やっぱ、ザ・ピーナッツが大好きだぁーーっ! 改めて振り返る、その歌声と日本歌謡界に与えた多大なる功績。

ザ・ピーナッツ2

1959年、日本ポップス界の黎明期、奇跡のように現れた双子デュオ《ザ・ピーナッツ》 その飛び抜けた歌唱力とダンスパフォーマンス、そしてコメディエンヌとしての才能は、当時の日本が誇る、世界を股にかけた超一流のエンターティナーだったのです。

随分前に一度、ザ・ピーナッツの記事を書いているのですが、前回は紹介程度で終わってしまい、どうしてもその素晴らしさを絶賛したく、改めまして《ザ・ピーナッツ》の芸能活動16年間を熱く語らせていただきます。

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♪ザ、ヒッパレード、ザ、ヒッパレード、皆で選ぶ〜♪

超絶にいかがわしい、スマイリー小原率いるスカイライナーズの軽快なサウンドをバックに、このテーマソングが歌われます。大きなスタジオいっぱいに並んだ出演者を映し出すカメラアングルは流れるように移動していき、まるでMGMミュージカルを彷彿させるような疾走感と高揚感を醸し出します。 今から始まる番組に対する期待感はハンパなく、テレビの前の僕達は、胸がワクワクドキドキときめいたのです。

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1959年、ザ・ピーナッツのデビューと時同じくして放送が開始されたテレビ番組《ザ・ヒットパレード》

僕がまだ2歳の頃で、当然覚えている訳がないのですが、おそらく3、4歳の頃の始めてのテレビ体験が《ザ・ヒットパレード》で、その独特のオープニングを微かに記憶しているのです。

貧乏な我が家には、まだテレビなんて物はなく、時々お隣の、お金持ちの、船乗りの旦那さんがいつも留守の、奇麗なお嫁さんがいつも一人でいる、新婚さんのお宅にお邪魔して、四人きょうだい一列に並んで正座してテレビを見せてもらっていたのですが、そのテレビから流れるこのビッグバンドサウンドは、今考えると僕にとって始めてのジャズ体験でもあった訳です。

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まだまだ弱小プロダクションであった渡辺プロは、この番組をキッカケに日本最大の芸能プロダクションとして台頭してゆきます。その渡辺プロの秘蔵っ子中の秘蔵っ子が、デビューしたてのザ・ピーナッツだったのです。

当時は和製ポップスはなく、アメリカンポップスの日本語カバーの曲がほとんどだったのですが、中でもピーナッツの歌声のパンチ力は凄まじく、幼稚園児の僕でさえしっかり記憶しているほど。

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そのザ・ピーナッツのデビュー曲が《可愛い花》

原曲はジャズのソプラノサックス奏者、シドニー・ベシェのオリジナル曲で、訳詞は音羽たかし、編曲は宮川泰の手によるもの。

いやぁーーっ、今聴いても良い曲ですねぇ、そしてジャズですねぇ。この時点で、既にピーナッツは完成されているのがわかります。渡辺プロが二人をあずかってデビューまでの間のレッスンで、相当に鍛え込んだのでしょう。

出だしのユニゾンは、ソロで歌っているのでは?と、聴き間違えるほどに息がぴったり。サビのハモりのパートにいたっては不思議な重厚感があるのです。双子なのだけれど声質が微妙に異なっており、姉エミの低音の声質がこの重厚感を担っているのでしょうか? まさにピーナッツにしか出せないハーモニー。

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次は《情熱の花》

これもカバー曲で、やはり訳詞は音羽たかし、編曲は宮川泰の手によるもの。 イントロからいきなり「♪ラララララ〜」のスキャットから始まるインパクト抜群の楽曲で、ピーナッツの特徴を最大限に生かしたもの。やはり、すべて選曲が良いんですよ。宮川泰の選曲だったのでしょうか?

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そしていよいよ和製ポップスの初ヒット曲《ふりむかないで》の登場となるのです。

作詞は岩谷時子、作曲は宮川泰。その後数々のヒット曲を世に送り出すこととなる、この黄金コンビの初ヒット曲でもあったのです。 ニール・セダカポール・アンカなどの50年〜60年代のアメリカンポップスの曲調で、明るく軽快なリズムのこの歌は、その後、ピーナッツが時代のスターにのし上がるキッカケとなった曲でした。

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ここで、押しも押されぬ大スターの地位を不動のものとした次なるヒット曲が、そう、 名曲《恋のバカンス》なのです!

僕が生まれて始めてレコードのシングル盤を目にしたのがこのレコード。幼稚園児の頃、一番上の姉がポータブルプレーヤと共にこのレコードを友達から借りて来て、《恋のバカンス》をかけてくれたのです。

テレビの音とはまったく違う迫力のある音!イントロの「♪ズンチャチャズンチャ、ズンチャチャズンチャ」の4ビートのリズムからのブラスセクション、「♪チャ!チャ!チャ!」の衝撃は、子供心にただならぬものを感じ、「♪ため息のでるような、あなたの口づけに」の歌詞は、まったく意味はわからなかったのだけれど本能的に興奮を覚え、日常の汚い市営住宅の生活の中からは絶対に立ち現れないであろう南国の潮風が僕の身体の中を吹き抜けたのです。

岩谷時子スゴイ! 宮川泰エライ!

