《平昌オリンピック》スピードスケート 女子500m 極限を越えた魂の競い合いに、日韓関係における一条の光を見た。

小平奈緒

開幕まで、関心の薄かった《平昌オリンピック》 しかし、いざ開幕し日本選手の活躍を目の当たりにすると、俄然盛り上がりを見せる日本国民。その、アホな国民の一人である僕の心に刺さったシーンが、《スピードスケート女子500m》小平奈緒とイ・サンファの、このシーンでした。

ネトウヨの韓国に対する過激な書き込みなどで、ネット上では嫌韓の嵐が吹き荒れ、慰安婦問題竹島領土問題に関するニュースが頻繁にメディアを騒がし、国民の大半が韓国に対して良い感情を持てなくなっている中、多くの反対意見を押し切って安倍総理大臣が開会式に出席、“平壌オリンピック”と揶揄されながらも、最終的には北朝鮮参加にこぎつけ、なんとか《平昌オリンピック》は開幕しました。

からす

オリンピックに限らず、サッカーワールドカップやボクシングの世界戦等に見られる、その一瞬に全人生をかけて戦う緊張感は、見るものを理屈抜きに痺れさせ震えさせます。何時もにわかファン丸出しの僕なのですが、今回のオリンピックも、平野歩夢選手のスノボーに対するクールなのだけれどひたむきで真剣な態度や、高梨沙羅選手のストイックな姿勢に感動しているのです。

中でもフィギアスケートの羽生結弦選手の優勝は日本中を感動させました。

11月初旬に負った大けが完治せぬまま平昌入り。痛み止めのクスリを服用しながらの練習と本番。おそらく、痛み止めとテーピングで固めた右足首がどこまで持つかが、勝負の分かれ目だったのでしょう。

その逆風を真っ正面からすべて受け止めた上で、今出来る事のすべてを前向きにやり遂げた羽生結弦選手に、勝負の女神は微笑んだのです。また、超天然の愛すべきキャラクター宇野昌磨選手の銀メダルも素晴らしいものでした。

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奇しくも同じ2月17日、将棋界では中学生棋士の藤井聡太五段羽生竜王に勝利しました。今の日本は、どの分野でも飛び抜けた能力を有した若者が出現しています。おそらく化学や物理学、芸術の分野でも同じような事が起こっているはず。

もしかしたら、生まれつき直接《天》と繋がっている人達が出やすい土壌が今の日本にはあり、だからこそ、その真逆の《邪》にダイレクトに繋がってしまっている若者も同じように出現しているのでしょうか?

どちらも、僕らの理性や感性では到底理解し得ない出来事であり、今後、思考(時間)を必要としない(まったくではない)発想は、創造にも破壊にも繋がる出来事として、数々起こっていくのでしょう。

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話をオリンピックに戻します。

今回のオリンピックの女子スピードスケートの実力は史上最高と言われており、これまでの所、評判通りの大活躍で、僕たちを楽しませてくれています。

中でも、小平奈緒選手《スピードスケート女子500m》のスタート前の表情や佇まいは、異次元の光を放っており、スタートして終盤、アウトコーナーから直線にさしかかった所から、ゴールに至るまでのスピードの乗りかたは、テレビ越しに見ても凄まじいものがありました。

結果的にはオリンピックレコードをたたき出し、その時点でトップに立ちます。その直後に登場したのは最大のライバル、オリンピック三連覇をかけ、地元韓国民の期待を一身に背負った、イ・サンファ選手。 近年は怪我等で、小平奈緒選手の後塵を踏むことに甘んじているのですが、そこは絶対王者、オリンピックにピークを合わせてきます。地元韓国メディアや国民の凄まじいプラッシャーは、おそらく小平奈緒選手以上だったはず。

スタートしてからの前半のタイムは小平奈緒選手をも上回っており、惜しくも後半の伸びに欠け、結果は銀メダル。怪我との戦いの中で、おそらくギリギリの勝負だったのでしょう。

