には聴こえてくるのです。

PYG《花・太陽・雨》   作詞:岸部修三 作曲:井上堯之

よろこびの時 笑えない人

色のない花 この世界

春の訪れのない

私のこの青春に問いかける

にくしみだけの さかさまの愛

水のない雨 閉ざされた

暗やみの中での

私のこの青春に呼びかける

この白い光 あたたかい風と

ささやかな愛に つつまれた

あしたを 迎えに

悲しみの日を よろこびの日に

太陽もある その世界

春の花の様に

私のこの青春が 目をさます

あなたの花 あなたの太陽

あなたの雨 あなたの愛

花・太陽・雨  花・太陽・雨

花・太陽・雨  花・太陽・雨

花は、太陽や雨などの《現象》だけを必要とし、それだけで花を咲かせます。 理屈で花が咲く訳ではなく、人智では考えの及ばない《現象》によってしか、あの美しい花は咲かないのです。

そして、人の心にも花は咲きます。

その種子は誰の心にも撒かれてるはず…。

革命の衝動は外に向かって放たれるのではなく、自身の心の内に向かって放たれるもの。 そしてそれが《現象》となったその時始めて「私のこの青春が目をさます 」のでしょう。

からす

当時のGSファンやロックファンは、《花・太陽・雨》の歌詞やメロディーに込められたメッセージを受け止めることはせずに、それぞれの持った狭い先入観でしか聴くことができず、それゆえ受け入れられなかったのでしょう。

ジュリー狂の僕の母親などは最たるもので、ツインボーカルの相方、萩原健一(ショーケン)を目の敵にしており、その悪口ばかりを言っておったのです。

母       「ショーケンは不良やけ、素行が悪い」 

僕の心の声   「ジュリーも同じようなもんやろ、って言うか、そもそもロックなんかやっとるんは、そこそこ不良ばっかりやろ」

母       「そもそもショーケンの歌声が良くない、ジュリーの歌声が聴き難くなる!」

僕の心の声   「ショーケンのファンも同じこと言いよるんやろうね」

母       「ジュリーが歌いよる時、ショーケンはステージ上でタバコやら吸いよるんよ、けしからん!」 (その後、ジュリーがソロになった時、タバコを吸ったり、ウイスキーを霧吹いたりしながら歌っていたのですが、母は大喜びしていたのです)

同じように、ショーケンのファンもジュリーバッシングを重ねており(アイドルファンとしては至極真っ当な在り方で、決して非難している訳ではありません)、同じグループのボーカル二人のそれぞれのファンが中傷合戦を展開している空気の中、《花・太陽・雨》《自由に歩いて愛して》などの楽曲の、深い意味を聴く耳なんぞ持てるはずも無く、バンド《PYG》そのものが支持されるはずもなかったのでしょう。

今聴くと、ショーケンの声が入ることによって、より色気が増して《自由に歩いて愛して》のコーラス部なんかは、ゾクゾクするのです。

全体的に重く地味で、キャッチーな楽曲は少ないのですが、井上堯之のギター、大野克夫のオルガン、岸部修三のベース、大口広司のドラム、そして沢田研二、萩原健一のツインボーカルと、非常にバランスのとれたバンドで、このコンセプトのまま、もっと長く活動が続いていたらどんな風に進化していたのでしょうか?

からす

渡辺プロをバックに商業ベースで作られたバンドに、《PYG》「豚のように蔑まれても生きてゆく」というコンセプトを掲げることを可能にしたのは、当時、渡辺プロに所属していたアラン・メリルの影響も大きかったのでしょうか?

しかしそのコンセプトの御蔭で、井上堯之らは、自身の目指すハードロックの楽曲を世に現すことが出来たのです。 僕は、井上堯之の楽曲の中で、《花・太陽・雨》《自由に歩いて愛して》が最高のものと思っており、何度聴いても飽きないのです。

井上堯之が亡くなってしまった今、《PYG》再結成は不可能となってしまったのですが、この二曲を今一度フューチャーし、夜な夜な一人で再評価をしている僕なのです。

日本ロック界のあだ花《PYG》 FOREVER !!

関連記事

https://blog.akiyoshi-zoukei.com/katsu/post-2005

おしまい