《anone》坂元裕二脚本の日テレドラマにハズレ無し。 むきだしの田中裕子、圧倒的な存在感!

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日テレ坂元祐二作品の人間を描く会話劇は、厳しい現実を何とか誤摩化しながら生きている僕たちをいつの間にか、逃げ場のないフィールドに容赦なく叩き込みます。

身も蓋もないリアリティーを《フィクション》の名を借りて、剝き出しにさらけ出す坂元祐二脚本ドラマの存在意義とは…。

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強引なストーリー展開と人物設定。それらすべてを《ファンタジー》として受け取り、登場する人物同士の会話劇からほとばしる、人間であること、生きることへの葛藤(希望・絶望・達成・挫折・劣等・優越)。これらすべてを含んだ上での《自己欺瞞》を視聴者が自覚し、認識する勇気を必要とするドラマが、《Mother》《Woman》から《anone》と続く、日テレ・坂元祐二脚本作品なのです。

大ファンの僕からすれば、この薄暗いドラマの凄さは、芯をくった演劇的な会話劇と、そこから醸し出される、そこはかとないユーモア(愛、許し)にあるのです。 今回の《anone》は、主演に広瀬すずを起用し、「若者層にも観てもらいたい」の思惑を感じます。

流れ的には前作、TBS《カルテット》のクライムサスペンスの要素が色濃いドラマで、今の所(三話まで)設定や展開が、ツッコミどころ満載の強引さはあるのですが、そこはファンタジーと捉え、虚実が複雑に入り交じり、何が《虚》で何が《実》なのかが解らなくなった時に現れるイメージ(不思議な現実感)を楽しめるか否かで、賛否の分かれるところなのでしょう。

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主人公・ハリカの幼少期の記憶と現実の《虚実》林田亜乃音の関わるお札の、ニセモノと本物の《虚実》。その林田亜乃音が育てた娘の、育ての親と産みの親の《虚実》。すべての登場人物のこうありたいとする《虚》と、剝き出しの《実》の対比とせめぎ合いを表現することによって、あぶり出される人間の深層心理がこのドラマのテーマのひとつ。

坂元祐二脚本作品のリアリティーを醸し出す演出は、日常の何でもない衣・食・住のディティールをその会話劇に平行して添えて行くこと。人間の共通認識、日常の皮膚感覚である五感体験は、理屈を越えた理解を生みます。

そこで田中裕子。

63歳になる女優・田中裕子
若いときから、和的で能面の様な無表情な顔から色気を伴って醸し出される、物言わぬ抑圧された情念は、非常に魅力的で、初期の代表作《天城越え》当時から、大好きな女優さんだったのです。

その後素晴らしい形で年を重ね、今の演技は、生活環境や歩んで来た歴史を佇まいだけで圧倒的リアリティーを伴って表現出来る、類稀な女優さんとして活躍しています。

夫が沢田研二(ジュリー)ということは何の関係もないのでしょうが、田中裕子を見て何時も思い浮かべるのは、ジュリーの楽曲《銀の骨》歌手・沢田研二と、女優・田中裕子の虚像をはぎ取った後に残る剝き出しの骨。その誤摩化しの効かない存在同士が、愛を感じたり感じなかったりする中で、営んで行く夫婦(男女)の関係性を歌います。

同じように、女優・田中裕子は、虚飾された美しさを見せるのではなく、それらをすべて剥ぎ取った後に残る、年齢を超えた女性としての美しさを魅せてくれます。

《anone》で、画面に田中裕子のスッピンに近いシワの多い顔のアップ映像が映し出された時、思わず「美しい!」とつぶやいてしまったのは、僕だけでしょうか?

人間の喜怒哀楽をその表情に乗せ、触りたくなる様な人生の美しさ(醜さが内包された)を表現する田中裕子演じる林田亜乃音。その名前が題名になっていることから、今後の展開のキーパーソンとなるのでしょう。

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主演の広瀬すずの演技を今回始めてちゃんと見たのですが、やはり上手いし、役に入った時の佇まいは魅力的です。田中裕子と絡む場面が多い今回の役柄で、違和感なく演技出来る力量は本物なのでしょう。

また、その他の脇を固める役者さんの豪華なこと。やはり坂元祐二脚本作品は、役者としては、一度はやってみたいはず。

小林聡美阿部サダヲの絶妙なコンビネーション。そして、どんな役をやっても独特の存在感を魅せる瑛太。久しぶりに見た火野正平は、いい感じにくたびれていて、長く役者をやってい ないと絶対に出せない味を醸しています。

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まだ三話迄しか放映されていないのですが、坂元祐二脚本作品は、いつものように心に引っかかるセリフが随所に出てきます。

