山田洋次監督《キネマの神様》 人々が始めて経験したコロナ禍の収束後に、多くの日本人が切望している映画とは何か? その答えをこの映画《キネマの神様》で観せてほしいと願うのは、山田洋次、志村けん、沢田研二のファンだけではないはず。
前回、久しぶりにジュリーの記事を上げたのですが、やっぱジュリーファンの熱量は半端ない! 映画《キネマの神様》に対する期待度たるや、凄まじものを感じました。 今年のコンサートツアーがすべて中止になったことでジュリーロスのフラストレーションが溜まりに溜まったところに、
「志村けんの代役、沢田研二に決定!」
の、嬉しすぎる一報が入ったことで、テンション上がりまくりのジュリーファンのお姉さま方(一番テンション上がって騒いでいたのは俺か?)。
しかし本当に楽しみでしかないことは事実なわけで、久しぶりに巨匠・山田洋次監督の映画に想いを巡らすこととなった僕なのです。
そこで、山田洋次監督がまだ映画《男はつらいよ》を撮る前の若き時代に放送された、渥美清主演・テレビドラマ《泣いてたまるか》を思い出します(この主題歌も素晴らしく、今聞いても涙が溢れそうになるのですが、泣いて、泣いて、泣いてたまるかよぉ~~)。
僕的には、渥美清といえば寅さんより《泣いてたまるか》の渥美清のほうが断然印象深く、その主題歌を、泣いてたまるかっ!と歌いながら、号泣していた少年時代を思い出すのです。
当時小学生の僕は、まだ白黒だったこのテレビドラマが大好きで毎週楽しみに見ていたものです。毎回設定が変わる一話完結のドラマで、渥美清がまだフーテンの寅さんになる前のこと。戦後の高度成長期真っただ中、その底辺を支えた労働者達の物語。このドラマで演じる渥美清の佇まいには、すでに寅さんのエッセンスが含まれていたように思われます。
そして最終回の《男はつらい》の脚本を担当したのが若き日の山田洋次だったのです。 この回を山田洋次自身がたいそう気に入り、テレビドラマ『男はつらいよ』が放送開始。このドラマの最終回、寅さんはハブに噛まれてあっさり死んでしまうのですが、その後、皆さんご存知の国民的娯楽映画『男はつらいよ』として、フーテンの寅さんは復活するのであります。
現代日本人の情緒の源、笑いの原点、昭和日本の人々の心の拠り所として、映画《男はつらいよ》は絶大な支持を得、ギネスにも載るほどのシリーズ化をはたします。
で、シリーズ30作《男はつらいよ・花も嵐も寅次郎》に、チンパンジー飼育係の三郎というチンケな役柄で出演したのが、我らがジュリーこと沢田研二だったのです!
で、で、で、で、で、その舞台となったのがぁーーーーつ、なにを隠そう、わたくしの父親の実家が老舗旅館を営んでいる湯治場、九州は大分《湯平温泉》だったのでございますぅーーーーーーっ!(ドンドン、パチパチ、ヒューヒュー!!)
どうだ参ったかっ!
そう、誰も参っていないのに、はしゃぎすぎまして誠に申し訳ございません。 気を取り直して話を続けさせていただきます。
幼少期、毎年のように遊びに行っていた湯平温泉。 隣にある全国に知れ渡った超メジャー温泉郷《由布院温泉》や《別府温泉》に比べたら、知る人ぞ知る寂れた湯治場だった湯平温泉に、国民的映画《男はつらいよ》の渥美清、そして天下の国民的アイドル、沢田研二がやってきたものだから、地元の田舎者たちは上を下への大騒ぎ!
渓流の花合野(かごの)川沿いに施された小さな石畳の坂道。その道沿いに風情ある温泉宿が立ち並ぶ湯平温泉は、以来、一躍全国区となったのでございます。
映画の冒頭、寅次郎が見る夢のシーン。ジュリーが歌って踊るミュージカル仕立ての三文芝居。ここでは僕の大好きな《SKD・松竹歌劇団》のお姉さま方が大活躍。SKD独特のダンスと演技で花を添えます。このB級感、場末感、やさぐれ感がもう最高なのです。間違ってもお上品な宝塚歌劇団には、このいかがわしいインチキ感は絶対に出せません。(わたくし、神に誓ってディスってなんかいません!)
