《深夜食堂》昭和の残り香が漂う、おやじドラマ。末端の人々の集う場末の止まり木。

今やテレビドラマはどの年代層をターゲットにすれば良いのかすら予測出来ず、どの局も視聴率の低迷に苦しんでおります。その中で、ドラマ《深夜食堂》シリーズは、深夜放送にもかかわらず高視聴率を続けています。その理由は、僕ら中高年の疲れ果てた悲しきオヤジ共の心に、素朴で懐かしい、あたたかな料理を振る舞ってくれるからなのでしょう。

演者やスタッフが、テンションが上がり異常に面白がって制作しているドラマは、画面からその雰囲気が溢れ出ており、視聴者にも確実に伝わるもの。

僕的な最近のヒットは《カルテット》でした。演劇的な会話劇で脚本が大変素晴らしく、主要なキャスト四人は誰もがはまり役。やはり役者が素晴らしいと、ドラマがしまりますねぇ。

椎名林檎の主題歌も素敵で、それを毎回違った演出で、オシャレにさりげなく挿入するテクニックに、 久々に日本のドラマでゾクゾクしました。

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で、《深夜食堂》シリーズ。

第一回目は、2009年10月の放送でした。原作は、ビッグコミックオリジナルに連載されている、安倍夜郎による漫画作品です。ビッグコミックオリジナルは、典型的なおやじ漫画雑誌で、僕もけっこう読んでました。

漫画で読んでいた《深夜食堂》の印象は、あたたかなヒューマンドラマで、TVドラマよりもあっさりしていて、あまり癖のない感じでした。しかし、ドラマ化されると、哀愁と深夜感と場末感がてんこ盛りされており、その演出力は本当にすばらしい!

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オープニング、新宿繁華街の夜景を車内(タクシー?)からのアングルで淡々と映します。そこに流れる主題歌は、鈴木常吉「思ひ出」という何とも不思議な曲。これ、調べた所、原曲はアイルランドの民謡なのだそうです。ケルト系のメロディーに、なんとも切ないモラトリアムな歌詞が乗っかり、 うらぶれたよれよれのオッサンの声で歌われると、ここまでの場末感が出てしまうのですね。

色々なバージョンを聴いてみたのですが、ジュディ・ガーランド「A pretty girl milking her cow」が僕的には良かったですね。MGMミュージカル の王道のようなアレンジで、前半はせつないバラード、後半にスイング調のビッグバンドアレンジが入ります。鈴木常吉「思ひ出」とは対局のもので 聴き比べると楽しいです。

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話を戻しますと、このドラマの空気感を担っているのが、食堂《めしや》のセット。担当の美術さんの執念さえ感じるこだわりよう。室内の備品一つひとつに物語が添付されており、適当なものは一切ありません。厨房の油と煙草のヤニによる昔年の汚れ具合が絶妙で、わざとらしさがないのです 。

そして屋外の路地裏の風景、ここまで思いを込めて作り込んでいるセットは、滅多に見られるものではなく受注金額の範囲を大きく超えた(なんでわかる?)こだわりよう。やっぱり職人さんは乗せると金額以上の仕事(だから、なんでわかるんた?)をしてくれます。

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で、なんと言っても食堂《めしや》のマスターのキャスティング。今となっては小林薫以外絶対考えられません。やっぱ、この人はいいですねぇ。 歳を重ねる程に滲み出る哀愁。唐十郎のアングラ劇団《状況劇場》出身だけあって、柔和な表情の裏にどことなくアウトローの匂いがするその佇まいは、厨房に立っているだけで観るものに説得力を与えます。

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今の所、シーズン4まで続いているのですが、物語はマスターの食堂《めしや》(深夜0時より朝7時迄営業)に集う、ちょっと訳ありな人達の、ありきたりだけど、何処か儚く、切なく、なさけなく、だらしなく、少し間抜けな人生模様を描きます。

ほぼ1話完結で、常連客とその回限りのゲストの俳優さん達が出演します(これがけっこう豪華な顔ぶれ)。 マスターの食堂《めしや》の食事のメニューは豚汁定食だけ。あとは注文に応じて、そのとき出来るものであれば、マスターの「あいよっ!」の返事の後、カウンターに並べられます。

このいいかげんさ、適当感は、今のマニュアル至上主義の世の中の閉塞感を緩めてくれるのです。どこか昭和の時代の暖かみを感じさせてくれるのです。

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そしておやじ共の琴線に触れまくるのは、1話に一品出されるメイン料理! 《赤いタコさんウインナー》に象徴されるように、幼い頃、裕福でなかった僕らがごちそうとしていた、B級家庭料理?みたいな物のオンパレード。 懐かしくないはずはありません。

又料理の撮影の仕方も、本当に美味しそうに撮っているので、すぐにでも作って食べたくなるほど。

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話の内容は、その辺に幾らでも転がっている物語。人間の持つ、どうしようもないサガやずるさを淡々と描き、《めしや》のマスターの客に対する 態度や距離感をそのまま映した様な視座で捉え、深く詮索しないのだけれど、じんわりと肯定しつつ、見守るカメラアングル。

やはり、常識(そんなものあるのか?)を外れた者をとことん吊るし上げる今の時代の風潮に対する、アンチテーゼと感じるのです。

登場人物が都合良くすべてストーリーに絡んでおり、小さな小さな世界で廻っている感のする、沢山の具の入ったおにぎりの様なご都合主義な脚本なのですが、おそらく、あえてそうしているのでしょう。

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この手のドラマは、物語を淡々と描き、なるべく結論めいたものは表現しない方が、より深く心にしみる様に思います。

何処か初期のNHKドキュメント《72時間》を彷彿させるのです。

中でもけっこう泣かされた回は、第11話《再び赤いウインナー》。 常連のヤクザの竜ちゃん(松重豊)が野球部だった福岡の高校時代、当時マネージャーだったクミ(安田成美)とのプラトニックな初恋物語。初デートのときにチンピラに絡まれるトラブルに遭遇し野球部を辞めざるをえなくなり、クミとも分かれてしまった竜ちゃん。今では結婚して子供もいるクミだけど、乳がんか再発して余命あとわずか。そんなクミに最後に一度だけでも逢わせようとする、野球部の友人、野口(光石研)。

ほぼセリフ無しで、映像と、挿入歌のみの2〜3分程のラストシーンが秀逸。挿入歌の福原希己江「できること」の歌声が本当に素晴らしく、いやぁー 泣かされました。

人生は、結論や答えが出ないまま、色々な重い想いを背負って歩いていくもの。その過程では、人に言えないつらいこと恥ずかしいことを経験し、そして沢山の悲しい嘘を付いてしまうもの。その心情を皆が共感し、嘘を嘘とわかりつつあえて騙される人の優しさやあたたかさ。

そんな事を感じせてくれる、おやじドラマ《深夜食堂》でした。

おしまい