まず、身も蓋もないセリフから。

「努力は裏切るけど、諦めは裏切らない。」

「お金があれば、苦しみを軽く出来る。」

「愛されていても、愛してくれなかった人の方が心に残るもんね。」

「私は、自分が思うよりハズレでした。」

「この世に生まれて、フリスクちょうど1個出すことさえ出来ません。」

「自分が、いてもいなくてもどっちでもいい人間だって、四十五になっても思うんだ。 二十歳の倍思うよ!」

「人は、手に入ったものじゃなくて手に入らなかったもので出来ている。」

自殺しようとする西海(川瀬陽太)と思いとどまるように返答する舵(阿部サダヲ)の掛け合いは、今を必死で生きている人達が、何らかの形で共感してしまうのです。

西海「仕事もなくなったし」
舵 「俺もない」

西海「家族もいないし」
舵 「俺もいない」

西海「夢もないし」
舵 「夢どころか思い出もない」

西海「テレビ見るぐらいしか」
舵 「俺は見たいテレビもない」

西海「熱帯魚ぐらいしか話し相手いないんだよ」
舵 「 帰ってエサやれよ」

西海「なんにもいいことないんだよ」
舵 「それはいつか…」

西海「いつかいつか。もう四十五だよ。もう死んでもいい」

舵 「違う!違う違う。違いますよ……死んでもいいって言うのは、生まれて来て良かったって思えたってことだよ。生まれて来て良かったって 思ったことないうちは、まだ死んでもいいって時じゃない。生きよう? 生きようよ。生きるってことは素晴らしいよ。俺には分かるんだ。 俺末期ガンなんだ」

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親子でもなんでもないハリカ(広瀬すず)を救うため、なけなしの貯金一千万円を誘拐犯に渡し、亜乃音(田中裕子)が救ったハリカを抱きしめた時の会話。

ハリカ「娘じゃないのに、なんで?なんでお金渡しちゃったの? ごめんなさい」

亜乃音「何を謝るの。何でだろうね。…何でだろうね」

このときの亜乃音(田中裕子)「何でだろうね。」と誰に言うでもなく囁いた亜乃音の言葉の波動と表情に、人間の救いを感じたのです。

夢を叶えた者であれ破れた者であれ、どんな人も「胸を突く不確かさ、あいまいさの」中で、ぎこちない人生を送るものだと、僕の大好きな詩人・長田弘は言います。 その現実を、自覚、認識した上で「生まれて来て良かった」と思えるかどうかが、幸せを感じれるか感じれないかの境目なのかもしれません。

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冒頭に書いたように、このドラマの大きなテーマは、真実か嘘か? 本物かニセモノか? 現実か幻か? 正義か悪か?という、《虚実》の曖昧さのなかで揺れ動く人の心情にあります。その不確かさのなかで生きて行く人生に、はたして《虚》《実》かなんてことは、本当に重要なことなのかを考えさせられるのです。

自分の人生すら《虚》《実》わからない様な状況のなかで、唯一信じれるものがあるとするなら、その体験の時々に置いていった自身の誤摩化しの効かない想念だけなのではないでしょうか? その置いていった《想い》が未来を作り、過去を意味のあるものにするのだから。

今まさに、厳しい現実を生きている僕たちにとって、身も蓋もない言葉を投げつける、ドラマ《anone》。それをしっかり自覚した先には、《愛(許し )》が隠されているはず。その《愛(許し)》を探り、見つけることが出来るかどうかがこのドラマの意味なのです。

このドラマにカタルシスや現実逃避を求めてる人には、 一ミリたりともご要望にお応えすることは出来ません(どの立場で言っとるんだ)。

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最後に題名の《anone》田中裕子演じる林田亜乃音《亜乃音》という同音の名前の意味を考えてみました。

《亜》が奏でる音、波動、メッセージ。

では《亜》とは何か?
命名を書にする仕事をしていると、《亜》の付く名前はけっこう多いものです。その意味を調べてみた所、あまり良いイメージはなく、《次ぐもの・ みにくい・独自の本質を持たない似たもの》なのだそうですが、象形文字としての原型を探ると、元の形は「十字」「人形」という説があるそう。

古代中国の古墳で多用されていた「十字」のマークは、魂の復活を願う意味であり、けっして禁忌の文字ではないそう。命の大本への回帰や、永遠性を現しており、《阿吽(あうん)》《阿》(宇宙の始まり、根源)の文字は《亜》に繋がるのではないでしょうか?

したがって、《亜乃音》(あ・の・ね)の問いかけの言葉は、宇宙(神)からの問いかけ、根源的なメッセージ《愛(許し )》を意味するものと僕は勝手に解釈したのです。

ここで(あ・の・ね)のメッセージの受け取り方のヒントになりそうな、ハリカのセリフ。

指は気づく目は騙されたけど 指は気づく

音の書2

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さて、今後の展開。 無自覚な神の代弁者(本当か?)、田中裕子演じる亜乃音がどのような動きをするのかが、気になる所です。

おしまい