この演出の中ではさすがのジュリーも三流スター臭が匂いたち、妹・さくらがジュリーに吐くセリフ
「お兄ちゃんに比べればイモよ!」
が、輝きを放ちます(これ、山田洋次監督、あの事件を弄っております。確信犯ですね)。
共演したマドンナ、若き日の田中裕子の美しさ、色っぽさ、妖しさは群をぬいていましたねぇ。あの思わせぶりな仕草をされたら、誰だって惚れるっちゅーーねん!
で、それ以外、映画の内容はさっぱり覚えていないのです。映画そのものはつまんなかった印象しかなかったので、今回、見ましたよ、《男はつらいよ・花も嵐も寅次郎》。
はい、《全裸監督》をどうしてもどうしても見たかったので、三か月ほど前に入会した《ネットフリックス》で見直しました。
ジュリーファンの皆様には申し訳ないのですが、やっぱりつまんなかった。 設定が設定なのでしょうがないのでしょうが、ジュリーの魅力がまったく出ていなかったし、当時はジュリーの演技力もまったく追いついていなかったように感じました。 一人際立っていたのが、マドンナ・田中裕子。
関係ないけど、この翌年1983年の映画《天城越え》で夜鷹を演じた田中裕子は、もう、ぞくぞくするほどの色香を放っており、《今まで観た中で最高に妖艶だった女優賞》を 僕は個人的にドーーンと進呈したのでした。
ここで、同じつまらない映画でも、つまらなすぎて最高に面白く、僕達を幸せにさせてくれるジュリーの映画をご紹介!
《ザ・タイガース 世界はボクらを待っている》 関連記事https://blog.akiyoshi-zoukei.com/katsu/archives/1028
山田洋次監督作品は寅さんシリーズも素晴らしいのですが、僕が大好きな映画は断トツで《学校》。徹頭徹尾、暗くて重い映画なのですが、この映画が大好きだったこと、今回改めて思い出しました。 シリーズ物で三作あるのですが、すべて良いんです。まだ見ていない方は是非ご覧ください。
更に近年の山田洋次監督作品の中では、《小さいおうち》が良かったですねぇ。特に女中役の黒木華ちゃんの演技は素晴らしく、大ファンとなりました。
話を戻します。
今回の映画《キネマの神様》は、山田洋次監督にとってもジュリーにとっても、約40年越しのリベンジの絶好の機会。その佇まいだけで説得力を持つ今のジュリーは、70年余生きてきた人生、そして50年間芸能界で修羅場をくぐってきたロックンローラーの凄みが溢れ出ており、ゴウちゃんという魅力的な人物の役をどうこなすのかが楽しみでしょうがありません。
山田洋次監督が志村けんのゴウちゃんと、沢田研二のゴウちゃんとを合わせ鏡
のように重ね合わせながら、どのように演出してゆくのかも見ものなのです。
第二波の恐怖もあるのですが、とりあえず収束に向かいつつあるコロナ騒動が収まった後、僕達日本人はどのような映画を求めているのでしょう。
いままで当たり前とされていた社会のシステム、当たり前とされていた生活様式。今回僕たちは否応なしにそのすべてを根底から考え直す機会を 天から与えられたのです。
逆に言えばこれはチャンスなのでしょう。人間、痛みを伴わない限り変容は望めません。
どのように変容するのかの答えは誰にもわからないのであって、志村けんが身をもって僕たちに与えた今回の衝撃は、必ずや映画《キネマの神様》という作品に反映されるであろうし、その反映された作品の中から観客一人一人が何を受け取るかで、どのように変容してゆくのかを 今度は僕たちが身をもって体験するのでしょう。
映画とは不思議な芸術で、そのような力、影響力を有していると僕は信じたいし、《キネマの神様》の原作の登場人物皆が信じているのではないでしょうか?
映画の魅力に憑りつかれた、たくさんの生身の人間の作り手が、全身全霊でドロドロになりながら作り上げた最高に人間臭い代物は、一度フイルムという媒体に置き換えられます。そして、真っ白なスクリーンに再び映し出された、ただの光と影の幻に、たくさんの生身の人間の観客が笑い、涙し、怒り、喜び、そして深く感動する総合芸術がキネマの神様が宿る映画というもの。
僕達の人生は、筋書きのない(本当はあるのかもしれません)物語。否応なしに一瞬一瞬を 全身全霊で体験します。そのデータは生涯それぞれの脳内に記録され続けるのでしょう。 それはあたかも映像をフイルムに焼き付け、音源を刻み込むかのように…。
脳内の記録を脚本化し、監督が演出を付け、映像化したものを編集し、音楽をつけ、フイルムに収めたものが映画作品。一体僕たちは生涯、何人分の人生を追体験するのでしょうか?