特に宮川泰のジャズアレンジは、今聴いても最高にオシャレで、当時の歌謡界では唯一無二の存在だったのでしょう。余談ですが、この曲、当時ロシアでも大ヒットしており、知らない人がいないほどの超有名曲なんだそうです。

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映画《レイダース/失われたアーク》の僕に与えたインパクトとその衝撃は凄まじく、二作目の《インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説》を見る前は、さすがに前作を上回るわけがないと油断していた所、前作を大きく上回るぶっ飛びようで、度肝を抜かれたのでした。

この経験はデジャビューでありまして、その昔、ザ・ピーナッツで一度体験していたのです。

《恋のバカンス》を上回る楽曲はさすがの黄金コンビ(岩谷時子・宮川泰)といえども出来るはずがないと皆が思っていた所、バラードの名曲《ウナ・セラ・ディ東京》を挟んで発表されたのが、ピーナッツ(恋の〜)シリーズ第一位(今決めました)《恋のフーガ》だったのです!

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これは凄い! イントロと間奏のインパクトたるや! そして「♪追いかけて、追いかけて、すがりつきたいの、あの人が消えてゆく雨の曲がり角」なのですよ皆さん! 中島みゆきよりも何年も前に、道に倒れてすがりついていたんです、ピーナッツは! それも雨の街角で! それが故の追っかけコーラス! 素晴らしい!

そして極めつけは、YouTubeに上がっている噴水の前でこの曲を踊り歌うピーナッツのバージョン! 歌のインパクトもさることながらその振り付け! 失恋の歌なのに間奏の振り付けが楽しく、軽快で、コミカルなのです。

でも何故かこの歌とピッタリで、一度見たらもういけません。その中毒性はハンパなく、エンドレスリピート地獄にハマってしまうのです。

随分前に夜中にこれを見つけ、「おもしれーーっ!すげぇーーっ!」と、パヤパヤ一人で騒ぎながら何回も見まくったのですが、この頃の歌番組はMGMミュージカルの影響からか、スタジオ、野外ロケに関わらず、奥行きと下手上手を大きく広く使っているのです。

今のテレビ番組よりもスケールが大きく感じるのは僕だけでしょうか?

最後は、踊りながら、「♪ズンズビズバ、ズンズズビズーバ、パヤ!パヤパヤ!」と意味不明のスキャットを口ずさみながら、ピーナッツのお二人がこちらにグングンにせまって来るのです(なぜだ?)。

やはりピーナッツは最高のエンターティナー! まさにグレイテスト・ショーウーマンだった のですね。

必見・恋のフーガ

https://youtu.be/e9qvN5BNDIA

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そしてエンターティナーの要素の一つ、コメディエンヌとしての才能を開花させたのが伝説のバラエティー番組が、《シャボン玉ホリデー》 でした。

当初はピーナッツの冠番組のような感じで始まった《シャボン玉ホリデー》は、1961年から1972年までの11年間に渡って放送された音楽バラエティーで、ピーナッツクレイジーキャッツを中心としたものでした。

文字どおりバラエティーに富んだ質の高い音楽とコントを組み合わせたこの番組は、 その後のバラエティー番組の基礎となったのです。コントから歌や踊りに繋ぐ構成が素晴らしく、当時の歌い手さんは歌も踊りもコントも、達者な人が多かったのですね。コントの中では、クレージーキャッツの谷啓さんが大好きでした。この人のトロンボーンの腕前は本物で、ジャズの専門誌《スイングジャーナル》の人気投票にも名を連ねるほど。

ピーナッツハナ肇とのエンディングのシーンは、いまだに僕の目に焼き付いており、スターダストを歌うピーナッツの後ろで、毎回小ボケをするハナ肇に、肘鉄を喰らわす場面では、僕もハナ肇になりたいと密かに思っていたのでした。

この番組で姉(エミ)が知り合ったのが、当時タイガースで絶大な人気を誇っていたジュリーこと沢田研二。その後お二人は結婚し離婚してしまうのですが、その出逢いは幸だったのか不幸だったのか?

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ピーナッツはバラードや演歌のような曲も見事に歌いこなし、先ほどご紹介した《ウナ・セラ・ディ東京》は痺れるほどに素晴らしく、ピーナッツのお二人の根底に流れる、寂しさや憂いや切なさが滲み出ているのです。

そして《大阪の女》。これ演歌です、はい。この曲を歌うピーナッツの情感なんか感じると、私生活のピーナッツは、 けっして派手なタイプではなく、いたって地味な性格だったのでは?と思われるのです。

歌と踊りは大好きだったのは間違いないのでしょうが、派手な 芸能界を生き抜くことに大きなストレスを感じていたのでしょう。沢田研二との結婚を期に引退してしまった、ザ・ピーナッツは、離婚後もカムバックどころか一度も公の場に姿を現すことはありませんでした。

お二人とも既にお亡くなりになってしまったのですが、僕的には、枯れたザ・ピーナッツも聴 いてみたかった。多くの女性ジャズボーカリストがそうであるように、歳を積み重ねた歌声も、また違った味が醸し出され、きっと僕たちを楽しませてくれたことでしょう。

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前回も書いたのですが、引退を決めた最後の紅白歌合戦で披露した、「ブギ・ウギ・ビューグル・ボーイ」はこれぞザ・ピーナッツ!これぞザッツ・エンターテイメント!と言えるほどの、最高のクオリティーのパフォーマンスでした。

本家《アンドリュース・シスターズ》をも凌駕するほどの、 ピーナッツ独自の完成された世界観を魅せてくれたのです。

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本物のエンターティナーは、それぞれの分野の芸を熟練し、その総体を一つのパフォーマンスとしてシンクロさせ、独自の世界観を作り上げ、観客に披露するもの。 日本の歌謡界において、最高のクオリティーでこれを実現させたのは、後にも先にもザ・ピーナッツをおいて他にありません。

エンターティナーは、歌うのです!踊るのです!演じるのです!そして皆を笑顔にさせるのです!

 

改めまして、声高らかに叫びます。

やっぱ、ザ・ピーナッツが大好きだぁーーーーーーっ!

おしまい