人間《岸部一徳》という生き方。

岸部一徳

自己を主張しないという自己主張。没個性という個性。オリジナリティーを剥ぎ取った末の圧倒的なオリジナリティー。絶対に真似の出来ない、人間《岸部一徳》という生き方。  

井上堯之が亡くなってほどなく、岸部一徳が、脳神経外科に緊急入院していたというニュースを知りドキッとしたのですが無事退院し、6月には仕事復帰するということでひと安心。ちょうど岸部一徳が作詞したPYG《花・太陽・雨》の歌詞を読み直していたことで、サリーの今までの仕事に改めて興味を覚え、GSの残党、井上堯之、萩原健一に続き、今回は岸部一徳の心の奥底に隠された、強烈なロック魂をあぶり出してみようと思うのです。

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1965年、京都で幼なじみの瞳みのるらと、インストバンド《サリーとプレイボーイズ》を結成。その後、沢田研二をボーカルに加え、《ファニーズ》として活動していたところ、内田裕也にスカウトされ上京。渡辺プロより、《ザ・タイガース》のリーダー及びベーシストとして1967年デビュー。その後解散までの四年間、《ザ・タイガース》は、日本中に一大ブームを巻き起こします。

解散後、《PYG》《井上堯之バンド》を経て、本格的に俳優業に進出。この時、芸名を岸部修三から岸部一徳(名付け親は樹木希林)に改名。それから徐々にその才能を開花させ、以後何年にも渡ってテレビドラマ、映画で引く手あまたの大活躍。

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タイガース時代の怒濤の四年間を経て、俳優業に転身した頃、何かのインタビューでタイガース時代を振り返って答えたサリーの言葉で、僕が一番印象に残っているのが、

「ほとんどがジュリーのファンで、僕のファンなんて100人のうち一人いるかいないか。でも僕は、そのいるかいないかわからない一人のファンの為に頑張ろうと必死で自分に言い聞かせていました。」

という内容のもの。

自我意識も強く、感受性も一番敏感な青春時代に、《スーパースター・沢田研二》を目の当たりにしながら、徹底して現実を見なければならない厳しい環境を体験したことが、その後の岸部一徳の人生の哲学感に、多大な影響を与えたことは想像に難くないでしょう。

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それほど饒舌ではなく、インタビューなどでは深く読み取れないサリーの本質は、PYG《花・太陽・雨》などの作詞で、その哲学感を垣間見せます。

ものの本質を外側だけではなく内側に焦点をあて《人間》を深く見つめる視座は、音楽時代の経験で養われたものではないでしょうか?

ベーシストという、バンドでは一番目立たない地味なポジション、尚かつリーダーとしての役割の中にあって、知らず知らずのうちに俯瞰した目を身につけていったのでしょう。(ドクター Xでの雀卓を囲んでの、ベーシストイジリの話は最高でした。見ていないけど。)

また、タイガース時代「一番怖いものは何か?」の質問に、20歳そこそこの若造が「人の心」と答えた感性はただ者ではありません。

本来の控えめで温厚な性格と、音楽時代の経験が、その後の俳優《岸部一徳》を形成。前に前に出てゆく、いわゆる《前出し》の芝居をする多くの役者さんの中にあって、上っ面の身体表現や言語表現を控え、心の内的な芝居を丁寧に重ねてゆくそのスタイルは、物語そのものに心地よいコントラストを与えます。マハリ〜クマハ〜リタ、ヤンバラヤン!まさに魔法使いサリーの面目躍如というところ(ちがう、ちがう!)。

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そこで俳優としての礎を築いた作品(本人も言っております) 映画《死の棘》

島尾敏雄の私小説を小栗康平(監督・脚本)で映画化。松坂慶子との夫婦役で主演。数々の賞を受賞し、その実力を内外に知らしめました。

最近、改めて見直して観たのですが、小栗康平監督の独特のリズムと美意識で構成された映像は、今の時代のリズム感には多少厳しいものがあるものの、扱われている題材(人の関係性とは?その狂気とは?)は、岸部一徳の哲学感にぴったりシンクロしており、最小限のセリフと感情表現の中で滲み出る、心のひだみたいなものが、スクリーン全体に渦巻いているのです。

非常に難解で、重く暗い作品で、覚悟して見なければならない映画なのです。サリーも語っているように、演じるのが難しく、非常に苦労した作品だったそうで、その苦悩がスクリーンを通して伝わってきます。しかしその苦悩が後の役者としての在り方を決定付けたのでしょう。(それにしても、松坂慶子演じるミホの狂気の顔の、なんと色っぽかったことか…。)

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この映画を見て考えたのですが、人間それぞれの思考パターンは、独自のレイヤーを形成し、そのレイヤーのフィールドで展開されるのではないかと思うのです。 同じ空気を吸い、同じ言葉で話しているのですが、それぞれが独自の違うレイヤーで思考しています。そのレイヤーが重なった部分で人はコミニュケートしているのですが、レイヤーの組み合わせによって幾通りもの色と光を紡ぎます。