その体験はバーチャルであり幻であるのだけれど、その時大きく動いた観客の感情だけは確実に本物であるはずなのです。だからこそ、人は多くの映画によって人生を救われ、教えられ、生きる喜びを与えてもらえるのでしょう。
そしてその体験は、誰にも邪魔されない、暗闇で気が散るものが何も無い、映画館で映画を観ることで、より深く、より繊細に感じ得ることが出来ます。僕的には出来ればお一人で鑑賞することをお勧めしたい。(つまんない映画の時に眠りこけても怒られないし、思いっきし大笑いしたり号泣できるから、更には鑑賞後、一人でゆっくり、思う存分反芻することができるから)
で、ここで質問です
人生最後の映画、一本だけを選ぶとしたら、あなたはどの映画をセレクトしますか?
僕なんかは大した本数の映画を観ているわけではないのですが、それでも何を選んでよいのか迷いに迷い、到底選びきれないのです。皆さんは選び切れるのでしょうか?人生最後の一本の映画を。
ヒューマンドラマ、ロードムービー、クライムサスペンス、アクション、SF、ラヴロマンス、ミュージカル、コメディ、ホラー、B級ホラー、アニメ、西部劇、等々…。 ジャンルで選ぶか、監督か、役者か、脚本か?はたまた音楽か?
更に、一番好きな映画が必ずしも人生最後に観たい映画とは限らないわけで…。
今回の映画《キネマの神様》は、主人公・円山郷直ことゴウちゃん自身が、人生最後に観る映画の一本となるのでしょう。
いまだ三千世界で元気に歌い続けるロックンローラー沢田研二と、天国に旅立ってしまった芸人・志村けん。
有漏路(現世)と無漏路(来世)の狭間の川面のスクリーンに映し出されるであろう、天と地を結ぶ幻の映像。 それは、今を生きる奇跡を感じながら、過去から繋がる人々、未来へつながってゆく人々の狭間で、この現実をしっかり生き抜くことを僕たちに教えてくれるような映画であってほしい…。
え? とするともしかしたら人生最後の一本の映画は、自分で選ぶものではなく、キネマの神様が僕たちに与えてくれる最後のギフトなのか?
臨死体験から生還した人の多くに、いわゆる《パノラマ記憶》と呼ばれる体験談を語る人がいます。
日本では走馬灯のように人生の記憶がよみがえる現象をよく耳にするのですが、死にゆくものが一生分の映像をすべての細部まで見せられるというもの。
僕は何故か「そうなんだろうなぁ」という確信みたいなものを感じており、最初は辛くて恥ずかしくて、いたたまれなくて、拷問のように感じていたのですが、歳をとるにしたがって、生きている間に自分自身も含めてすべてを許すことが出来る境地に至ることが出来れば、一本の映画として客観的に観ることが出来るのではと、思うようになったのです。
これは簡単なようで非常に難しく、不可能なようで意外と簡単。 意外と簡単、意外と簡単と自己暗示をかけながら日々穏やかに暮らして行ければ、本当に意外と簡単なのかもしれません。
人生最後に観る一本の映画。それは、あなた自身の生涯を映し出す長編ドキュメント作品。そしてそれはキネマの神様からの最高のギフトなのかもしれません。
信じたいか、信じたくないか、それはあなたの胸に尋ねればわかること……。
なにはともあれ、映画《キネマの神様》、 楽しみに、首を長ーーーくして待つことといたしましょう。
からす様
興味深いご執筆ありがとうございます。
沢田研二さんの話題を中心に読ませて頂いております。
本日は映画絡みで少し感想を書きたくなりました。
「男はつらいよ」について。私は当時の沢田研二さんは非常な努力でスーパースターのオーラを消して演じ切ったと思っております。一般市民、動物園の飼育員。様子はいいが純朴な青年の役。当時の芸能界で一番心のきれいな若者は誰か…..選ばれたのが沢田研二。マドンナ役が田中裕子ならば飛んで火に入ったことでしょう、監督の指示に必死で応えた演技が、あれです。素に近い部分や平凡を演技する難しさは貴重な経験であったと察しますが、その苦労は以後実生活でも役立ったかもしれませんね。渥美清さんをして、彼なら年を取ってもいけると言わしめたそうですが、慧眼というのでしょうか。同感です、寅さん大好きだ!