《腐っても沢田研二》艶やかな歌唱力。今こそジュリーのすべてを聴け!

沢田研二

デビュー50周年、おめでとう御座います。比類無き《スーパースター・ジュリー》は、一時期、その輝きを失ったかの様に見えました。しかし今、 50年のキャリアのすべてを唄声に乗せて、新たな輝きを放っています。

小学生時、6畳と4.5畳二間の汚い我が家のBGMは、ザ・タイガース《シーサイド・バウンド》のエンドレスリピート。 好むと好まざるとに拘わらず、家の者は皆、強制的にこの曲を聴かされ、ジュリーの甘ったるい歌声が、僕の頭の中を駆け巡ります。

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母親と姉達がザ ・タイガースの熱烈なファンとなってしまい、その後、ジュリーの全盛期が終りを迎える迄、我が家には常時その歌声が鳴り響き、ほぼすべての曲が僕の頭に叩き込まれる事となります。

そんな訳で、ジュリーの歌声との出会いは、この不幸な出来事で僕の記憶の中では、あまり良い印象として残っていませんでした。

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その母親もずいぶん前に亡くなり、10年程前、供養の意味もあって、残された膨大な沢田研二のレコード、カセットテープの曲を聞き直して見ると、やっぱり全部知っとるんですわ!
アルバムの中の捨て曲に至る迄、すべて聴いた事があるのです。

いゃーっ、幼き頃の洗脳とは、いかに恐ろしいものであるかを再確認させられました。

しかし当時とは違って、ニュートラルな状態で聴くと名曲ぞろいで、その歌声もキャリアを積むごとに艶と色気が増しており、「やっぱ、売れるだけあるわぁ」と独り言。

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1967年、ザ・タイガースのボーカリストとしてデビュー。時代のグループサンズブームに乗って爆発的な人気を博します。その甘いビジュアルと歌声に、当時の若い女性の心を鷲掴み。おそらく日本歌謡史上、最高のアイドルだったでしょう。

ザ・タイガース時代の大好きな曲としては《花の首飾り》《銀河のロマンス》《都会》《スマイル・フォー・ミー》

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グループサンズブームが翳りが見え始めた1971年、4年間の短い活動の末、解散。 その後、名だたるグループサンズの残党(人気と才能を持った)を寄せ集めたハードロックグループ《PYG》結成。

メンバーは、タイガース(沢田研二・ 岸部一徳)、スパイダーズ(井上孝之・大野克夫)、テンプターズ(萩原健一・大口宏司)で、今では信じられない程の豪華メンバーだったのですが、これ だけの個性派が揃って上手くいく訳も無く、一年ももたずに自然消滅。

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《PYG》は大不評でしたが、デビュー曲《花・太陽・雨》は今聴くと素晴らしく、当時、正当な評価が受けられなかった事は残念でした。しかし、 その結果として、沢田研二のソロ活動がスタートします。

ここから《スーパースター・ジュリー》としての、大活躍が始まるのです。

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楽曲の素晴らしさもさることながら、自己プロデュースの才も素晴らしく、当時誰もやらなかった化粧やピアス、刺青(ニセモノ)、ヌードといった過激な演出で注目を集め、名実共に歌謡界のトップスターに躍り出ます。

僕は、あまり売れなかったデビュー曲の《君をのせて》が大好きでした。《時の過ぎ行くままに》《渚のラブレター》等、ジュリーの甘い声で歌われる、バラード曲はどれも素晴らしく、どちらかというとビジュアルよりも、その歌声に魅力を感じます。

アイドルだけども一応ロックスターなので、派手なロックの楽曲も、見る分には楽しいのだけども、歌声にパンチが無く、ロックシンガーとしてはどこか弱いのです。しかし、日本のロックンロールをメジャーに押し上げ、大きく世に広めた功績は誰もが認めるところでしょう。

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その後、ザ・ピーナッツ伊藤エミと結婚。バラエティーや役者業にも積極的に進出し、全盛期を迎えますが、1985年渡辺プロダクションからの独立。女優・田中裕子との不倫の末、伊藤エミと離婚し、田中裕子と再婚をしたあたりから、徐々にその人気に翳りが見え始めます。

その頃は、ミュージカルなどの舞台に興味が移り、テレビやラジオ等の露出も徐々に減りはじめ、遂にはその姿をメディアで観る事がほとんど無くなります。

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しかしジュリーは、死にません。その後は地道にコンサート活動を続け、僕がテレビ(BS/NHK?)で久々に観たのが2008年《人間60年・ジュリー祭り 》でした。

すっかり中年太りしてしまった風貌に、全盛期の面影は無くなったものの、そのパフォーマンスは衰えるどころか円熟味が増し、特に歌唱力には脱帽致しました。

全盛期の頃にはそこ迄感じなかった歌の表現力、説得力が数段増しており、年を重ねた男の艶と色気が溢れています。

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そのコンサートでは、あまり歌わなくなったタイガース時代からの昔のヒット曲もふんだんに歌ってくれ、僕的には全盛期のジュリーより還暦過ぎて以降のジュリーの方が数段魅力を感じるのです。

何度か再結成されたザ・タイガースのコンサートも素晴らしかったのですが、今は亡き加瀬邦彦率いるザ・ワイルドワンズとのユニットは、昔の湘南サウンドジュリーの唄声が妙にマッチし、秀逸です。

《渚でシャララ》MVは、何度も観てしまう程大好きでした。

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東日本大震災を機に、「被災者への祈り」「反原発」をテーマに数々の楽曲を発表。メディアの束縛から開放された今、その反骨精神は大きく解き放たれ、よリ自由な言動が見受けられます。

世論に迎合せず、周りの空気を読む事が苦手で、つい本音を吐いてしまうのですが、歌にすべてを賭けその進化に努力を惜しまない姿勢は、デビュー以来一貫してブレていません。

それを阻むものは、たとえファンであっても辛辣に意見し妥協を知りません。

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アイドル時代はロック魂を感じる事はあまり無かったのですが、沢田研二・芸能生活50年のキャリアを俯瞰して見た時、生粋のロックミュージシャン達よりも、遥かにロックンロールを生きている事がわかるのです。

そして現在に至る迄、コンスタントにコンサート活動を続けており、デビュー50週年の今年の盛り上がりは大変なもののようです。

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反原発の姿勢をここまであからさまに打ち出してしまった今、もうテレビ等の露出は望むべくも無いのでしょうが(言論や思想の自由はどこへ行った? )、今一度、その魅力を現代の若者に知らしめて欲しいものです。

今後は深酒は控えて、いつまでもいつまでも《スーパースター・ジュリー》を貫いてくれ!

ジュリィ〜〜〜〜〜〜ッ!

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おしまい