《正気》とはそれぞれのレイヤーの範疇で思考している状態で、受け止めかたに今流行の乖離があったとしても、色と光の歪みは生じません。しかしながらどちらかのレイヤーに不具合が生じ、隙間や穴が空いてしまうと 、そこから常に存在しているであろう《狂気》という透明のレイヤーが現れ、知らず知らずのうちに、思考の時間と空間に歪みを与えるのです。

レイヤーの不具合とは、耐えきれない精神的、肉体的なストレスを受けたとき、記憶として残せずそこだけ穴があいたり、大きな権力や莫大な金銭を持ってしまったとき、自覚なしに亀裂が生じ、隙間ができます。その穴や隙間は、小さければ何とか誤摩化すことが出来るのですが、誤摩化しきれない場合《狂気》というレイヤーが滲んでくるのです。

そして、この《狂気》というレイヤーは余すことなく万人の心の中に内在しているのです。

今、ワイドショーで、事件を起こした人達を吊るし上げている芸能人のコメンテーターやネットで書き込みをしている一般の人達も、環境や境遇によって、自身も十分犯罪者になりうる可能性があることを自覚しておいた方がよいのかもしれません。

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話がズレましたが、その一般人(常識人)の心の奥底に誰もが持っている《狂気》というレイヤーを感情と感情の狭間で見せてくれる類稀な役者が岸部一徳なのです。

そこで《微表情》。

《微表情》抑制された「真の感情」がフラッシュのように瞬時に表れて消える0.25秒以下の人間の表情。微表情で読み取れる感情は、大きく分けて恐怖、怒り、軽蔑、嫌悪、悲しみ、驚き、喜びの7種類とされている。

常々よい役者さんは瞬時に表れては消える複雑な感情をそのまま表現出来る役者さんだと思っていたところ、これにピッタリな概念が《微表情》だったのです。

事象に対して頭よリも先に心が動き、それがそのまま表情として現れる訳で、けっして計算して出来るものではないのです。 自分では無自覚で立ち現れる《微表情》は、言語化される前の幾層もの複雑な感情。それは言葉(セリフ)では表現出来ない色気や狂気を現します。岸部一徳も、映画《死の棘》のトシオ役を演じることによって、そのような意味合いのことを学んだと語っておりました。

一番怖いものは《人の心》と、若くして看破した岸部一徳だからこそ、その《一番怖いも》を表現出来る役者となり得たのでしょう。また、《死の棘》を地で行くような奥さんとの関係性(色々な噂があり、真偽の程は定かではない)なども含めて、《狂気》を常に内包する、常識の皮をかぶった真にアナーキーな役者が岸部一徳なのです。

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そして、2015年封切の映画《正しく生きる》での岸部一徳

京都造形芸術大学映画学科の講師、学生とプロの共同で作られた映画で、岸部一徳、柄本明ら数人のプロの役者以外は全員学生。この映画の製作後のインタビューで岸部一徳が語った言葉で、僕は大変に驚いたのです。

ど素人の学生に混じって、プロ中のプロの役者である岸部一徳は、

「今まで僕が身につけた方法論やテクニックで対峙すると全く通用しない。何処か見透かされているような感覚になるのです。まっさらで、剝き出しの人間性で演技する学生には、こちらも今まで役者生活で身に付けたものを全て脱ぎ捨ててかからないと通用しないと思った」

というようなニュアンスのことを言っ ていたのです。うる覚えなので、語彙や言い回しは違っているかもしれませんが本質的にはこのような意味のことを言っていました。

凄くないですか?

華々しい実績のあるベテラン役者が、ど素人の学生の役者のステージまで降りて来て、その観点で物を考え行動するイマジネーションを あの年齢で維持しているのです。常に内省しながらニュートラルな観点から世界を見、感じていなければ、決して出てくる言葉ではありません。

喜劇王《チャップリン》の言葉で「永遠に素人でいなさい」的なものがあったと記憶しているのですが、同じような意味合いなのでしょう。

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芸能の仕事に携わっている人間にあって、ここまで自身を常にニュートラルに置いて生き抜くことは奇跡的なこと。この姿勢こそがもっとも前衛的で革命的な態度だと思うのです。まさに無個性が故の強烈な個性。本物のオリジナリティーは、無作為から立ち現れてくるもの。

人間《岸部一徳》そのものなのです。

GS残党のサリ ー。 この人も又、違った形で、いまだにロックンロールを生き抜いているのでしょう。

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最後に僕の大好きなサリー作詞の楽曲を一つ。

伝説のテレビドラマ《傷だらけの天使》の最終回に流された、デイブ平尾が歌った名曲です。

《一人》

作詞:岸部修三 作曲:井上堯之

夢のような過去は消えてゆく

一人だけでただ歩く もう誰もいない

tu tu tu tu tu 誰も

tu tu tu tu tu tu いない

tu tu tu tu tu 一人だけで ただ歩く

風が運ぶ 春はよけてゆく

一人だけでまだ歌う この俺を笑う

tu tu tu tu tu 誰も

tu tu tu tu tu tu いない

tu tu tu tu tu 一人だけで ただ歌う

おしまい