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タイムレースは、あくまで己との勝負で、それぞれの選手が今出来る最善のパフォーマンスをした上で勝負を競うもの。今回のお二人の勝負は、非常に見応えが有り、また清々しいものでした。

勝負事は終わった後の立ち振る舞いで、その選手の品位や人格があからさまに出てしまうもの。そして選手は死力を尽くした者にしかわからない感情を共有するもの。勝者には敗者の気持ちが自分のことのように伝わってくるはず。

そして、

勝負の決したレース後のウイニングランのシーンに、思いがけず、このオリンピックで一番の素晴らしく美しいシーン(まだ途中なのですが断言します)が展開されたのです。

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太極旗を手にし、泣きながら滑っていたイ・サンファの元に、静かに近づいて来たのは、日章旗を背負った小平奈緒イ・サンファを抱きかかえ、菩薩のように抱きしめる小平奈緒。長い間言葉をかけハグをし、ひとときの間、一緒にウイニングランをします。

この時のお二人の立ち振る舞いに、品位や人格の素晴らしさが垣間見え、仕込まれた平和的な演出なんか一瞬で消えてなくなるような虹色の風が吹きます。

圧倒的な魂のふれあいのリアリティーから、共栄共存のリアリティーが立ち現れ、お互いがお互いの存在と歴史を認める、オリンピックの精神、国連の精神である「we are all one」の風が吹いたのを、僕は確実に感じたのです。

にわかファンの僕は、お二人の長い友人関係をまったく知らずにただただ感動し、日本と韓国の今後の関係性にまでイメージを膨らませ、きたないジジイが一人で涙していたのでした。

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長い間の友人関係の歴史が下地にあったにせよ、開催国・韓国であのシーンを全世界に向けて発信出来たことは、偉い政治家や財界人たちが演じる、 多くの思惑や企みを胸に握手する形だけの外交パフォーマンスなどに比べ、足元にも及ばないほどのインパクトを残したはず。

またお互いの国民の期待の象徴である、太極旗日章旗を身につけた上でのものであったことは、更に美しく意味深いものだったのです。

からす

個人の心のふれあいと、国と国との外交交渉とはまったく異なるもので、このシーンを持って問題の解決にはならないことは百も承知なのですが、今、 両国間で流れている、反日、嫌韓の風がベースにあっての外交交渉はでは、力と力のぶつかり合い(ほとんどの外交はそうなのでしょうが)で終始し、 千年経っても平行線なのは明確です。

その前にまず、友好の風、笑顔の風、おもいやりの風。これらの風を作ることこそが始まりではないのでしょうか? そして、今回のオリンピックのこのシーンに、日韓関係における一条の光を見たのは僕だけでしょうか?

からす

国交に於いて、日韓両国の言い分は腐るほどあるのでしょうが、一旦それは棚において、まず、

「東方神起、二人になってもカッコいいよねェ」

「いやいや、エグザイルのダンス、凄いやん!」

「わたし、2PM大好きなんですけどっ!」

「嵐はみんなちんちくりんやのに、どうしてあんなに魅力的なん?」

「わし桂銀淑のうた、もう一回聴いてみたいわ」

「石川さゆり、韓国に来てくれんやろか?」

「そしたらチョー・ヨンピル、もう一度来日させろ!」

「わかった!そのかわり坂本冬美連れて来い。」

このような会話を両国間で頻繁に出来るような風を作り、お互いの芸能を競うのではなく、良い物を正直に良いと言い、その交流をもっともっと深めることが出来ないものでしょうか?

「机上の空論」「緊迫した国際情勢にあって寝言をいうな!」「そんなものが可能であったならばこんなことにはなっていない」等、ごもっともな意見はあるのでしょうが、今吹いているこの厭な風のままでは、100%良くない方向へ進んで行きます、いや、既に行っているのです。

人間は感情の動物です。まず、「楽しい、嬉しい、面白い」の感情の風を 今、ここから、それぞれが吹かせていきましょう!

おしまい