日本R&Bの姉御。大西ユカリの歌声は、今日も大阪新世界に響き渡ります。
ソウルミュージックと昭和歌謡を衣に包んでサット揚げ、コッテコテのゴスペルソースにたっぷり浸せば、串カツブルースの出来上がり。大西ユカリの『ド演歌ブルース』は、いまだ健在です。
ソウルミュージックと昭和歌謡を衣に包んでサット揚げ、コッテコテのゴスペルソースにたっぷり浸せば、串カツブルースの出来上がり。大西ユカリの『ド演歌ブルース』は、いまだ健在です。
時々、無性に下田逸郎の歌声を聴きたくなる。難しい言葉使いは一切なく、淡々と語るそのラブソングは、男性の中に眠る女性性、女性の中に眠る男性性をくすぐります。
《中山うりの原風景》何の情報もイメージも持たない幼児が、はじめてチンドン屋に遭遇したときの風景。それをそのままピンホールカメラで映し撮った世界観。ミクロの世界から、いつの間にかマクロの世界に飛躍する普遍性。
街はクリスマスイルミネーションで彩られ、そこかしこからクリスマスソングが流れだす一年で最も華やかな時節となりました。イベントの予定等入れずに、音楽を楽しみながら、それぞれが(ファンタジー)空想にふけるクリスマスもあって良いのでは?
もはや名前を言っても誰もわからなくなってしまった、荒木一郎。同世代の加山雄三が太陽とするなら、荒木一郎は銀色に輝く月として、今も夜空を照らしています。
もっと、もっと、もっと、再評価されて良い『ザ・ピーナッツ』。 その抜群の歌唱力とハーモニーの美しさにおいて、いまだにこのデュオを越えるグループは出現しておりません。
世の中は、所有出来る物や約束出来ることなど何一つ無く、それだからこそこの世界は永遠で美しいことを教えてくれたのは、友部正人でした。
トムウェィツの放つ、ジンタやチンドンを匂わせる多国籍ごった煮ミュージックは、流浪の民ジプシーの哀愁にも似た、 とらえることの出来ない原初の感情の「それ」に似たもの…。
何故、それほどまでにそのトランペットの響きは美しいのか? 何故、それほどまでにその歌声は、心の奥底にしみ込むのか?
綺羅星のごとく現れては消えて行った昭和歌謡曲の歌い手さんたち。中でもハワイアンの女王、日野てる子は別次元の美しさと、歌唱力で、まだ幼かった僕を夢の世界へ誘ってくれたのです。